■アップル社の自動運転への参画
2月7日付けの日経新聞電子版に、アップル社が『車を自動運転する技術の開発に入った』との報道があった。アップル社と自動車の関係については、CarPlayという、iPhoneを車のインターフェイスにして、かつ、車のテレマティクス装置と連動させるようなシステムがあるが、さらにもう一歩前に出る決断をしたようだ。
もっとも、市場の反応はいたって冷静で、この報道に取り立てて過敏に反応しているとは言えない。それも無理はない。残念ながら、スティーブ・ジョブズ亡き後のアップルには新領域を荒々しく開拓していくようなパワーもオーラも感じられなくなったと言わざるを得ない。
まして自動運転車というのは、本気で実現しようと思うなら過酷なハードルをいくつも超えて行く必要がある難行だ。ジョブズが生きていて全力投球したところで、成功できるかどうかわからない。しかも、万全の構えで臨んだはずの『地図』も一敗地に塗れたことは記憶に新しい。アップルがどこまで本気でやる気があるのか、いぶかる向きが多いのも当然といえる。
にも関わらず、この動向は重要なシンボリックな一歩と見て、重視する向きもまた少なくない。かつてアップルがiPhoneを市場に投入するやいなや、競合していた日本のフィーチャー・フォン(ガラケー)のみならず、周辺のデバイス(デジタルカメラ等)まであっというまに窮地に追い込んでしまった。
これと同じことが自動車でも起きるのではないかとの思いは今や関係者が共通して抱いている懸念と言っても過言ではないだろう。スマートフォン(スマホ)の一方の雄であるGoogleは、すでに自動運転車の準備では、既存の自動車会社を圧倒しているように見える。正味どういう状況にあると言えるのか、自分が現在認識している範囲ではあるが、思うところを述べてみようと思う。
■内燃機関を制御している強み
自動車の場合、スマホと比較すると、人の命を左右する製品ということもあり、安全性/安全基準の要求が格段に高い。その厳しい基準を満たすことを前提として、一方で部品のコストを最小限に押さえ、しかもトータルの乗り心地(静粛性、走行安定性、ハンドリング等)を良くしていく必要がある。
そもそも、ガソリンエンジンのような内燃機関は、『ガス爆発』によって推進力を得ているとも言えるわけで、効率は悪く、振動は大きく、音も大きい。部品点数は多く、当然工程は長い(自動車:約3万点、スマホ:約1000点)。この変数が多く複雑な方程式の最適解を得ることは非常に難しく、そういう意味では長年の蓄積のある現行の自動車メーカーの牙城は高い。
ところが、巷間噂されるように、仮に自動車のエンジンが電気モーターになれば、この難易度はかなり下がることは間違いない。工程も短くなり、汎用部品を利用して組み上げるだけでも、かなりのレベルの自動車が出来上がると言われている。汎用部品を買ってきて組み上げれば、そこそこの性能のパソコンを組み上げることができるのと同じ理屈だ。
もっとも、パソコンでも、精緻に統合され、美しいデザインパッケージにつつまれたアップルのパソコンと、様々なベンダーの部品を寄せ集めて作られたパソコンがまったく違うのと同じように、いかに電気自動車であれ、製品の作り込みについては、既存の自動車会社に一日の長があることは間違いない。とはいえ、米国のベンチャー企業であるテスラモーターズが、他業種から参入して優れた自動車をつくりあげてきた例にも見られるように、他業種からの参入が相当程度に容易になることは確かだろう。
■電気自動車は普及する?
