■育児の悩みは「わがまま」なのか「正当な怒り」なのか
育児に関する悩みは、自分が悪いのか、社会が悪いのか、旦那や妻が悪いのか、はっきりしない。
なぜだっこしている間はスヤスヤ寝ているのに、ベッドに乗せたとたん、泣き出すのか。ミルクのあとのゲップが出るまで仕事ができない。今ごろ会社の人たちは飲み会をやっているのだろうか。保育園の申請書類を書くのは面倒だな、満員の所ばかりだ、生まれる前から保育園の情報収集をしてこなかった私や仕事をしている私たち夫婦がいけない、のだろうか--。
私は子供が生まれた8年前から、育児に関する、戸惑い、哀しみ、喜びなどの個人的感情を全部捨てずに、心の中で冷凍保存して生きてきた。誰が悪いのか、単なる甘えなのか分からない。しかし、それを貯めて、たまにそれを解凍して思い出す。
自分の「個人的な悩み」をもとに社会を見つめ、問題意識を育む。2017年に入ってますます、社会に住む私たちひとり一人の「自分の関心事」が大きなパワーになると思っている。
■国をゆるがした「保育園落ちた死ね!!!」
2016年は、子育て世代の苦しみを吐露した匿名ブログ「保育園落ちた死ね!!!」が日本で話題になり、安倍晋三首相を巻き込んだ論戦に発展した。ハフィントンポストはブログを書いた本人に直接取材した。都内在住で30代前半(当時)の女性で、男の子1人。保育園に入れられなかったので、仕事をやめた。
ブログを書いた理由について、「勢いですね。保育園が落ちた時の気持ちを感情のまま独り言のようなつもりで書きました」と答えている。「(反響に)非常に驚いています」「誰かに読んでもらうという事は想定していなかったので。ただ実際に声を上げ行動をする事で変わる事もあるんだなと実感しています」。
まずは怒りや哀しみ、喜びなど「自分の関心事」から出発する。これはとても大事な立ち位置なのではないか。安倍内閣が推し進める「女性活躍」や「起業の後押し」、「副業のすすめ」などの施策は、働き手を増やすことによる「経済成長」というマクロな狙いがある。しかし、そうした施策を支える根本には、「組織や慣習に縛られず、自分らしく働きたい」という、ミクロの、個人の欲望がある。
「保育園落ちた死ね!!!」から数ヶ月後。ハフィントンポストはYoung Voiceという企画を立ち上げて、20歳前後の若者を連れて、与野党の政治家に片っ端からインタビューをした。ある自民党議員が私に言った。
「『保育園死ね』のように、いちいち日本人全員のブログをを気にしていたらキリがない。でも、昔の政治のように、単に業界団体の『代表』の声だけを聞いていたら、有権者からそっぽを向かれる」。「まとまった意見」より、ある個人が発した「悩み」にこそ現代社会のヒントが隠れている。
■「私」「私」「私」のデモクラシー
アメリカの雑誌「SUCCESS」。大企業や大きな組織ではなく、"個人が主役"の経済圏が出来たことを指し、「YOU ECONOMY (あなた経済)」と表紙に掲げた
政治哲学が専門の宇野重規氏は「<私>時代のデモクラシー」(岩波新書)で、現代社会の担い手として、「市民」という言葉を使わずに「私」というキーワードを使っている。しっくりくる。あなたは「民主主義を支える市民です」と言われてもピンとこないが、この文章をいま、この瞬間に読んでいるあなたも<私>、書いているのも<私>。たくさんの<私>が集まって、社会が出来ているイメージだ。<私>は一人ひとり違い、本当にカラフルで多様で、バラバラだ。
宇野氏も解説しているが、これは良い悪いは別として、こういう時代になってしまった、ということは自明だ。歴史をみると、これまで人を縛り付けてきた伝統とか王様や神様がいなくなり、個人の自由が解放され、近代社会が出来てきた。スマホやインターネットなどのテクノロジーによって、自分ひとりで出来ることが増えたことも後押ししている。
宇野氏は社会理論家のジーグムント・バウマンに触れながら、「もはや社会的な理想は力をもたず、もっぱら一人ひとりの<私>の選択こそが強調されるのが、今の時代」と指摘する。
■個人の力
ハフィントンポストは、「個人の力」で発展してきたメディアだ。2017年1月時点でFacebookが31万いいね、Twitterが24万フォロワー、LINEのお友達が26万になった。2000年代後半から、読者がスマホ(家の電話ではなく、
こうした数字などの1年の振り返りを受けて、ハフィントンポストでは2016年12月19日、メンバーを数人ずつ4グループに分けて、どんなメディアでありたいかを議論した。
・「私のためのニュースサイト」
・「読者の味方になるメディア」
・「(一人ひとりの)人生を肯定するサイト」
・「(一人ひとりの)日常生活の殻を打ち破れるサイト」
4グループは数十分間、お互い別々に話し合ったにもかかわらず、上記のような、同じ方向を向いた意見が出てきた。子育て中のメンバーもいたので、小さな女の子を交えて会議をした影響もあるかもしれない。柔らかい意見がたくさん出た。
■「多様性は、夜の街で十分」
そういえば、あるゲイの知人が私に言った。「自分は、別にゲイであることをおおっぴらに言うことがいいと思わない」。彼は、広くカミングアウトをしていない。酔っ払いながらの、男同士の「ゲスい話」も得意だ。
