安保関連法案成立が報じられてわずか数時間後、南スーダンにおける自衛隊の任務に「駆け付け警護」を加えることが検討されているというニュースが報じられました。東アジアでなく、中東でもなく、なぜアフリカにおける活動において、安保関連法が適用されることになったのでしょうか。
アフリカでの安保法の適用は、「すでに自衛隊がいるから」?
今から昨年の7月に集団的自衛権の容認が閣議決定された際、私は「ナガサキとアフリカから考える集団的自衛権」という記事を書きました。この1年で目まぐるしく情勢が変化したために的外れな記述も少なくありません(最近の政治・経済は1年先どころか一寸先を読むのも難しいので、お許しを...)。しかし、残念ながら予想通り、アフリカ地域において安保関連法が適用される可能性が出てきました。
南スーダンは世界で最も新しい国で、2011年に北部のスーダンから分離独立しました。独立後は、政治的混乱とそれに伴う暴力の連鎖のために緊張状態が続いています。この国の首都ジュバには、約350名の自衛隊員が国連平和維持活動(PKO)に派遣されています。自衛隊が派遣されることになった経緯は、政府見解としては防衛省・自衛隊のHP、国際政治の文脈においては国際政治学者・六辻彰二の記事を参考にして頂けるとわかりやすいと思います。
さて、はじめに記した問いに戻りますが、なぜ南スーダンにおいて安保関連法が適応されることになるのでしょうか。その答えの一つとして、「すでに自衛隊員がいる」というシンプルな理由があるでしょう。わざわざ新しい紛争地に武器を担いで自衛隊員が入るよりも、すでに活動している地域に「若干」装備と規律が変更された自衛隊員に入れ替わる方が、はるかに技術的に容易であろうし、反対世論も抑制できるはずです。
ただ、私には安保関連法適用の第一歩として、イスラームへの宗教的偏見と、アフリカ系人種に対するレイシズム、それに加えて日本から見た地理的・心理的に周縁性を利用しているように思えます。また、アフリカ地域においては、日本をテロの対象とするような人々がいないだろう、という変な安心感があるようにも感じます。何をどう考えても、これだけネットワークが世界中に広がって、アフリカ大陸の隅々まで携帯電話が普及している状態で、アフリカ地域なら大丈夫、というのは到底当てはまらないように思うのですが...。
このような点も考慮すると、今のところ最も安保関連法の影響を受けやすい「現地」は、東アフリカ地域だと思います。ソマリア沖、南スーダンだけでなく、ケニアとソマリアの国境地帯、ルワンダとコンゴの国境地帯など注視されるべき地域が少なくありません。これらの地域では、武力的介入が必要性も検討されてしかるべきだと思います。ただ、その必要性を補うのが自衛隊の役割なのか、アフリカ地域での安保関連法適用の先には何があるのか、私たちは今から考えておく必要があると思います。
スワヒリ語で報じられた安保関連法のニュース
「今や日本は海外で交戦できる」
中国は第二次世界大戦後初めて、日本が憲法を無視して、海外の戦争で交戦する軍隊の派遣を許可する防衛法を通したことを非難した。中国国防省は、日本は歴史から学び、周辺国の平和を守るべきだと述べた。アメリカとイギリス、オーストラリアは、日本がPKOにおいて大きく寄与することを可能にした変化を歓迎した。
これは、9月19日に報じられたBBC SWAHILIのニュースです。スワヒリ語は東アフリカ地域の共通語でタンザニアやケニアで使用される言語です。一部、南スーダンでもスワヒリ語が話されていると思いますが、このニュースは主に南スーダンの周辺国で読まれているものと考えていいと思います。
さて、この短い記事から読み取れることは主に2つあるでしょう。ひとつ目は、「日本が海外で交戦できる」ことをタイトルではっきりと伝えられていることです。あまりにもあからさまなタイトルなために反発必死と予想しますが、このように受け取られているのだという現実を理解して頂けると幸いです。
ふたつ目は、本文では主に主語として「中国(または中国国防省)」が記されており、「日本」を主語として語られていないということです。ご存知の方も多いと思いますが、今や中国政府はアフリカ諸国の首脳たちと極めて密接な関係を築き上げています。アフリカ諸国の首脳たちにとって「よきビジネスパートナー」である中国は、東アジア情勢の主役でもあります。そのため、この記事のように中国政府の視点を通して日本の情勢が捉えられる傾向にあるのです(とはいえ、市民レベルにおいては中国系企業による開発や中国人移民との労働市場争いなどにおいて、いさかいがあることもまた事実です)。
日本政府がいくら主張しようと、現在の中国政府とアフリカ諸国の首脳たちとの関係がゆるぎない限りは、こうした視点が覆されることは困難でしょう。そして、自衛隊が派遣されるようなアフリカ地域の紛争地においても、このような視点で自衛隊が捉えられることがあり得るということは、考慮されておくべきだと思います。なぜなら、アフリカ諸国の首脳たちと日本政府が良好な関係を築けない限り、いくらアメリカと親密な関係になろうとも国際社会で日本がさらに躍進することは難しいからです。国連のおよそ4分の1を占める国家の数と、経済的潜在力(もちろん、人材的にも文化的にも非常に豊かな地域です)をもつアフリカ地域は、21世紀を通して向き合っていくべきパートナーなのです。
「アフリカならいいんじゃない?」という危険性
私が一番恐れているのは、「アフリカならいいんじゃない?」という考えがどこかにある中で、アフリカ地域において安保関連法が適用されることです。先に述べたように、アフリカ地域は21世紀を通して向き合っていくべきパートナーです。また、私たちと同じように日常に喜んだり悲しんだりしながら、一生懸命に生きている人たちがいる場所なのです。
そもそも、私たちはアフリカ地域についてどれほど知っているのでしょうか。南スーダンについて、どれほど知っているのでしょうか。彼の地で暮らす人の顔が想像できますか。何を食べて、どんな歌を歌い、どんな仕事をしているのか、想像できますか。彼らにとって、何が幸せで、どういう価値観をもち、何を必要と感じているか、耳を傾けることができているのでしょうか。こうした他者を理解しようとする想像力なしに、安保関連法が適用されるの、怖くありませんか。
私は、アフリカ地域の緊迫した紛争地においては、ある程度の武力を持った軍隊の介入は必要だと思います。そうしなければ、人が死ぬからです。
ただ、私たちがきちんと「現地」を知った上で、少なくとももう少し知ろうとした上で、アフリカ地域での自衛隊の活動について考えるべきではないのでしょうか。知らぬ人を知らぬ間に殺し知らぬ人に知らぬ間に殺されて憎悪の連鎖が止まらなくなる前に、一度立ち止まってアフリカのこと、考えてみませんか。