だが、本当に電気自動車は早期に普及するのだろうか。特に今の日本の市場を見ているとそんな声が彼方此方から聞こえてきそうだ。日産自動車のリーフや、三菱自動車のアイミーブ等、日本でも電気自動車(リチウムイオン電池車)が鳴り物入りで市場投入されたが、予定通り売れているとは言いがたい。
一方で、ガソリンエンジンに電気モーターを組み合わせるという、導入当初は不自然で苦肉の策に見えたハイブリッド車は、2014年の上半期にはとうとうトヨタの国内販売の過半を超えた。苦節16年半、堂々たる存在になりあがった。次期プリウスなど、40km/L超の燃費を達成する見込みだという。これで十分ではないか、そう思う人がほとんどかもしれない。
しかしながら、これにはすでにある程度結論が出ていて、米国のカリフォルニア州やEUの排ガス規制に適合するためには、どんなに引っ張っても、2025年、実行上は、2020年位までに、かなりの数の電気自動車(あるいは燃料電池車)のラインアップを揃えて、実際に販売するしかない。特に、カリフォルニア州のCARB(大気資源局)は、すでに施行されているZEV(Zero Emission Vehicle)規制を2018年より大幅に強化し、しかもハイブリッド車をZEV車とは認めないと宣言した。
さらには、もはや政治的なロビーイングが機能する余地はないようだ。台数による規模の経済性が競合力に直結する自動車会社にとっては、米国や欧州のような大市場を失っては壊滅的なダメージになるから、生き残りたければ対応するしかない。
将来的には燃料電池車を主力とすることを宣言したトヨタを含め、近未来の対処策はリチウムイオン電池をベースとした電気自動車、また、もう少し現実的な手段として、プラグインハイブリッド車(直接コンセントから充電できるタイプのハイブリッドカー)が急速に増えていくことはもはや決定的だ。このように、今後、既存の自動車会社の最大の強みである、『内燃機関を制御していること』の有利さは急速に縮小していくことになると考える。
■インターフェイス/テレマティクスサービス
インターフェイス/テレマティクスサービスについては、もう大方勝負は決していると言っても過言ではあるまい。これこそ、スマホがガラケーを圧倒した構図とそっくりだ。従来の車載カーナビ/テレビ/オーディオは、自動車用に最適解されたGoogleのAndroid(Android Auto)やアップルのiPhone(CarPlay)に将来に渡って対抗できるとは考えにくい。
自動車会社が提供するテレマティクスサービスといえば、代表格としてトヨタのG-Bookがあるが、残念ながらすでに陳腐化していると言わざるを得ない。後継と思われる、T-Connect というサービスが昨年夏に発表されたが、スタンダード化することは考えにくい。
一方で、AndroidやiPhoneの、インターフェイスの洗練度、Siriなどの音声認識の熟成度、大量のコンテンツとエコシステム、バックヤードのクラウドとの連動性の良さ、優れたクラウド分析に基づくサービス、課金システムの完成度等、どれをとっても圧倒的だ。
しかも、それぞれの機能やサービスの相互の連動性も良く、参加者も多いから、価値が加速度的に上がっていくことが期待できる。そもそも、これほど日常生活の必須アイテムになったスマホなのだから、自分のスマホをそのまま車にも持ち込みたいとユーザーが考えるのは当然だ(私だってそうだ)。今後、通信インフラも5Gに向け進化すれば、ますます盤石になることは目に見えている。
■本格化する汎用カーコンピューティング
自動車の走る/止まる/曲がるといった制御系システムについては、車両内に搭載されている各電子制御ユニットをつなぐ車載LAN規格としてCAN(Controller Area Network)という規格がデファクトになっている。この信号を読み取って自動車の機能の自己診断/管理するための規格にOBD(On-Board Diagnostics)という規格があって、現在では米国、欧州で販売されるほとんどの車両には、OBD2仕様の自己診断機能の搭載が義務づけられ、特に米国では2008年以降に国内で販売されるすべての乗用車、小型トラックにCAN規格の採用も義務づけられた。日本でも2008年10月以降に生産/型式認定される乗用車および小型トラックにはOBD2仕様の自己診断機能の搭載が義務づけられている。
これを受けて、最近ではOBD2のデータを読み取って、Android端末等にBluetooth でデータをとばす製品も安価で発売されており、自車の制御系の情報をスマホで簡単に読み取れるサービスも展開されてきている。いよいよ、スマホと自動車のテレマティクスが相互に、しかも簡単に繋がる時代がやってきたといえる。スマホベースの本格的なカーコンピューティング時代の幕開けとも言ってもいい。
