STAP細胞の話題に関連して、東京大学の伊東乾先生が、以下のようなツイートをしていらっしゃいました。
伊東先生が気になっていらっしゃるのは、今話題のSTAP細胞と特許の問題、特に、小保方博士が「現在開発中の効率の良いSTAP細胞作製の酸処理溶液のレシピや実験手順につきましては、所属機関の知的財産であることや特許等の事情もあり、現時点では私個人からすべてを公表できないことをご理解いただきたく存じます」とお話になっていたことについてかと思います。
STAP細胞と特許というのは、弁理士である私にとっても非常に興味深いテーマです。また、多くの方の関心も集めているようです。
そこで、伊東先生のツイートをきっかけに、このエントリを書き始めました。
このテーマに関しては、既に栗原潔先生がいくつか記事を書いていらっしゃいます。
これだけ充実した解説がある上に、屋上屋を架すようで恐縮ですが、私も少し考えてみたいと思います。
STAP細胞に関する学術論文の発表と特許出願の経緯
まず、少し、経緯を振り返ってみましょう。
STAP細胞の発見については2014年1月30日にNatureに学術論文が2報掲載され、大ニュースとなりました。このことは、まだ記憶に新しいと思います。
一方、Natureに論文が掲載される前である2013年4月24日に、STAP細胞の発明について、既に特許の国際出願がされています。この国際出願の内容は、2013年10月31日に公開されているので、誰でも読むことができます(たとえばここ)。ちなみに、筆頭発明者は小保方博士ではなく、バカンティ氏となっています。
国際出願について実際に特許権を得るためには、特許権を得たいと思う国ごとに「国内移行」という手続を行って、審査を経て許可される必要があります。小保方博士らの国際出願に係る発明については、まだどこの国でも権利化はされていないようです。
なお、この国際出願のさらに前に、米国において基礎となる発明についての特許出願が2つされていて、国際出願はそれらの米国出願について優先権を主張するものですが、この点については、今は忘れてかまいません。
特許権の取得の手続が障害となって、STAP細胞を作製するためのコツを公開できないということがあるのか?
さて、本題に入りましょう。
「特許の問題があるから、STAP細胞を作製するためのコツは今は公開できない」ということがありうるのでしょうか。
この問題についての答えは、そのコツが、国際出願の特許明細書(発明の内容を詳しく説明した書類)に記載されているものであるかどうかで、変わってくると思います。
以下、ご説明します。
「STAP細胞を作製するためのコツ」が、国際出願の特許明細書に記載されているものである場合
この場合、再現実験のためにそのコツを改めて説明しても、特許権の取得の障害となることはないと考えます。
よく知られているように、特許の出願前に既にその発明が知られていた場合(「新規性がない」)や、既に知られていた方法に基づいて、誰でも簡単にその発明を思いつけるようなものであった場合(「進歩性がない」)は、出願に係る発明の特許性は否定され、特許権を得ることはできません。
でも、今回の場合、小保方博士らは既に国際出願を済ませています。ですから、その出願の特許明細書に記載された内容に基づいてコツを説明したからといって、その説明によって、出願に係る発明の新規性や進歩性が否定されるということはありません。
ただし、「STAP細胞を作製するためには必ず行わなければならない工程や条件がある」ことが「STAP細胞を作製するためのコツ」であるような場合は、それを明らかにするような発表をすることによって、得られる特許権の範囲が狭くなる可能性があります。
特許権とは、発明の内容を誰でも実施できるように公開してあげる代わり、一定の期間だけ、その発明を自分(または自分が許可した者)だけが実施することができる権利です。
ですから、特許出願するときの書類(特許明細書)には、発明の内容を誰でも実施できるように書いておく必要がありますし、特許権も、その書類に基づいて誰でも実施できることが確からしい範囲にしか与えられません。
それでは、小保方博士らの国際出願は、どのような発明について特許権を得ようとするものでしょうか。それを知るためには、出願書類の中でも、クレーム(Claims、特許請求の範囲)というところを見ます。
クレーム1には、「A method to generate a pluripotent cell, comprising subjecting a cell to a stress」(細胞をストレスに曝すことを含む、多能性細胞を生成する方法)と記載されています。まさにSTAP細胞のアイディアそのもので、かなり広い範囲の発明ですね。
しかし、仮に、多能性細胞を生成するためには特定の工程や条件が必要であり、そのような工程や条件を欠く方法では多能性細胞をつくることができないということが示された場合は、その工程や条件を含む方法に限定しなければ、特許権が与えられない可能性もあります。
