配偶者以外と性的関係を持った男女を2年以下の懲役に処する「姦通罪」(かんつうざい)が、韓国で制定後62年たって廃止された。
韓国の法律家なら、誰でも姦通罪にまつわるエピソードは1個や2個は持っている。司法修習のときにこんな話を聞いた。ある検事が姦通事件の捜査で自白を得て、調書にこう書いたという。
問:被疑者は家を出て○○○と3年間同居しましたか?
答:はい、そうです。
問:性関係はどれほど頻繁にしましたか?
答:毎日1回ずつしました。
この調書をもとに、検事は「被告人は○○○と19××年×月×日から19××年×月×日まで3年間、毎日1回ずつ性交し、もって姦通したものである」との起訴状を作成し、決済を仰いだ(姦通罪は性交1回ごとに成立するので、1回ずつ立証しなければならない)。
起訴状を読んだ上司は、やや雑だとみたのか、3年間1回も休まず性交したことが疑わしいとみたのか、「生理のときは?」とメモをつけて突き返した。検事はまた被疑者を呼んで聴取した。
問:生理のときはどうでしたか?
答:生理のときはしませんでした。
検事は起訴状を書き直した。「被告人は○○○と19××年×月×日から19××年×月×日まで3年間、毎日1回ずつ(生理のときを除く)性交し、もって姦通したものである」
こんな話には事欠かないが、私も新米検事の頃は姦通罪に苦労させられた。姦通罪は「性交」しなければ成立しない。すなわち男性器が女性器に挿入される行為がなければ、ほかに何をしようと処罰されない。2人だけの密室空間で起きたことを頑なに否認されると、立証はとても難しい。「抱き合ってキスして出てきただけだ」と言われれば、反論のしようもない。
姦通容疑を否認する被疑者への取り調べで「女と2人でホテルに入って何もしなかったのか? お前は不能か?」といった人格攻撃がしばしば行われたのもそのせいだ。「健康な男女が一晩を共にしたのに容疑が立証できないなんて」と告訴人からは抗議されるし、だからといって起訴する証拠もないとこうなる。昔は姦通事件はほぼ無条件で逮捕され実刑判決を受けたので、被疑者の側も必死だった。「あんなこともこんなこともしたけど、性器の挿入はしなかった」と詳細に語られてはなすすべもない。「不能か?」といった攻撃も通じない。
現場を押さえていない以上、自白がなければ嫌疑不十分とせざるをえないが、新米検事の頃、こんなことがあった。ある会社の同僚が数人で出張に行った後、うち一人の男性の妻が、夫と同僚の女性を姦通容疑で告訴した。その夫と、未婚だった同僚の女性は「何もなかった」と否認し、特に証拠もなかったので嫌疑不十分の決定文を書いて決済を仰いだ。
すると上司は「女性被疑者に処女膜検査を」とメモをつけて返してきた。メモを見た瞬間の衝撃は今でも忘れられない。どこから異議を唱えればいいのかわからないほどだった。いくら姦通容疑で告訴されているとはいえ、処女膜検査? もし処女膜がなかったという検査結果が出たら、それで姦通行為の証拠になるのか? かといって嫌疑不十分にすれば当事者は何と言うだろう? 現場経験の少ない公安畑の上司が机上の空論で出した指示だった。そのメモを書類棚に押し込んで数カ月待ったら、上司が休職したのでなんとかうやむやにできた。
一部の宗教国家を除けば、姦通を処罰する国は韓国ぐらいではないか。個人の私生活に国家が過度に介入するという理論的な批判はさておき、互いに同意して愛し合う成人を前に、検事や警察官が「不能か?」を連発し、処女膜検査までしようとする。こんな法律がなぜ今まで存在していたのか、何度考え直してもわからない。
この記事はハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。