8月11日に緊急発売された季刊誌『SIGHT』62号は、「安倍政権は違憲だ」と打ち出した特集を組んでいます。ここで、同誌の編集・発行人である渋谷陽一さんによる私へのインタビュー『「せたがやYES」の前向きなエネルギーが、選挙で圧勝できる「脱原発」区長を作った』が掲載されています。内容は誌面で読んでいただくとして、タイトルにある「せたがやYES」の前向きなエネルギー」という言葉にこめられた意味をふりかえってみたいと思います。
2013年1月から毎週書いてきたコラム『太陽のまちから』が、朝日新聞デジタル『&w』からハフィントンポスト日本版に引っ越したのが、2015年春のこと。1回目の記事は「せたがやYES!の力で第2ステージのスタート」(2015年4月26日)で、世田谷区長選挙の開票日、当選確実が伝えられた直後に掲載していただきました。そこでは、キャッチコピーを「せたがやYES!」としたことについて、簡単にふれています。
キャッチコピーは「せたがやYES!」としました。その心を次のようにチラシに書きました。
「『せたがやYES!』には私たちの住んでいる世田谷区を、もっとよくしようという思いをこめています。競争と不信が渦巻く中、地域にホッとできるコミュニティがあることで人生はもっと豊かになると思います。住民による、住民のための自治体運営を育てるために、あなたの力が必要です」
政治とは、社会をよりよく改善する仕事です。そのためには、あれもこれもダメという否定からは、新たなスタートはありません。街頭でも「いいまちをつくろう」「一緒に力をあわせよう」「世界に発信する世田谷をつくろう」と呼びかけました。区民党の共通フレームでした。
選挙報告会で2期目の区政への決意表明(4月28日、選挙事務所として使用した後援会事務所)
どうして、このように考えたのか。「せたがやYES!」というキャッチコピーは、どのような脈絡で出てきたのか。渋谷氏によるインタビューで、私は次のように答えています。
作業している時に、「せたがやYES!」っていうのがフッと浮かんだんです。それはやっぱり...うーん、俺も意外とやるじゃないか、と。(笑)
発想としてネガティブからポジティブへじゃないですけれども、世田谷の中でもひとりひとりの区民とか住民が持っている、もちろんコワモテの部分や人間不信もあると思うんですが、にこやかにつながったり、ちょっと困ってりゃ助けるよ、みたいな温かい部分がとても大切だと思うんです。
「せたがやYES!」というのは、ポジティブな無意識の集合体に輪をかけていこうよという意味なんです。そうすることによって地域の変容というか、ますます社会が殺伐としていく中で、知らない人同士が立ち話できるような...」
感覚的に表現している「ポジティブな無意識の集合体に輪をかける」という営為とは、従来は行政や政治の「外側のテーマ」にあると思われてきた領域かもしれません。私自身の身体感覚に根をはっている指向ですが、いくつかに分解して共通言語にする努力をしてみましょう。
「トップダウン政治の終焉」と「ボトムアップ政治の登場」
「大衆を信頼せよ」「庶民こそ政治の主人公」など、代議制民主主義の政治の場で大勢の人を牽引するリーダーは、大衆・庶民の願いを尊重して独善に陥ることなく、統治者として公平であれと言われてきました。いま、永田町の政治家の劣化と独善が進行していますが、 保守リベラルの重鎮だった鯨岡兵輔さん(元衆議院副議長・衆議院議員12回当選・1915年生まれ・2003年没)は、1996年に、政治の場に入ったばかりの私を諭すように「政治家は庶民を軽んじてはいけない。庶民の暮らしがあってこそ、政治があることを忘れるな」と何度も語ってくれたものです。
私は、政治や行政が大衆・庶民を「善導」する時代は、すでに終わっていると感じています。安保法制の国会中継を見て、中学生や高校生も「こんな人たちに人生をまかせてなるものか」と感じるように、「大衆・庶民への畏怖」など微塵もない劣化した政治家の語る「善導」ほど信じられないものはないと感じている人も多いでしょう。
だから、「既得権益の打破」「破壊的革命」のイメージをともなって小泉純一郎元首相が「自民党をぶっ壊す」(2001年4月自民党総裁選挙)と絶叫すると、またたく間に空前の小泉ブームがまきおこったのだと思います。停滞し自浄能力を発揮しない永田町政治や霞が関の権益バランスに苛立った国民感情をとらえた攻撃型の小泉劇場は、「郵政解散」(2005年8月)で「ぶっ壊す」はずだった自民党を圧勝させるに至りました。また、2009年に民主党が大勝した「政権交代選挙」の特性も、民主党への支持の高まりによって実現したものでは決してなく、「結局は変わらない自民党政治」を一度チャラにして下野させてやろうという懲罰型だったと思います。
