11月の5日にまたもやビックリするようなことが起きました。
それは、新国立競技場の現在の状況についての見解を建築家の磯崎新先生が報道各社に発表されたのです。
全文はarchitecturephoto.netさんの記事で読むことができますが、
私も文書を入手しています。
原文は縦書き文書で改行含め気合い入っていますからこちらをご覧になった方が行間に込められた磯崎さんの気持ちが伝わるでしょう。
この文書が出されたとき、ちょっと困惑したんですね。
前段で、
「現状の新国立競技場修正案は、当初のダイナミズムが失せ、まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿。
このままで実現したりすれば、将来の東京は巨大な粗大ゴミ」
ここまでは、そうだ、そうだ!と
以前私が解説しましたように
ザハの元々の提案が破綻させた状態で進行しており、このままでは何をやっているのかわからなくなるということです。
磯崎さんは、コンテクストを欠いた巨大な建築の批判をするとき、これまでもよくショッキングでキャッチ―な「粗大ゴミ」と評されています。
以前にも、バブル期の東京都の公共建築である東京芸術劇場、東京都庁舎、江戸東京博物館、東京都現代美術館、東京国際フォーラムの5作品を読売新聞紙上で「粗大ゴミ」と評したことでも有名です。
しかし、後段での
「今からでも遅くない。当選決定(国際公約です)の時点に立ち戻り、二年間の賛否両論はプログラムの検討スタディだったと考え」
ここまではいい。この後の
「ザハ・ハディドにその条件を受けてあらためてデザインを依頼する。彼女はそのような対応のできる建築家です。」
いやっ、それは違うだろうと、
ここに、本当に大丈夫かあ、、と思っていました。
磯崎新さんはもちろん世界的にも著名な日本の建築家です。
同時に丹下健三先生の愛弟子のお一人でもあり1970年代から80年代にかけては日本の建築デザインだけでなく世界のポストモダンの潮流を作ったし牽引したともいえるでしょう。
非常にキレる人なのです。これまでも批評精神の方が旺盛で、相矛盾するようなことを同時に語られる、あえて分裂した論旨もかまわない、直交しないで平行したロジック、自己破壊的な言動も辞さず、といったちょっと天邪鬼(あまのじゃく)なところがある先生なんですね。
本を出しても「現代建築愚策論」とか「建築の解体」とか
あえて真面目な人を逆なでするような感じに言ってみたり、そのように悪ぶってご自分を見せたりする。
批評を先鋭化させるためにもロマン主義的アイロニーを駆使する人です。
だから、現時点でザハに再度やり直しさせろ、という言説は一見筋が通っているようですが、磯崎さん特有の不可能な正論、批判のための批判、ザハがやり直しに応じるわけないだろ、と思っていましたら
今度は先週のことですが、またまたビックリ
新国立競技場問題について磯崎新さん、ザハ事務所の大橋さんによる外国人記者クラブで記者会見があったんです。
当日、私もゆえあって会場におりまして、下記にご発言をツイッターでほぼタイムリーに報告し、トゲッターにまとめておきました。
ご欄になるとわかると思うのですが、
この磯崎先生の会見がアイロニーゼロ、大きく曲がって落ちるスローカーブとかなし、遊び玉なし、すべて直球勝負で、内容が素晴らしかったのです。
磯崎新さんというと建築界ではその名を知らぬ人はいないと思うのですが、一般にはお名前とお顔が一致しないとか、作品は知らないとか、建物は知っているけど、どういった考え方の人か知らないという方も多いと思います。
磯崎新さんとはどんな人なのか
磯崎さんも槇さんといっしょで仕事を始めてすぐに、最初のお仕事でさっさと建築学会賞をお取りになっています。
36歳のときの「大分医師会館」という作品です。
今見ると、磯崎さんが何がやりたかったのかは、はっきりとわかるのですが、思いっきり浮かしたドデカイチューブのSF的な構造、その見え方とか、ちょっとな~って感じしません?