「みんなが自分の個性を主張しても仕方ない。それに、そんなことしたらワガママばかり通って社会がバラバラになる」。「私」より、「みんなと一緒」の方が楽なのか。「みんなと一緒でいるのは時々きついよ。でもその分、夜の街で自分の性を楽しんでいる。多様性は隠れて発揮すればいい」。そんなことを私に言った。
ここで、私の「自分の関心」に戻ってみる。先ほど育児の話をしたが、もう少し過去にさかのぼって思い出してみると、子どもの頃は、アメリカで生まれ育ったが、中学生のときに母親がガンになり、髪がどんどん抜けていき、同時に心もダメージを受けているのを見た。女性にとって「カラダのパーツ」が持つ特別な意味を今でも感じている。
母が死んだので、日本に帰ってきて、原稿用紙という意味がない紙をつかって文章をつくる国語教育がイヤでイヤで仕方なかった。帰国子女を馬鹿にする教諭もいた。会社に入ったら飲み会の会話が苦痛だった。育児休暇を取った男性を取材したことをきっかけに、日本の子育て政策に関心を持ち、私も育児休暇を8年前に4カ月とった。
■自分に関心がある
子どもがいると部屋が片付かずイライラ。しかしゴチャゴチャ感も実は面白い
私は自分に強い関心を持っている。しかも、それを、つきつめて誰かにぶつける。それは自己中心的でわがままな人が増えることを意味するのか。分からない。しかし、そこを突き詰めていくことで、他人や社会への「同感」や「共感」が生まれるのではないかと思っている。自分の欲望と極端なほど向き合い、それを素直に吐露し、そしてその実現のために必要な他人の力を受け止め、いや、突き詰めれば突き詰めるほど「これを感じている人は他にもいるのではないか」という考えも生まれる、のではないか。
「●●の気持ちを考えているのか」「●●の立場で行動してみろ」。そんな「他人の気持ちを忖度する」言葉を誰かに投げかける前に、まず「私はこう思っている」「私の気持ちや立場は何なのか」と言ってみる。<私>を知らないと他人への共感も生まれない。
もちろん「私」を露わにすることに抵抗がある人もいる。多様性が必ずしも社会にとって良くないのではないのかという疑念もどこかである。しかし、私は、少なくとも日本では、多様性のカラフルさ、多様性がもたらす爆発力を、まだまだ感じられていないのではないかという、単なる直感がある。EUの一部の政治やトランプ次期大統領の誕生で見られたように、誰かを「排除」したくなるほど、多様性のパワーは日本社会で発揮されていない。
楽観的過ぎるだろうか。
■2017年のハフィントンポスト
編集部員の子供も編集会議に"参加"した。ホワイトボードで案出しも手伝ってくれた
私にとってメディアとは、赤の他人の「自分の関心事」を知るためのツールである。しかも、その本人に直接会いに行かずとも、適度な距離をもって、心の中をのぞき込める。
だからネットメディアを隅々まで読み、新聞、テレビ、ラジオに触れ、雑誌をめくる。少し楽をして多様性に触れられる。
2017年のハフィントンポストは、普通の発信だけでなく、以下のような方法で、個々人の「自分の関心事」を可視化し、ポップにみんなで会話をしたい。
①ハフィントンポストの「生っぽい」「ライブ感のある」イベントを増やしたい。LGBTの人が就職しやすい会社づくりのために10の解決策を考えたこのイベントのように、参加者がポジティブなメッセージを受け止め、同時に私たちメディアが読者から学ぶ集まり。「市役所のイベント(ごめんなさい、市役所さん)」っぽくなく、音楽ライブみたいなやつ、それを発信する。
②記事の新しいジャンルをつくる。日本の新聞には「政治コーナー」「経済コーナー」「事件や事故のコーナ−」の欄がある。古くからある、記者クラブに基づいた「棲み分け」。それぞれのコーナーに無理矢理ニュースを押し込め、デジタル時代も、それを引きずっている。
しかし、政治「だけ」にかかわる話題なんて、ない。誰かが自殺した----。事件か事故なのか。政治の不備や、経済格差も関わりはないのか。メディアのジャンル分け方はもう時代遅れなのかもしれない。
ハフィントンポストのUK(英国)版は、Builiding Modern Men(現代の男たち)というジャンルをつくり、男性の心の悩みや自殺を扱っている。「政治」や「経済」などメディア側の分け方の都合を飛び越えたリアルな、みんなの「自分の関心事」がつまった記事。
2017年、日本のハフィントンポストでも3つ4つ、あたらしいジャンルをつくりたい。編集主幹の長野智子が言うように、そのジャンルが「政治の場で取り上げられる」ことにつなげるのが目標だ。
③自分たちの職場の働きかたを多様にする。社内には、赤ん坊が生まれたばかりの仲間がいるし、仕事のあとの時間を使って大学院で勉強をしている仲間もいる。自宅から仕事をしないといけない事情も、人生では起こる。代替要員が多くいて、制度が整っている大企業と違って、ハフィントンポストは20人前後しかいない会社。でも、できることからやるしかない。
最後になりましたが、2017年も、ハフィントンポストを何とぞよろしくお願います。みなさまもすてきな1年をお送りください。