加えて、今後急速に展開が進むと考えられている、IoT(Internet of Things、モノのインターネット)デバイスによって、あらゆるモノがインターネットで繋がっていくことが予想されているが(2020年までに世界で2120億個に達するという予測もある)、これは、当然自動車に波及し、あらゆるモノが発信するデータと車載コンピューターが繋がることは既定路線といっていい。まさに無限の可能性が開けている。
これらを最大限有効活用していくにあたっては、パソコンやスマホで実績を持ち、クラウドへの情報蓄積と分析に長けたGoogle 等のIT系企業が主導すると考えるのは自然なことだろう。しかも、このシステムが発展すればするほど、ハッキングによる自動車の乗っ取りという頭の痛い問題への対処が不可避になる。こちらもIT系企業にとっては日常茶飯事だ。ところが、既存の自動車会社はこの辺りのセンシティブな問題にもあまり敏感に対処できているとは言い難い。
■ハッキングへの対処
ハッキングによる自動車の乗っ取りという点では、2013年に行われた実験が知られている。
Forbesによると、自動車乗っ取りのデモを実行したのはTwitterのセキュリティ研究者チャーリー・ミラー氏と、米セキュリティ企業IOActiveのクリス・バラセク氏。米国防高等研究計画局(DARPA)から8万ドルの助成を受けて、自動車のセキュリティ問題を研究している。実験には、Forbesのアンディ・グリーンバーグ記者が運転するFordの「エスケープ」とトヨタの「プリウス」を利用した。ミラー氏らは、両車に搭載されているソフトウェアをリバースエンジニアリングし、後部座席でコンピュータを操作してコマンドを送信。警笛を勝手に鳴らしたり、高速走行中に急ブレーキをかけさせたりできることを実証した。さらに、ハンドルを操作したり、GPSを誤作動させたり、スピード計や走行距離計の数値をいじったりすることもできたという。研究の狙いは、車の自動化が進み、インターネット接続機能が普及する中で、「車は鉄とガラスでできた単純なマシンではなく、ハッキング可能なネットワークコンピュータでもある」という現実を見せつけることにあるという。
自動車の電子制御はこの後も急速に進んで来ている一方で、既存の自動車会社によるセキュリティ対策は追いついていないことがつい最近も米国の上院議員から報告された。
米上院議員のEdward Markey氏(民主党、マサチューセッツ州選出)が米国時間2月9日に発表した報告書では、自動車メーカーがわれわれの運転に関する傾向や癖に関するデータ収集を進める中、サイバーセキュリティ対策の甘さから、自動車はハッキングの可能性に、そして、ドライバーはプライバシー侵害の危険性にさらされていることが詳細に解説されている。(中略)自動車メーカーはこうしたハッキングを真剣に受け止めていないとも指摘している。
サービス性の向上、セキュリティ対策、どちらの側から見ても、Google等のIT系企業が本格参入すれば、主導権がどちらにあるかは火を見るより明かだ。
■IT系人材の特性
トヨタのように、投資余力の大きな自動車会社は、元GoogleやAppleの優秀な人材を引き抜いたり、IT系の優秀な会社を丸ごと買収すればよいのでは、という意見も散見するが、これは業界の事情を知れば『笑止』というしかない。
シリコンバレーに参集するような優れたエンジニアが、いかに独立心が旺盛で、自由な気風を重視し、優れたカリスマやレベルの高いエンジニアと共に仕事をする事に何より価値を置くのか、という現実を知らないことを暴露してしまっているように見えるからだ。
唯一、元アップルの優秀なエンジニアを大量に引き抜いている自動車会社がある。カリスマ、イーロン・マスクが率いる、テスラモーターズだ。同社には総勢150名の元アップルのエンジニアが在籍している。逆にアップルは25万ドル(約3,000万円)のボーナスつけて60%の昇給を約束してもテスラからは引き抜けないという。
理由は、時にスティーブ・ジョブズを彷彿とさせるイーロン・マスクの存在だ。アップルほどの企業でも、ジョブズ亡き後はエンジニアを惹き付けておくのが容易ではないことをこの事例は雄弁に物語っている。
■次元の違う策の必要性
そして、現在、高度なアルゴリズム/人工知能を駆使する、IT技術の塊のような自動運転システム導入を巡って、既存の自動車会社とGoogleのようなIT系企業が争っている。長々と書いて来た私の駄文を読まれたあなたは、どちらが勝つと思われるだろうか。
私自身は、古巣が自動車会社ということもあるが、それ以上に日本のためにも、既存の自動車会社には本当に頑張って欲しいと考えている。ただし、そのためには、徹底的に今起きている現実を知って、従前の対処策とは次元の違う策を講じていくしかないと思う。そのためにこの一文がほんの少しでも寄与することを心より願う。
(2015年2月14日「風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る」より転載)