スポーツ仲裁裁判所(CAS)は、アンドロゲン過剰症(男性ホルモンのテストステロンが多く分泌されて男性化を引き起こす内科疾患)を抱えるスポーツ選手の出場規制に関する裁定で、南アフリカのキャスター・セメンヤやインドのデュディ・チャンドら、女性アスリートが2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの試合に出場できるように道を切り拓いた。セメンヤは、リオオリンピック女子800メートル決勝の金メダル候補で、世界記録を更新する可能性がある。(編註:セメンヤは8月20日、女子800メートル決勝で優勝したが、世界記録更新はならなかった)
セメンヤの優勝を見越して、競技する上で不公平で有利ではないかという議論がすでに始まっている。南アフリカのスポーツ科学専門の研究者ロス・タッカー氏(彼はこの判決に異議を唱えている)は、国際陸上競技連盟(IAAF)に異議を申し立て規則改定にこぎつけたセメンヤやチャンドが好成績を収めているので、IAAFはCASに裁定を差し戻して「ほら見たことか、証拠があるじゃないか」と訴えることができると述べている。セメンヤのリオオリンピック出場は、「時限爆弾のようなもの」と言われていた。
テストステロンの多さがアスリートに有利に働くとしても、不公平とは言えないだろう。何故なら、アンドロゲン過剰症の選手の出場に規制をかけ、有利になる可能性がある生物学上の変化を選別することは、(ひいき目に見ても)矛盾した方針だからだ。生物学上の変化は、他にもいろいろある。生物学的にも遺伝学的にも類似したケースは枚挙に暇がない。それらはIAAFが規制していないし、アスリートの成績に有利になるとしても、競技上不公平とはみなされない。
優れたアスリートが有利になる遺伝学的な変異は200以上あることがわかっている。こうした変化は、筋肉への血流、筋肉構造、酸素運搬、乳酸塩代謝回転、エネルギー生産などの様々な機能に影響を及ぼす。とりわけ、持久力が必要な運動選手は、ミトコンドリアが変異して有酸素容量と持久力が増加している。より成績が向上する多型(同一種の生物集団に,形態や形質についての何か異なるところのある2種類以上の個体が共存すること)があることも、スポーツ遺伝学者によって多く特定されている。これはエリートのスポーツ選手に多く見られる遺伝学的変異で、これこそがスポーツ・エリートをスポーツ・エリートたらしめているものと言える。
デュディ・チャンド
国際オリンピック委員会 (IOC) の医事委員会は、 生物学的変異に関する書籍「Genetic and Molecular Aspects of Sport Performance」から、スポーツや人間身体能力の遺伝的、分子的な根拠に関する最新の科学的根拠を要約するよう委託した。一方、まったく皮肉な話だが、自然発生的な、内因性(生体内部の原因)の遺伝学的、生物学的変異を持った運動選手は、持って生まれた長所として歓迎される。また、こうした才能を発掘したり、開発するプログラムもある。これらは競技で優位になる自然発生的な生物学的変異を発見することが狙いだ。他方で、アンドロゲン過剰症など別の遺伝学的、生物学的変異を持ったアスリートは不公平で有利だという理由で、試合の出場資格を奪われる。
なぜ、アンドロゲン過剰症だけが非難されるのか?
それではなぜ、アンドロゲン過剰症が競技に不公平をもたらす生物学的変異として区別されるのか? それは、スポーツをする女性について私たちが持っている根深い固定観念を崩すものだからだ。これはほかの変異では決して見られない。
そしてこうした女性選手の外見が、検証材料となるきっかけとなった。1961年に開発された、悪名高い「多毛スコア」(口の周りや胸など、男性に生えやすい部位の毛の量をチェックするシート)が、アスリートを外見で採点するために IAAF規定の附則に含まれていた(これらの文書は、スポーツ仲裁裁判所の判決に従い、それ以来IAAFのウェブサイトから消去されたが、今でもこちらのサイトで見ることができる)。
2015年、CASはIAAFに、女性アスリートのテストステロンのレベルが競技でどれだけ有利になるのか、相関関係を証明するよう要請した。CASは、テストステロンが増えると競技上有利になるというIAAFの前提は妥当なのかいずれ明らかになるかもしれないが、現状では相関関係があるという根拠が不十分だと明言した。現在、「立証責任」はIAAF側にある。
しかしこの裁定は、むしろスポーツには平等など存在しないと言いたかったのだろう。オリンピック選手は、通常の人間の能力に関するガウス分布曲線の末端からも飛び出しているほど、突出した能力の持ち主たちだ。オリンピック選手がエリートでいられるのは、精神的な強さといった特徴とともに、あらゆる遺伝的、生物学的変異によってもたらされるものだ。だからこそ、彼らはオリンピックの舞台で競い、私たちはそこで彼らの活躍を目にし、耳にする。
IAAFの規則に従えば、 セメンヤやチャンドのような女子選手は、内科疾患がないのに強制的にアンドロゲン抑制治療を受けさせられていたはずだ。チャンドは、「私は私らしくありたい」と言って、治療を拒否した。
アンドロゲン過剰症の女性は数千人いる。この症状は医学的に見ると、健康に直接影響を及ぼすものではない。だからアンドロゲン抑制治療は必要のないもので、かえって健康被害を起こすことがある。アンドロゲン抑制治療を強要するのは、医学的な帝国主義であり、スポーツ界を支配する、男性の覇権主義の直接的な影響だ。エリート・スポーツ界に平等を求める神話と結びついて、こうした考えは、互いに補強し合って、男性と女性を明確に二分する科学的根拠のない優秀な分子を探し続けている。
現実にはこうした女性アスリートたちは、身体能力で他の女性を圧倒しながらも社会が押し付ける規範に適応できない。そして不公平で有利な立場を利用し、生物学的、遺伝的に異常な外見だというに誹謗中傷にさらされ続けている。
スポーツは、政治的なものだ。スポーツは、私たちの社会を映し出す鏡のようなものだ。私たちはこうした矛盾をいつも目にする。ドーピング疑惑、そして国家ぐるみでドーピングに資金提供した国に懲罰を課せられない無力な国際オリンピック委員会 (IOC) だってそうではないか。アンドロゲン過剰症に関するCASの裁定は、スポーツ界にいる女性と、スポーツ界の外にいる女性の問題だ。セメンヤのケースは、彼女がずば抜けて速く走ることができなかったら、起こらなかった問題だ。
私たちの社会は未だに、おそろしく速く走る女性、大きな声で話す女性、優秀すぎる女性、大統領になれる女性を恐れている。これが、この問題の真相だ。スポーツの公正さという議論に騙されてはいけない。スポーツ界に平等など存在しない。今回のオリンピックは試金石でもあり、私たちの社会の現状を、そして健全さを反映したものだ。準備はいいか? セメンヤは準備できている。チャンドは準備できている。行け、キャスター。行け、デュディ。行って、ガラスの天井を破れ。そして世界記録を塗り替えろ。
シルヴィア・カンポレッシ キングス・カレッジ・ロンドン生命倫理学、社会学分野専任講師 (助教)
本論稿は、「ザ・カンバセーション」で発表された。元の論稿を参照のこと。
ハフポストUS版より翻訳しました。