こんな話があるそうです。
賢い馬はレースで結果を出しにくい。反対にバカな馬はレースで120%の実力を出す。そして賢い馬は馬肉として出荷されてしまう運命をたどるのだそうです。なぜ「賢い」「頭がいい」とされる馬がこんな結末になってしまうのでしょうか?
それは賢く「楽」を求めてしまうから。バカな馬は人間に脅かされるままにレースの望みますが、頭のイイ馬は上手にサボるのです。
人間と馬を並列で語るのは微妙ですが、ここに「頭がいい」「賢い」の影があるように感じました。
頭がいいとはなんだろうか?
そもそも頭が良い、賢いとはなんでしょうか?それは如何に効率的に物事を行えるか?に集約されると思います。物事をするのに如何に時間や費用をかけずに達成できるか、ここに頭の良さがあります。
では「より効率的に生きてくには?」と考えたらどうでしょうか?これを突き進めると最小限のリスクと労力で最大限リターンを得るにはどうすれば良いか?という理屈にぶち当たります。
そういう賢い人のよくあるパターンっていうのは、賢すぎて働かないんですよ。楽をすることに頭を使ってますよね。
いかに少ない労力でリターンを得るのを一言で言えば「いかに楽をするか?」ですね。
「夢」を追いかけるのは合理的じゃない
「いかに楽をするか?」の対称にあるのが「夢を追いかける」です。冷たい考え方ですが、全員が夢を叶えることは出来ません。プロ野球選手になれるのも、オリンピックに出場できるのもホンの一握りの。それでも「頑張って夢に近づこう!」という気持ちで突き進む。確率で考えれば、圧倒的に理に適っていない活動なのです。
金融業も、資本主義の仕組みに寄生して利潤をあげるっていうことですよね。頭のいい人ってそういうことをやるんですよ。じゃあ、頭のわるい人はなにをするかって言ったら、夢を追いかけちゃうわけで。
これが高じて「夢」や「やりがい」を追いかける人々を使い捨ての物のように扱うと、やりがいの搾取という話にも関係してきますね。
果たして世界レベルの有名選手になるのと、東大卒で大手金融機関に就職するの、どちらの可能性が高いでしょうか?
効率を無視した活動にこそ、豊かさがあるのでは?
合理的に考えて生きれば「リスク」を避けて必要最小限の労力でリターンを得られるかも知れません。しかしここには「楽しさ」という基準がが欠如していると思います。
「楽しい」と「楽をする」は同じ漢字ではありますが全く意味は違います。楽をするだけの楽しみは一時的なモノ。時間を忘れて物事に没頭する「不合理」「無意味」「リスク」な時間からこそ、楽しさは生まれるのではないでしょうか。
楽しく仕事をしたいと願う人は大勢います。でも、〝楽〟に仕事をしようとすると、その人は楽しく仕事ができなくなります。仕事で追求すべきは〝楽〟ではなく〝快〟です。それを追求するからこそ、仕事が楽しくなるのです。 この意識の差が、その仕事を「面白い仕事」にするか「つまらない仕事」にするかの差になるのです。
好きこそものの上手なれ、人は楽しいことをしている時に爆発的な能力やクリエイティビティを発揮すると思います。
合理性や効率を追い求める「頭のいい」も悪いことじゃありません。一方で「頭の悪い」は人生を楽しむのに重要な要素なのだと思います。