「日本には来ないといいけど。」エボラウィルスに対する日本国民の今の素の感情は、おおむねこんなところではないだろうか。幸い、まだ感染報告のない現在の日本。まだまだ対岸の火事のような感覚がある。
今日は、その対岸のことをあと一歩だけ進んで考えてみるのはいかがだろう。10月19日(日)東京・青山で、アフリカ・エボラ対策支援のための民間ボランティアによるチャリティーイベントが開催された(エボラ緊急支援チャリティパーティ@青山「アフリカを体験しませんか?」 主催・ダイヤモンド・フォー・ピース)。
本稿ではイベントの模様をお伝えしつつ、私たち一般の日本人にできることを考える機会としてみたい。
■世界でもっともエボラ患者が増えているリベリア
このイベントが支援対象としたのは、現在、驚異的な勢いで患者数が増えているリベリアだ。2014年10月17日現在のWHO(世界保健機関)発表によると、リベリアにおける患者数は4,262人、死者の数は2,484人。
隣国ギニアの患者数1,519人(死亡者数862人)、シオラレオネの患者数3,410人(死亡者数1,200人)と比較しても、リベリアにおけるエボラの猛威を容易に想像できるだろう。
このイベントの主催者はダイヤモンド・フォー・ピースというダイヤモンドのフェアトレードを行う非営利団体(NPO登記申請中)だが、支援に乗り出すきっかけとなったのは、本業を通じて交友のある現地の政府関係者からの依頼を受けてのことだった。
とかく、寄付金や支援物資は途上国では横流しの憂き目にあいがちであるが、この活動を通じて得られた支援金はリベリア・ジェンダー開発省で女性・児童の人権保護対策に従事するウォロバ・モモル氏と、現在エボラウィルスの感染を水際で食い止める最前線にある「バポル州」の州立病院院長マイケル・ワシントン氏に直接渡されることになると言う。
■リベリアにおけるウィルス拡散の理由
同イベントで行われた現状紹介プレゼンテーションによると、リベリアでエボラウィルスか急拡大している理由は主に次の5つであり、この5つが鎖状につながっていることにある。
1.エボラウィルス病についての知識不足
エボラウィルス病の初期症状は「風邪」に似ている。リベリアの医療関係者にエボラウィルス病の知識が足りなかったために、風邪と誤って診断してしまった状況が多々あったそうだ。また、いざエボラウィルス病を疑ったところで、その正しい対処方法も徹底されていないし、さらに言えば100%の解明もされていない。
2.森林の野生動物を食べる習慣
熱帯雨林に生息するサルやコウモリなどの野生動物はブッシュミートと呼ばれ、リベリア住民にとってはごちそうだ。しかし、ブッシュミートのうち、とりわけコウモリはエボラウィルスの感染源のひとつとして疑われている。
リベリア政府はブッシュミートの食用を禁止したが、後述するリベリア独特の政府への不信感情のために、住民は容易にごちそうをあきらめたりはしなかったのだ。
3.政府への不信感
リベリアは14年もの間、長い内戦状態にあった。そのせいで、政府がいくらエボラ対策を打ち出しても、なかなか国民はその指示に従おうとはしなかった。「エボラは実際には存在しない。政府が国民を貶めようとデマを流しているのだ。」そんな風に今でも本気で思っている人たちがいる。
リベリア政府はここまで、ウィルス拡大を指をくわえて見ていたわけではない。エボラウィルス病治療の専門施設の建設をすすめ、国境を封鎖し、人の移動を制限し、考えうる限りの対策は打っている。しかし、残念ながら国民からの不信感が、これら施策のスムーズな運営を妨げてしまった。
4.土葬の文化
「死者は復活する」と信じるリベリア国民は火葬ではなく土葬で死者を弔う。死者の体をきれいに洗って埋葬するのもこの地の風習だ。しかし、エボラウィルスの量が最大値に達するのが実はこの死亡時である。つまり、埋葬の行為を通じて、その家族が感染してしまうのだ。
5.首都の乗合タクシー
首都モンロビアで住民の足となっている乗合タクシーがウィルス感染の温床になっているとも言われている。不特定多数の人間が箱詰めになって乗るリベリア流乗合タクシーの場合、そのなかに感染者がいたとしても誰にもわからない。
同乗者はもちろん、車内に残ったウィルスは消毒されないまま次の客をのせ、また移動する。まさにタクシーは「殺人ウィルスの運び屋」となっているわけである。
ちなみに同イベントで集まった支援金は、主にこれらタクシーへの殺菌・消毒用品の提供、および、先述のバポル州立病院への薬品ほか必要物資(手術用手袋、殺菌用品、抗生物質、下痢止め薬、鎮痛剤、抗不安剤、かゆみ止め、解熱剤、制酸剤、抗けいれん薬など)の提供資金になるそうだ。
■日本人がいまできること
日本政府は4500万ドルの支援を表明し、専門家をこれまでに4人派遣し、今後追加で2名の専門家を派遣するとしている。上記のような民間のチャリティーは今後全国で増えていくのではとも推測する。
支援活動するしないに関わらず、このエボラウィルスという世界的脅威について、私たち一人ひとり何ができるのか、思案するタイミングが来ているのではないかと考える。
筆者は日ごろ、留学や国際交流をテーマに執筆しており、最近は必ずそこに「グローバル人材」という言葉がつきまとう。日本ではとかく「日本の発展のために世界で活躍できる人」をグローバル人材として語ることが多いが、筆者は少し違った考えを持っている。
地球規模でみれば、そもそも、人は誰しも生まれながらにしてグローバルな存在であり、なろうとしなくてもすでにグローバル人だ。もちろん文化の担い手として、あるいは便宜上のパスポートとして「○○人」という括りはあるが、地理の話に限ればみんな地球上に生きてるグローバル人だろう。
そのなかで「世界のために世界に貢献できる人」や「世界のために日本で貢献できる人」「世界のために自宅で貢献できる人」など多様な活躍があるのがこれからの社会だ。
エボラウィルスは、人類の敵だ。今起きているこの世界的脅威を対岸の火事ではなく、わが隣人に起きていることとしてとらえること。それこそが、グローバル人としての私たち一人ひとりに問われている気がする。
専門家は専門家のシゴトをする。私たち、ふつうの日本人は、まずは「エボラ怖いよね。」のもう一歩先として「エボラをもっと知ろう。」「テレビのニュース以上に知ろう。」から始めるのも良いのではなかろうか。
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若松千枝加 留学ジャーナリスト