自民党総裁選で演説する小泉純一郎氏。2001年4月15日(Photo credit should read KAZUHIRO NOGI/AFP/Getty Images)
中央から地方にいたるまで、昨今の日本の政治は「既得権益をぶっ壊す」と激しく呼号する「攻撃型トップダウン政治」を巧みに標榜する政治家に翻弄されてきました。ただし、耳目を引きつける劇場型の突風は、地下にしっかりと根を張っている既得権益を脅かすことなく温存してきました。たしかに、5年以上続いた小泉政権で、自民党の派閥は弱体化しましたが、霞が関の主な権益に変化はありませんでした。「脱官僚政治」「政治主導」を掲げた民主党政権は、次々と妥協を迫られて自民党政治の「亜種」に追いやられ、末期には「官僚主導」は復活を遂げました。第2次安倍政権では、すでに「官僚統治」がガチガチの基盤を成しています。
激しい言葉で語られる「改革」という言葉に、既視感(ディジャブ)が宿り、民主党が従来掲げてきた「政権交代」という言葉も新鮮味を失っているとすれば、ここで教訓化しておくべきことは何でしょうか。
ひとつは「改革」を標榜する破壊的言動に惑わされず、ゆっくりでも確実に前に進む現状変更=改善をはかる選択肢を示すべきだと思います。現状追認、現状維持の停滞に陥ることなく、したたかに現状変更=改善をはたしていく道があることを示していこう! というのが「せたがやYES!」のキャッチコピーにこめたメッセージでした。
そして、上意下達を当然とするトップダウン以外を知らない政治の場に、ボトムアップの政治意志の形成こそが賢い政策判断をつくる可能性を鮮やかに描く必要があると思うのです。「みんなの声」を「知恵とかたち」にするのが政治の役割です。2012年、世田谷区で長期ビジョンを策定する時に始めた「無作為抽出型区民ワークショップ」は、文字どおり無作為抽出で約1200人に案内状を出して、土曜日の7時間を費やしておこなわれたグループ討議(ワールド・カフェ)に88人が参加して、「衆議」を重ねました。http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/0ada89f1032ddab2415f28a62bac55cc
その後、世田谷区では、さまざまなテーマで何度も「無作為抽出型区民ワークショップ」を開催しています。こうしてボトムアップで紡がれて提示された声に耳を傾けるとともに、区内27ヶ所を私が巡回する車座集会も実施しています。こうして、数多くの場で区民の声を聞き続け、集積させる手法が「せたがやYES!」という言葉を紡ぎだしました。
メディアでもたびたび「代議制民主主義の危機」が話題になりながら、残念なことに、これまで世田谷区におけるボトムアップの現場に興味を持って取材してきた記者はいません。「トップダウンの暴走」を批判しながらも、権威ある機関や官僚機構を追いかける上意下達社会に慣れてしまい、「ボトムアップが大事」という記事を書いている人も、頭では理解できても、身体がついていかないのかもしれません。
「統治の質」を変え、「衆議」を活かす政治の誕生への扉を
このところ私は、「政権交代」に変わる言葉はないのかと考え続けています。霞が関の官僚組織に、数人の政治家が大臣・副大臣・政務官として乗っかるわけですが、そのメンバーが政権党から野党に交代することは重要なことです。それ以上に、こうした「政権交代」によって「政権の質が変わる」ことを可視化することが、より重要ではないでしょうか。言いかえれば、「統治の質を変える」ということだと考えています。
沖縄・辺野古の新基地は計画を白紙撤回して「衆議」で解決策を見出し、原発再稼働は中止してただちに全予算を廃炉の確実な促進と福島の再生にあて、日本国憲法の平和主義・国民主権を擁護して、旧帝国憲法への復古主義の自民党改憲案を撤回させる......民主党政権の経験にてらすと、こうした大きな政策の基軸を動かすためには、野党政治家が統治権力側に移動しただけでは不十分です。
おそらく、無風の総裁選を前にした自民党政治への「飽き」は、これから再び三たび「改革を掲げる破壊的攻撃者」の登場で、すべての矛盾をゴチャゴチャに攪乱しメリーゴーランドのように次々と話題を提供する劇場政治の再来を求めたくなる時代がやってきます。その時こそ、トップダウンからボトムアップへのギアチェンジが議論されてしかるべきだと思います。
すでに未来の世代に対して大きすぎる負債を背負っている社会です。一度、チャラにしてみたいという誘惑は、これまでも多くの人をとらえてきました。しかし、既得権を解体すると言いながら、壊れたのは「安定雇用」であり、生まれたのは「格差社会」だったということを肝に銘じたいと思うのです。
せめて、セーフティネットをつくりながら悪い部分を壊し、制度変更するという知恵のある「衆議」を活かす政治を誕生させるべき時代がきていると思います。その扉を、多くのみなさんと一緒にこじ開けたいのです。