「あなたもがんをみとる=死に直面する厳しさ」というネットニュースを読んで、NHKのドキュメンタリー番組「ありのままの最期 末期がんの"看取り医師" 死までの450日」を思い出しました。「究極の理想の死」を撮影しようと、カメラを回し続けたディレクターが最後にたどり着いたのは、「理想の死に方などないのではないか」という結論でした。
堀米香奈子 ロハス・メディカル専任編集委員
記事では、がんの痛みや治療の副作用を和らげる緩和ケア(詳しくはこちら⇒がん③「緩和ケア なぜ大事のか」)や支持療法の発達で、患者が最期の数週間まで見た目には大きな変化なく生活できるようになったとした上で、
しかし、そのような状態は最期まで続くことはない。強い倦怠感や食欲の低下に始まり、筋力の低下によりトイレに一人で行けなくなったり立ち上がれなくなったりといった活動量の低下が続く。このような変化に患者も家族も当惑しているうちに、意識が薄れて起きているのか眠っているのか分からない状態や、時間や空間の認識が難しくなる「せん妄」という状態が、8割近くの患者に生じてしまうという。
患者は体調の激変に戸惑い、不安になり、本来の意思とは反する言動を取ってしまうこともある。周囲の家族はそのときの発言や態度が、死を迎えて表に出た患者の本心だと思い、患者の死後も引きずる心の傷を負ってしまう。
としています。また、がん告知に対する本人や家族のショック(詳しくはこちら⇒がん⑫「大事な決断 支える情報」)についても触れ、迫る死を受け入れられない人が多いことを指摘しています。
そうした本人と家族の現実をそのまま映し出したのが、冒頭のドキュメンタリー番組「ありのままの最期 末期がんの"看取り医師" 死までの450日」でした。
田中雅博さん(当時69歳)は、医師として、僧侶として終末期の患者千人以上に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」。それが、遡ること2年前、末期のすい臓がんで余命わずかと宣告されたのです。田中さんは最後まで、取材NGなしで、撮影に応じました。ご本人も、自身の多くの看取り経験から、自分は「理想の死」を迎えよう、迎えられるだろう、と考えていたのです。しかし、ご本人がこれまで数多く看取ってこられた老衰とは違うのが、がんという病気でした。記事にあるようなせん妄や、いつも穏やかな田中さんとは思えない苛立った姿など、非常にリアルな‟最期の姿"がそこにありました。
それ以上に、同じく医師である奥様の姿は印象的でした。近づいてくる夫の死をありのままに受け止め、受け入れる覚悟でいたはずでした。告知後も夫が元気なうちは、延命措置は考えていないようでした。しかし、夫の最期の最期の時、彼女は必死で夫の命をつなぎとめようとします。これが家族の死というものだ、と思いました。頭で分かっていることと、心で分かると言うことの隔たり、人間とはこういうものだ、と感じました。
たしかに取材ディレクターの言う通り、がん患者に「究極の理想の死」などないのかもしれない、と私も思います。だから「究極の理想の看取り」もない。患者本人にとっては、死に方より生き方、元気でいられるうちの昨日より今日、なんだろうな、と思います。そして、「死」が問題になるのは、本人よりむしろ家族や看取る側の話。大事な人の死を受け入れること、そのプロセスの話。もちろん、どう受け入れたら良いか、こうするべき、なんていうのは絶対になくて、人それぞれに、時間を掛けながら、悲しんだり、もしかしたら苦しみながら、受け入れていくものなのだ、と思ったのでした。
(2017年11月13日「ロバスト・ヘルス」より転載)