こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
今朝は5時に起きて宮崎を出立して、熊本県益城町のボランティアセンターに向かいました。
とうとう私も、憧れの自民党入りっ!
……なわけはなく、清山議員のご好意で自民党宮崎県連の青年部が企画する、
ボランティアツアーの一員として加えていただきました。
議員が「視察」ではなく実際に現場で汗をかき、
こうした支援活動を継続的に行っているのは素晴らしいと思いますし、
しっかりしている組織は違うなあとつくづく感じました。
8時過ぎに到着したボランティアセンターには、
平日にも関わらず大勢のボランティア希望者たちがズラリ。
ボラセンでの仕事の振り分けとか、東日本大震災のとき以来ですな…
我々に充てられた作業は
「個人宅での瓦(かわら)を中心とするがれきの撤去」
ということで、ボラセンから車で15分ほどの現地へと向かいます。
益城市内は、まだまだこんな感じです…
神社もあからさまに傾いていたりと、
その衝撃の大きさを感じさせる光景が随所に見られました。
納屋が倒壊し、3台の車が埋まってしまったというこちらのお宅。
午前中は重機を扱えるボランティアチームが駆けつけており、
納屋の屋根を引っ張りあげて車内に入って、エンジンがかかった時には
「おおおおおっ!!」
と周囲から大きな歓声が上がりました。
屋根がつぶれ車体がねじ曲がっても走れる、日本の車すごい! ト◯タさんすごい!
そこからは敷地内に屋根瓦をひたすら撤去。
一枚一枚がずっしりと重く、この重みを支える日本住宅の技術に感心するとともに、
それゆえに横揺れに耐え切れなくなった古い建物がぺしゃんこになったのだなあと。
作業の合間に、被災地の状況などをお話いただく。
一度目の大きな地震があった後、多くの方は車中泊をしていましたが、
こちらの家は車が埋まってしまったため、駐車場にブルーシートを敷いて寝ていたそうです。
それでも疲れて熟睡していたところに二度目の「本震」が襲い、
目の前で地面が真っ二つに割れたのだとか。
お、恐ろしすぎる…
先般メディアでも震度7クラスの地震が二回続けてくることを
ほとんどの自治体の防災計画は想定していないことが報じられていましたが、
本当に様々なケースを想定した危機管理の必要性が痛感されました。
ボランティア10人で夕方4時までの作業し、ざっとこれだけの瓦礫を撤去。
神奈川や千葉から駆けつけていたボランティアの方々もおり、
終始和やかな雰囲気で作業を進めることができました。
最後に被災住宅の皆さまと、ボランティアスタッフ全員で。
(Tokyo北区Tシャツが光るぜっ!)
まだまだ作業が残る中、たった一日で帰るのは
非常に心苦しいものがありましたが、少しでもお役に立っていれば幸いです。
※写真はすべて、許可を得て撮影しております
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そして作業終了後は自民党宮崎県連チームと別れ、
飛行機の時間まで熊本市の中心街を散策。
熊本城は立入禁止となっており近くで見ることはできませんでしたが、
遠目でもかなりの被害があることがわかります。
周辺のお店の方に話を聞くと、
「例年は多い外国人観光客がほぼゼロになったのが本当に痛い」
とのことでした。
アーケード商店街は見た限り営業を再開している店が多かったものの、
まだ休業状態になっているところもちらほら。
熊本空港も一部店舗がクローズしているなど、
まだまだ復興道半ばということがひしひしと感じられました。
災害から一ヶ月以上が経過し、東京での報道は舛添問題ばかりで、
熊本震災関連のニュースはめっきり減ってしまいましたが、
このように熊本はまだまだ支援が必要な状況です。
駆け付けられる方はボランティアに。
難しい方は寄付や買い物・観光での経済支援を。
東京都に納税したくない人は(苦笑)、熊本への故郷納税も良いでしょう。
東日本の時とまったく同じになりますけれど、
大災害は一時の熱狂ではなく、息の長い支援が重要です。
現地で見聞きしてきた知見を東京都の防災計画に提言するだけでなく、
私個人も出来る限り、継続して熊本の復興支援に寄り添っていきたいと思います。
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ちなみに東日本大震災でボランティアをしていた時に、
ボラセンでこれは課題だなー改善できるんじゃないかなーと思っていたことが、
5年後の今もやっぱりそのままだったりしましたので、これはまた別の機会に詳述を…。
二日間に渡り貴重な機会を与えていただいた清山県議と、
自民党宮崎県連の皆さまに心から御礼を申し上げます。
(なんかふたりとも黒い。笑)
そして熊本の一刻早い復興を心より祈念し、活動を続けて参ります。
それでは、また明日。
(2016年5月25日「おときた駿オフィシャルブログ」より転載)