さて、そう考えると「STAP細胞を作製するためのコツ」の中に、必ず行わなければならない工程や条件が含まれている場合は、そのことを隠しておく必要があるのではないか、と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、先に述べたとおり、特許権は本来、特許明細書に基づいて誰でも実施できることが確かな範囲にしか与えられないものですし、それに反して与えられた特許は無効にされるべきものとされています(日本以外の国でもだいたいそうです)。
ですから、なんとかうまくごまかして広い範囲で特許権を得たとしても、「その方法ではSTAP細胞をつくることができない」ことが誰かに示されてしまえば、特許は無効にされてしまうか、範囲を狭めなければならなくなるリスクがあるのです。
また、詐欺の行為(審査官を欺いて虚偽の資料を提出し、特許要件を欠く発明について特許を受けた場合等)で特許権を得た場合、日本では刑事罰の対象ともなります。
良心的な弁理士や弁護士であれば、そのようなリスクを敢えて負うように積極的に勧めることはしないと思います。
また、小保方さんご自身も、そのようなリスクを理解した上であれば、「STAP細胞を作製するためのコツ」の中に、必ず行わなければならない工程や条件が含まれている場合であっても、広い範囲の特許権を得るためだけに、それを隠すというようなリスキーな判断はしないでしょう。
無効にされるおそれのない、確実な発明の範囲について特許権を得る方が、安心して権利行使もできるはずだからです。
以上述べてきたような理由から、小保方博士の言う「STAP細胞を作製するためのコツ」が、国際出願の特許明細書に記載されているものであれば、再現実験のためにそのコツを改めて説明しても、特許権の取得の障害となることはないだろう、と私は考えています。
「STAP細胞を作製するためのコツ」が、既にされている国際出願の特許明細書に記載されているものでない場合
この場合、「STAP細胞を作製するためのコツ」の詳細な内容を公表することには慎重になっても不思議はありません。
「STAP細胞を作製するためのコツ」が、既にされている国際出願の特許明細書に記載されているものでないとすれば、そのコツは、少なくとも新規性はある発明と考えてもよさそうです。
そうであれば、そのコツに関する発明について、新しく別に特許の出願をすることを検討されていてもおかしくはありません。
もっとも、STAP細胞の基本的なアイディアについて、既に特許の出願がされ、学術論文も公開されているため、それらの出願の公開公報や論文に記載された内容に基づいて、「STAP細胞を作製するためのコツ」は容易に思いつけるものである、として進歩性を否定されるおそれもあります。
しかしながら、その「STAP細胞を作製するためのコツ」が、これまでSTAP細胞に関して公開されてきた内容からは到底思いつけないような画期的なものであったり、STAP細胞の作製効率を顕著に上昇させることができる等の効果を奏するものであるような場合は、進歩性があると主張することもできるでしょう。
そう考えると、「STAP細胞を作製するためのコツ」が、既にされている国際出願の特許明細書に記載されているものでない場合は、そのコツに関する発明について、特許の出願を済ませるまでは公表を控える、という判断をされたとしても、特段おかしいとは言えないと思います。
ここで、もう一度、小保方博士のコメントを見てみましょう。小保方博士は「現在開発中の効率の良いSTAP細胞作製の酸処理溶液のレシピや実験手順につきましては、所属機関の知的財産であることや特許等の事情もあり、現時点では私個人からすべてを公表できないことをご理解いただきたく存じます」とコメントされています。
「現在開発中の効率のよい」レシピや実験手順は公表できないとおっしゃっていることから考えても、小保方博士が公表できないと述べられた「STAP細胞作製のコツ」とは、まだ公開されていない方法を意味している、と考えるのが自然ではないでしょうか。
ただし、その前段落を読むと、これまで公表された方法で再現できないとは述べられていないのがわかります。
非常によく練られたコメントだと思います。
補足
ところで、伊東乾先生は、上記のツイートで「特許出願中の内容について論文公刊する企業も個人も研究所もない。特許まわりが済まないために苦労されている研究者が多い」とおっしゃっていますが、そのような心配はありません。
特許出願「前」であれば、先ほど述べたように、公開した論文によって、特許出願に係る発明の新規性や進歩性が否定されるおそれがあります(救済措置がある国もありますが、ない国も多いので、アテにしないほうが無難です)。
しかし、いったん特許出願してしまえば、その発明の内容については、審査を経て許可されるのを待たずに、学術論文を公開してかまわないのです。そのようにしている例は、企業でも大学等の研究所でも数多くあります(iPS細胞もそうですね)。また、企業の場合、「特許出願中は新製品を発表できない」ということになると、製品開発がとんでもなく遅くなってしまいますが、そんなことにはなっていませんね。
もっとも、画期的な発明であるような発見をされた場合、学術論文の投稿準備と平行して、特許出願書類の準備も進めなければいけないので、研究者の皆さんは大変なご苦労をされているとお察しいたします。そのようなときこそ、ぜひ弁理士を活用していただければと思います。
(2014年4月22日「科学と生活のイーハトーヴ」より転載)