はじめまして!
兵庫県西宮市で「つどい場さくらちゃん」を主宰しているまるちゃんです。<つどい場>って何?とよく聞かれます。介護を受ける本人・介護者・介護職・医療者・行政・社協・議員・大学教授・学生・地域活動者・子ども・子育て中のママ・マスコミ関係者・・・立場を越え、誰でもがごはんを食べながら想いを吐き出し、情報交換する場。気がつけば11年目になります。
核家族化が進み、家族の「介護」をひとりで担う家庭が多くなってきたこともあり、「介護保険」が「介護」の社会化というふれこみで2000年に始まりました。今年で14年目です。
みんな、40歳から「介護保険料」は徴集されていますよね。金額は市町村で異なりますが全国平均でスタート時は月額3000円だったのが、今年は5000円に。
自分の身に降りかからなければ、「介護」は「他人ごと」。でも、お元気だった親御さんの介護が始まったり、「若年認知症」として介護対象になる方々が40代、30代になってきている現実・・・自分が「介護者」や「介護」を受ける身にならない保証はありません。
私は自分が介護してきた体験、そして「つどい場さくらちゃん」での<出会い>の中で学ばせて頂いたことを伝えたいです。
「介護保険」がスタートして大きく変わったことは、2つあると思います。
☆「介護」の「福祉」が「産業」になり、家族のお任せ体質を増長
「介護保険」が始まるまでは、「介護」は家族が引き受けるしかありませんでした。「在宅介護」が当たり前・・・ただし国が支えるシステムがありました。脳疾患等で入院すれば、在宅で生活できるように本人や介護者に日数かけてリハビリを指導(入院日数も長く可能)。それでも無理なら「介護老人保健施設(老健)」で3か月ほど在宅復帰のためのリハビリ強化、介護者も習う。保健師が家族のサポートに来てくれていました。
「介護保険」が始まると、ほぼ「事業所」に属する「ケアマネジャ―」が誕生し、「お任せ体質」に拍車。彼らは介護を受ける本人の意向より家族の意向を重視します。「計算屋」になって「施設」に捨てるのを勧めるのです。そして「福祉」が「産業」に変貌。
全国で言えば、「良質」な施設、「良心」を持つ「介護職」はいます。しかし、「現場」にいない、「職員」の教育にカネと時間をかけない、「介護」を「作業」に終わらせて腐らせる――そんな<経営者>がはびこりすぎ。「企業努力」をせずとも「介護保険料」からの収入に倒産の危機感なしという特殊な業界です。(介護給付金は当初の2.5になっています)
☆街から、家から、高齢者が消えた
昔から「年寄り」はいました。年相応に"ボケ"て家の中で這いまわり、手掴みで食べ、近所の市場や公園で「年寄り」はしゃべっていました。
「介護保険」がスタートすると、午前9台と午後4時台に「送迎車=拉致車」(本人が選んで、悦んで行っているわけでない)が街中を走り回り、「安心」「安全」を謳う「介護施設」に送り込まれるようになりました。施設側が転倒を恐れ、歩ける人でも車イスで過ごすよう強いられます。自由がない、声かけもない。
15、6年前、私自身が介護をしていた時は、ボケた父を車(初心者・身障者マーク付き)であちこち連れまわしました。しかし、「旅行」はサポートなしということで諦めていました。
「つどい場さくらちゃん」を始めた11年前から「車イスのひとたちと行く北海道の旅」へ、「カニツアー」へ「イチゴ狩り」へ。本人・介護者・介護職・医療者と共に行く旅は笑顔だらけ。
「介護」を受けていても普通に電車に乗り、お店で食事をし、楽しむ権利はあります。そして、それは実現可能なのです。さりげないサポートをする「にんげん」がいれば。
誰も、自分の「人生設計」の中に「介護」をすること、「介護」をされることを入れていないのではないでしょうか。ボケてゆくこと、脳卒中、ガン、交通事故・・・ひとりでは生きてゆくことが出来なくなった時、サポートしてくれる"ひと"がいる。ネット社会にあってマニュアル化できない「個別性」が「介護」や「医療」であり、<待つ>ことをもっとも要求される世界だと思います。
しかし、「介護保険」が「福祉」をビジネスに変貌させ、地域、家族関係を断ち切りました。本人はもっと不安に、家族もオロオロし、こころある介護職を潰し、「介護保険」は誰をしあわせにしたのでしょう?
逃げないで「介護」と付き合うと深い・・・<人生>そのものなのに。