文部科学省は年内に高校生の政治活動に関する通達を46年ぶりに改定する。現在は1969年に出した通達で、高校内外での政治活動を「教育上望ましくない」としているが、校外に限って活動するのを認める。
僕は、初めてこの文部科学省の通達の存在を知ったのが、静岡で若者支援の学生団体を運営しているときに、日本大学の広田照之教授を招いて講演会を実施したときでした。そのときに「だから日本の若者は社会に関わらないのか!」と思いました。
広田教授は、「AKBには熱狂するけども、投票には行かない。」と現在の若者を憂い、若者の政治的無関心や、投票率の低さのひとつに原因に、これまでの大人社会が「若者を政治から遠ざけてきた」ことを指摘しています。その例に戦後青少年史の3つの出来事を提示しています。
昭和 29 年には、当時の東西冷戦の激化を背景に、義務教育諸学校における政治的中立に関する2つの法律が成立した。
昭和35年には、 60年安保の盛り上がりを背景に、高校の生徒会が学校外の問題を扱うことを不適切とみなす文部事務次官通達が出された。
学園紛争が激化した昭和 44 年(1969年)には、高校生が個人として政治的な活動に関わることを望ましくないとみなす文部省初等中等局長通知が出された。
(引用元はこちら)
(3つ目の通達は文部科学省のこちらのホームページから読むことができます。)
東西冷戦、60年安保、学園紛争の激化など当時の社会的文脈を反映して、これらの通達が出されたわけです。100っぽ譲ってそれはありだとしたら、ではそれから46年間は義務教育過程における政治教育については放置していたわけでしょうか。政治を教育に持ち込むことがタブーとされていた学校のもとで、義務教育過程を修了した人口はどれだけいるのでしょうか。政治を扱わない義務教育過程で育った大人や教師の元で育った子どもは、今の若者たちではないでしょうか。その結果が今日の現状ではないでしょうか。
この点、もっと議論されていいはずです。
スウェーデンでも大人社会が若者に影響を与えようとしていた
広田教授も指摘していますが、戦後日本の青少年教育は若者を「問題の対象」として扱い、保護と取締りの対象つまり、社会に参入させられる「受動的主体」とされてきました。それ故に「上から目線」の通達だった、と考えることができます。この点は、何も日本だけがそのような傾向にあったわけでもなく、若者政策の先進国といわれるスウェーデンでも「若者は問題」とみなされていた時期はありました。しかし、スウェーデンの若者政策は1898年がその始まりとされ、その当時の話です。道端でたむろしている若者は「社会問題」とされ政府委員会も「ギャングボーイ委員会」と呼ばれていたほどです。
しかし、1939年にユースケア委員会(Youth Care Committee)の設立が、スウェーデンの若者政策にパラダイムシフトをもたらしました。それまでは、基本的な姿勢は、「どのようにすれば大人社会が、若者の生き様に関与し、影響を与え、彼らについて知ることができるか」という姿勢でした。しかし後の、1945年の政府報告書では「そもそも、どうやって私たち(大人)が若者(の余暇活動の選択)に影響を与えようというのか?」という疑問が投げかけられています。結果、委員会は伝統的な権威的なやり方ではなく、若者の個々の能力と主導力を高めるために、「若者独自の空間」を与えることを結論付けました。この時点で、「既存の活動に招待する」というやり方ではなく、影響力のために若者の参加を促すことが明言されたのです。
ポイントは、1945年の時点でスウェーデンではすでに、大人社会側が若者にどのように影響を与えられるかという姿勢を止め、「若者を問題の対象として扱う」という方針を転換している点です。日本では1969年に上記の通達が出ているのです。歴史的背景を考慮すべきは当然ですが、少なくともこの「大人社会のあり方の見直し」が今、46年の月日を経てようやく動き出し始めたということに、危機感を覚えずにはいられません。そういう意味では、今回の18歳選挙権への引き下げ法案の改正が、法的年齢の改正に留まらず、46年間変えることができなかった教育と政治のあり方まで議論が及んでいることは、大きな前進といえます。
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