今日、オーブリー・マクレンダンが急死しました。56歳でした。
マクレンダンの運転する「シェビー・タホ」は、オクラホマの道路を、法定速度を大幅に超えるスピードで走っていて、側壁に激突、炎上しました。同乗者は居ませんでした。
実は、マクレンダンは昨日、司法省から談合の疑いで起訴されたばかりでした。
タイミングがタイミングなだけに、今日、このニュースがもたらされると、石油業界やウォール街の関係者の間からは間髪を入れずに「自殺を図ったのではないか?」という声が上がりました。まだこのニュースは入電したばかりなので、本当のことはわかりません。
オーブリー・マクレンダンは、ミッチェル・エナジーの創業者、ジョージ・ミッチェル、コンチネンタル・リソーセズ(ティッカーシンボル:CLR)のハロルド・ハムと並んで、「シェールの父」と見做される業界のパイオニアです。
オーブリー・マクレンダンは、例えて言うなれば、ネットスケープのマーク・アンドリーセンがインターネット・ブラウザーで「世界を変えた」のと同じくらい、天然ガスや石油の「掘り方」に革命をもたらした人物です。
彼のビジネスの進め方には賛否両論ありますが、彼がビショナリー、すなわちデカいビジョンを持った人物であったことは、誰もが認めるところです。
マクレンダンは大学を卒業すると友人のトム・ウォードと組んで、ランドマン(landman)の仕事を始めます。
ランドマンとは、文字通り土地の権利を売り買いする人です。具体的には(ここは石油が出そうだぞ)と思ったら、その土地を持っている農家や酪農家の門戸を叩き、「アンタの土地の地下に眠っている石油・天然ガスを掘り出す権利を、貸与(リース)してください」と交渉するわけです。
この権利のことを鉱物権(mineral rights)と言います。普通、地主はカウボーイだったりするので、土地自体は売るわけにはゆかないので、「2年間、ここで石油・天然ガスを探索・生産する権利を貸与します」というようなリース契約になるわけです。
マクレンダンとウォードは、ピックアップ・トラックに寝泊まりしながらオクラホマやテキサスの荒野を走り回り、一軒一軒、リタイアした老夫婦や酪農家を回り、現ナマを握らせる代わりに鉱物権リース証書にサインを貰いました。そうやって地域一帯の鉱物権を紡ぎ合わせ、ひとつの大きな鉱区を完成させると、それを大手企業に持ち込み、権利を転売したわけです。
そうやって事業資金を集めた二人は、チェサピーク・エナジー(ティッカーシンボル:CHK)という自分たちの会社を始めます。1980年代後半、エクソンやテキサコなどの大手は、アメリカ国内の油田がだんだんくたびれてきたので、そういう「喰い散らかした」油田や天然ガス田を、残り物の残飯を捨てるように零細な業者に売却しました。
チェサピークらの小さな業者は、豪華な本社ビルなどの固定費が低いため、そのような残りカスの油田からでもなんとか僅かな利益を絞り出すことができたというわけです。
マクレンダンは石油サービス会社各社が試作した、数々の新しい試みを見て(これは使えるかもしれない!)と閃きます。そのひとつは水平掘り(horizontal drilling)です。またくたびれた油田を刺激し、生産を促進する破砕法(fracking)にも注目しました。
つまり、一番零細で、爪の垢に火を灯すような商売をしていた「山猫」業者が、最新技術を試してみることに最も積極的だったのです。
その結果、石油や天然ガスを採取する効率は、どんどん上がりました。
それに自信を得たそれらの独立系の業者は、伝統的な油田よりもずっと深いところにあり、しかも天然ガスや石油を含有する層が、薄く横に広がっているような、普通ではなかなかアクセスすることができない岩石層を狙うことを始めたわけです。
これがシェールです。
シェールから天然ガスや石油が出るようになっても、多くのウォール街関係者は「アイツらは、たまたまラッキーだったんだ」という偏見を捨てませんでした。
オーブリーは(よし、それなら皆が未だ気がついていないうちに、アメリカ中の鉱物権を買い漁ってやる!)と決心し、どんどん鉱物権貸与証書を蒐集するわけです。
こうしてチェサピークは気がついて見るとアメリカで最も沢山の鉱物権をおさえている企業にのしあがりました。
チェサピーク・エナジーはピークには350億ドルもの時価総額を誇り、マクレンダンは地元の名士となりNBAチーム、オクラホマ・シティ・サンダーのオーナーになります。
しかしオーブリーの誤算は「シェールが成功しすぎた」ことにあります。つまり誰が「ここ掘れワンワン!」でシェールを採掘しても、次々に成功するので、余りにも天然ガスが採れすぎて、価格が崩落してしまったのです。
チェサピークは天然ガスの鉱区を買い占めるため多額の借金をしていたので、経営がおかしくなります。マクレンダンは重役会からCEOを解任され、チェサピークから叩きだされます。
その後、アメリカン・エナジー・パートナーズというライバル会社を興し、昔の恨みを晴らすため、オハイオ、ウエスト・バージニアなどで精力的に鉱物権を買い集めたわけです。
しかし鉱物権は、貸与を受けて2年間、なにもせず、放置しておくと「何でアンタはグズグズして探索・生産を始めないのかね? もしアンタが掘らないのなら、他へ権利を委譲するよ」と地主に言われ、権利放棄しなければいけなくなるのです。
昨今の原油安、天然ガス安で、掘っても採算が取れる見込みはありません。そこでペーパー会社を設立し、もうひとつの会社を装って地主にアプローチして、自分の持っている鉱物権を地主からそのペーパー会社に売らせるように画策した……これが司法省が疑っていることなのです。
こうしてオーブリーは「無」から始めて、シェール革命の頂点に上り詰め、そしてシェール・バブル崩壊とともにまた奈落の底へ突き落されたわけです。
僕はチェサピーク・エナジーが1993年に新規株式公開(IPO)したとき、当時僕の勤めていた投資銀行が副主幹事だったので、オーブリー・マクレンダンとは数回の公募を通じて仕事をする機会がありました。
なるほど、生意気で自信過剰な男ではありましたけど、「無理だ」、「そんなこと出来るはずがない!」という批判の声を跳ね返しながら、シェールの夢を熱く語り続けた姿は、強く印象に残っています。
(2016年3月3日「Market Hack」より転載)
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