去る12月23日に、電通が2016年の「ブラック企業大賞」に選ばれ、26日には厚生労働省の長時間労働削減推進本部(本部長・塩崎恭久厚労省)が、過労死ゼロを目指す緊急対策を公表した。
- 企業に対し、実働時間と自己申告時間の乖離がないよう実態調査を要請
- 長時間労働等に係る企業本社に対する指導、労基署による立ち入り調査の実施
- 是正指導段階での企業名公表制度の強化
- 複数の精神障害の労災認定があった場合、企業に個別指導
- パワハラ防止に向けた周知啓発の徹底
- 産業医への長時間労働者に関する情報提供の義務付け
- 夜間・休日に相談を受け付ける「労働条件相談ホットライン」を毎日開設
などが発表された。
28日、電通と自殺した新入社員の直属の上司が書類送検されるに至り、記者会見の席で石井直社長が来年1月での辞任を表明した。
会見で記者の質問に答えながら、石井社長は、「プロフェッショナリズムの意識が強く、120%の成果を求める社員が多い。仕事を断らない矜持もあり、それらは否定すべきものではない。しかし、それら全てが過剰であり、その社風に施策としての手を打てなかった責任を感じる」と述べた。
中本副社長は、「電通はブラック企業ではない、と声を大にして言いたい。が、世間にそのように思われている事実は真摯に受け止める」とした。
僕は電通に約15年間在籍し、広告制作の現場で働いた経験を踏まえ、「電通はブラック企業ではない」という見方については首肯する。電通は若い働き手を低賃金で使い捨てにしてきたわけではない。
むしろひと時代昔の社員なら「札束で横面を叩かれて働くんだ」と自嘲的に言ったものである。今でも上限までの残業代は支払われ、それを越えてしまった場合でも支払われてきた。それを偽って少なく申告させた事実は、おそらくは人件費の削減が目的というよりも、労基署の目を逃れるため、または上司が責任を問われないための、その場しのぎの誤魔化しであったと考えられる。
ブラックどころか、自由放任が過ぎたのだ。
他の企業は知らないから想像になるが、個人の裁量は大きい。但し、広告主企業の決定が絶対な業界であるため、それを裁量と呼べるのは企画提案段階までで、制作作業に関しては裁量などほとんどない。それでも自由はあった。徹底的に働く自由、ヒマな時はサボる自由。社内外含め、スタッフの力を借りられる自由。悪く言えば、人を使う自由。その使い方もあくまでも自由。
広告企画制作の仕事なら、大まかな手順はあるものの、毎回完全カスタムメイドであるため、「こうすればうまくできる」というシステムやレシピのようなものがあるわけではない。その度にしっちゃかめっちゃかな事態が起こり、めちゃくちゃに崩れたスケジュールとたたかいながら、ビクとも動かない納品日(たとえばオンエア日)になんとか合わせて着地させる。言うなれば、こんな感じの自由だ。
その自由の中で、自由を濫用する人に当たると不幸が起きる。自殺してしまった女性社員を最悪の事例として、それ未満の例であれば大抵の社員は程度の差こそあれ経験はあるはずだ。
電通の人は基本的には仕事が好きであるため、管理職である上司すらも現場を自由に飛び回って不在がちなことも多い。退職することなく何十年も在籍している人は、それだけでもこの仕事を愛している証左とも言えよう。本来は苦しくも楽しい仕事なのだ。
そんな中、困ったことがあっても、相談相手であるべき上司を捕まえることすら難しい状況があるし、基本は自由なので手取り足取り助けてくれることの方が稀である。人間関係が冷たいのとはまた違う。自分のことに忙殺されていると、他者への気遣いができない場面や人格ができてしまう。そして自由に人を傷つける言葉を吐いてしまう。
しかし、それは「いくら腹が減ったからといって、物を盗んで食べてはいけません」と同じ当たり前のことで、今回書類送検された元上司と、その予備軍たちを擁護はできない。
石井社長が話した通り、電通の美点と今回の汚点は表裏一体であった。
だから、今後は広告の仕事は担当の自由な差配に任せっぱなしにはできず、(将来的・究極的には人工頭脳にやらせることも含め)もっとシステマチックになるのか、管理職がその役職通り、厳密に管理しながらイチイチ社員の手綱を締めつつ進めるのか、なんにせよこれまでのような自由は諦めなくてはならないだろう。
僕個人は、電通になんの恨みもない。テレビに映る高橋まつりさんの顔と、会見場に並んだ社長、副社長、人事局長の苦渋に満ちた表情の向こうに見える、これからの電通の姿を想って、二重に哀しい思いがしたのであった。
自由よ。これの使い方を誤った連中が、まつりさんと電通の自由を殺してしまった。