なんか、カッコイイようなかっこ悪いような、宇宙船的なような工場プラントの一部のような、スカッとしていない建築デザインですよね。
どちらかというと鈍重、丸いのか四角いのか、ずどーんとしていて、せっかくスーパーストラクチャーで浮かせたボリューム表現の下には、なんだか華奢な一般壁構造のコンクリートの低層部分がある。
特に窓、開口部が明るくない、スッキリ抜けていなくて窓というより配線や配管の接続ジャックやカプラーのような意匠に仕立てられている。
どちらかというと以前分析した「悪の組織のアジトにしやすい系」の建築です。
同時にスターウォーズのAT-ATウォーカーとか、弐瓶勉先生の「BLAME!」に登場する未知の機械「建設者」にも似て、なんかどこか未完成の土木プラントのような感じもします。
建築を宙に浮かすなら、未来志向なら、ヴィジュアルデザインのバランス感覚ならこうなるのが普通ですよね。左上から菊竹清訓「スカイハウス」右、下、丹下健三「クェート大使館」、「広島平和記念資料館」
磯崎さんの活動より数年ほど前には東京オリンピックが開催され、丹下健三先生の次の世代による日本の建築界ではメタボリズム運動というのが隆盛を極めていました。浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、粟津潔、槇文彦らによる高度成長期の都市の急激な膨張と人口増加に対応しようというもので次々と発展する工業化と技術開発で解決しようとするバラ色の未来志向、一種のユートピア志向でした。
磯崎さんはそれらの若手建築家と同世代であり丹下門下生でもあったのですが、東京オリンピックにもその後の大阪万博やメタボリズム運動の中心からも距離を置いています。
でも磯崎さんの大分医師会館が出来たころは1967年(昭和42年)という頃は、日本が戦後復興を果たし、東京オリンピックにより世界の潮流に復帰して、大阪万博の準備にも余念がなく、これから益々の高度成長に向かおうという時期だったのですが、
ベトナム戦争が激化し第三次中東戦争でイスラエルが周辺地域を制圧、アポロ1号の爆発事故、ソユーズ1号の墜落事故等もあり、工場のばい煙や排水による汚染で公害問題も発生していました。急激な工業化や科学万能の考え方に陰りの兆しが表れていたころです。
それをいち早くキャッチした。
そのような、明るい未来に相反する陰のようなところ、都市空間にある見えないインフラのようなものを、「大分医師会館」ではあえて、表に出してやろうというような、へそ曲がりなところが見受けられます。
宙に浮いたボリュームの下にチマチマとした居住ブロックを並べるという一見未来志向のメタボリズム的なフォームを持ちながらその意味を脱臼させて、脱構築している。
だから暗いというか、何をやっているのかはわかるのですが、なぜそうしているのか分かりにくい建築なのです。
世の中が繁栄を謳歌しようというときに、磯崎さんはその中にありながら批評の道を探っていたのです。批評にこだわるあまり届かない周縁の位置で皮肉を吠える人がいますが、磯崎さんの凄いところは中心に居ながら周縁的思考ができる、もしくは中心にいながら自らの寄って立つ基盤を揺らがせ壊そうとするところです。
この「大分医師会館」はクライアントには未来をユートピアと見せながら、建築的意味においては未来にはユートピアではなくディストピアだってありえるんだと表現している。
そのような矛盾した思考。
建築というのは作家が自分だけで表現できないジャンルなんです。
そして新築というのは基本お目出度たくなきゃいけないんで、
ロックや文学みたいに作品中に強烈な批判や毒を盛りにくい。
デスメタルとかハードコアパンクみたいに「デス」的な要素が入っていてはクライアントを説得するのは難しい、どころか通らないはずなんです。
それでも実現にこぎつけたという非常に難しい仕事なのです。
また、現在ちょうど会期中の展覧会もあります。
(2014年11月22日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)