「我々建築家は、
貴重な人命を預かる容器を造る事を念頭に置いて、
まず立派なデザインをする前に、
丈夫な建物を造ると言う観念を忘れてはなりません」
久米権九郎の言葉ですが、権九郎の父民之助も建築家でした。
幕末の1861年に沼田藩、現在の群馬県沼田市に生まれ工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業後、宮内省に入り皇居造営事務局御用係となって皇居二重橋の設計・造営に携わった後、実業に転向。
鉄道工事のほかタバコの生産にも関わり事業は大成功します。
その後、衆議院選挙に出馬し当選、国会議員を務めた後に金剛山電気鉄道を設立、晩年は故郷の沼田城址に沼田公園を整備するなど立志伝中の人物です。
関東大震災により夭折した兄民十郎は日本のモダニズム洋画家の先駆で、将来を嘱望されていました。
つい数年前のことですが2009年、民十郎の絵が89年振りに発見され話題となっています。
これは今見ても凄い絵です。
1920年帝国ホテルの個展で発表されたという「支那の踊り」です。
イタリア未来派やイギリスのヴォ―ディズムにも関わりがあったということで欧米での評価も高かったそうですが、この横長の構図の中でくねって渦を巻くように運動変形した人物と、古櫃然と静止した室内そして文様の入った丸い敷物との対比は、現代美術のフランシス・ベーコンよりも何か魔術的な趣です。
この兄がまだ30歳で亡くなったのです。
地震で建物が倒壊してしまったことによって。
当時ドイツ留学中の建築学生であった権九郎は、思うところがあったのでしょう。
「日本住宅の改良」というタイトルで日本の木造住宅の耐震化を目指す建築論文と提案をドイツにて記しています。
1929年帰国の後、友人の渡辺仁と共に渡辺久米建築事務所を開設しました。
1932年より久米建築事務所となり、戦前に豪奢でありながら気品のある伝統的で堅実な建築を設計されています。
軽井沢万平ホテル(1935)
日光金谷ホテル別館(1935)
この二つの建物は「久米式耐震木構造」という方式で出来上がっています。
戦前は中国や朝鮮でも多くの建築の設計をされていましたが、戦後は大陸から引き上げてくる多くの技術者を採用していったことから自然エンジニアリング色の濃い設計事務所となっていきます。
戦後の建物でみなさんがご存知の建物としては、ビートルズが宿泊して以降、多くの外国ミュージシャンが宿泊していたヒルトンホテル(1963)(その後キャピトル東急)が有名です。ここはレストランラウンジ「オリガミ」のパーコー麺でも有名でしたね。
ヒルトンホテルは戦前のホテルと通底するような、ガシっと重厚でありながら雅な雰囲気のするホテルでした。(惜しまれながら取り壊されて新築されました。)
最近の作品には赤坂サカス(2008)があります。
最近、私はこのサカス周辺に行くことが多いのですが、東京にしては坂の多い敷地を商業施設とオフィスをうまく組み合わせながら、人の目線を意識しながら立体的に開発した楽しくおしゃれな施設として成功していると思います。
現在では久米設計は、意匠・構造設計だけでなく、PMプロジェクトマネージメント、CMコンストラクションマネージメント、FMファシリティマネージメント、DMデータマネージメントといった建築を取り巻く周辺事業のコンサルティング、クライアント利益に対する堅実なマネジメント業務にも強い事務所となっています。
そのような久米設計が2011年の3月に検討を終えたという、今の国立競技場を直しながら劇的に生まれ変わらせる計画とはどのようなものなのでしょうか。
(なお、この資料は、2006年からオリンピック誘致に疑問をもたれて活動をされていた「東京にオリンピックはいらないネット」の方々が情報公開請求により入手されたものが、「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」にも提供され、公開された抜粋版です。)
1.調査所見
2.躯体調査
3.追加諸機能検討
4.補強工法検討
5.耐震構造補強を踏まえたプランニング
6.トイレ、売店、レストラン追加諸機能検討
7.屋根の設置
8.地下・低層部の拡大検討
9.スタンド増設・スタンド内部化
10.外装と屋根の構造検討
11.工期と施工要領の検討
既存の建築を活かす計画で、スタンド増設、屋根の設置、レストラン・トイレの大幅増設、商業ゾーンの設置、構造補強まで、設計期間1年、施工期間2年、許認可や調整まで入れても4年だから、ラグビーワールドカップに十分間に合うじゃないか!で、工事費は770億円って今の半額以下じゃねえか!
全部、出来てんじゃんか!
なんでこの検討内容を隠してた!JSC。
安藤忠雄氏は
この計画の存在を知りながら、
泥縄式の偽装コンペをなんで企画したんだよ。
なんでこの話をブッチしたんだよ。
この書類がなぜそこまで重要かといいますと、
この情報公開請求で得られた資料は抜粋版でしかないんですが、
既存構造体の調査と構造的な検討がなされていることが非常に大事で、
その調査内容を一般化すれば、
日本中の設計士がそれを参考にして、
現実的な改修案を検討できるようになるからなんです。
つまりは、久米が抑えたエンジニアリングデータは、
デザイン検討のための元になるのです。
これ、要項に盛り込んでいけば、改修案コンペ出来んじゃね。
今度こそ本当に世界にオープンに世界中の建築家、もちろん日本の若手建築家にも門戸開いて、本当の意味で日本を元気に!日本の建築家に夢を与えることできるんじゃないでしょうか
(2013年5月10日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)