作曲家武満徹について述べるとき、よく一緒にとりあげられる名前がある。韓国の作曲家尹伊桑(ユン・イサン)だ。
指揮者小沢征爾が「武満徹と尹伊桑は、西洋音楽のなかでひとつの島を持っていた」と述べたように、ふたりは、東洋の音を用いて西洋音楽の歴史に名を残した数少ないアジアの作曲家だった。
その尹伊桑の「島」が今、他でもない母国で消されている。
国際音楽コンクール世界連盟(WFIMC)にも加入している韓国最大の音楽祭「尹伊桑国際音楽コンクール」への政府支援が打ち切られ、そのコンクールが開かれる尹の生まれ故郷「統営(トンヨン)市」にあるさまざまな関連施設から尹伊桑の名前が削除されるなど、さまざまな措置が組織的に行われているのだ。
驚いたことに、その背後に朴槿恵政権の「ブラックリスト」があることが今回の「崔順実ゲート」で明らかになった。
朴槿恵政権は、政府に批判的な文化・芸術人の「ブラックリスト」を作成し、さまざまなかたちの検閲と統制を行ってきた。そのリストに載っている芸術・文化人は9473名にのぼるが、そのなかに「尹伊桑平和財団」が入っているというのだ。
なぜ、没後22年を迎える世界的作曲家の名前が、この「ブラックリスト」に載っているのか。
そこには、1963年に北朝鮮を訪問したことを理由に、朴正煕政権の中央情報部(KCIA)によって拉致、投獄された1967年のスパイ冤罪「東ベルリン事件」以来の歴史的経緯がある。当時無期懲役が下され、世界各地からの抗議とドイツ政府の交渉によって釈放された尹は、以後朴正煕政権や「光州事件」を起こした全斗煥政権に対する批判をつづける一方で、北朝鮮で音楽教育を行うなど、南北分断の問題にも積極的に取り組んでいった。そしてそれを理由に、亡くなる1995年まで韓国政府の迫害を受けつづけることになる。
それでも1998年の政権交代以降、尹伊桑と韓国の和解は少しずつ進んでいた。政府の支援や音楽界などの関心のもとでさまざまな記念事業が行われ、「尹伊桑国際音楽コンクール」や「尹伊桑平和財団」のような産物が生まれ育った。2014年に統営市がユネスコ創造都市ネットワーク(音楽分野)に加盟したのも、尹伊桑という文化遺産が生んだ成果だった。
しかし今回の「ブラックリスト」関連書類に「尹伊桑−訪北」と書かれているようで、朴槿恵政権にとって尹伊桑は、保護・保存されるべき「文化遺産」ではなく、除去・排除すべき「共産主義者」にすぎなかったのだろう。1977年に出された『傷ついた龍』(日本語版は1981年)にも書かれているように、「私は共産主義者ではない」と訴えつづけたにもかかわらず、数十年間尹を苦しめたその政治的レッテルが、再び彼の音楽と人生に貼られているのだ。
自分が韓国政府を批判することで、「独裁政権と韓国民衆を同一視するような印象を与えること」を心配していた生前の尹伊桑は、母国に戻れないまま死を迎えた最後の瞬間まで、生まれ故郷や人びとへの思いを捨てなかったという。
その人びとがろうそくを手に持って開いた2017年は、尹の生誕100周年の年でもある。そしてあえて付け加えるならば、尹を「ブラックリスト」に載せた朴槿恵大統領の時代が悲劇的に幕を下ろそうとする2017年は、1967年に尹を拉致した朴正煕の生誕100周年の年でもある。