戦後70年を刻んだこともあって、8月は「過去の戦争」に向き合う機会が多くありました。70年という時間は、人々の記憶や伝承から「歴史」へと移行していくタイミングなのかもしれません。子どもたちの世代に、どうやって何を伝えるのか。また、私たち自身は「子どもたちに伝えるべき歩み」を持ち得ているのかを自らに問うことも多くありました。戦争犠牲者を追悼する黙祷をしながら、子どもたちに手渡すべきバトンは何かを考えていました。
小学校高学年の子どもたちは、東日本大震災の大きな被害と、世界を震撼させた東京電力福島第一原発事故を忘れていないだろうと思います。24時間、電力供給の心配なしに仕事をし生活するのが当たり前と感じていた「都市の利便性」は、福島県で稼働する原発の「事故時のリスク」によって成立していたことを、多くの大人たちも認識しました。そして、「これからも原発を使い続けるのか」「再生可能エネルギーの拡大の見通しは」と大きな議論を呼びました。
原発事故の直後ですら、「原発が止まれば、停電が起きる。産業は大打撃を受ける」という議論がまかりとおりました。当時は世論調査でも「原発容認」が多数だったことを覚えています。ところが、8月11日、九州電力川内原発が再稼働するまで、1年11カ月もの間、日本中のあらゆる原発が停止する「原発ゼロ」の状態が続きました。
この猛暑でも、電力供給の逼迫は起きていません。再生可能エネルギーでも固定価格買い取り制度の効果で「太陽光発電」の設備が増えて、「国内の太陽光の導入量は、震災前の20年3月末には280万ワットだったが、15年3月末には2700万キロワットと9・5倍に伸びた。実際の出力はその6~7割程度に下がると計算しても、増加分だけで原発十数基分ともいえる」(2015年8月8日朝日新聞「太陽光 ピーク時肩代わり」)となっています。猛暑で電力需要が高まる時には太陽光発電もフル稼働します。
ところが、原発回帰を志向する政府には、再生可能エネルギーである太陽光発電を、風力や地熱と共にさらに充実させてエネルギー転換を進めていこうという姿勢が後退しています。政府は、2030年の望ましい電源構成として原発の割合を「20%~22%」としています(経済産業省「長期エネルギー需給見通し」、7月16日決定)。一度、事故が起きれば、事故の規模によっては大地も自然も修復不可能になります。
東日本大震災の規模は桁外れに大きく、事前の予想を大きく上まわりました。ただ、震災前から地震の揺れや津波に原発は耐えられるのかという議論は、国会で交わされていたのです。しかし、確率が低いとして「想定外」とした判断がいかに大きな災禍を招いたのかは、現在も続く事故処理と避難によって証明されています。川内原発でも、火山活動のリスクや避難計画の実効性等に課題を多く残したまま、再稼働になだれこみました。いつか、どこかで見た構図です。
「川内原発の再稼働『よくなかった』 49% 朝日世論調査」
朝日新聞社の全国世論調査(電話)で、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)の運転再開について尋ねると、「よかった」は30%で、「よくなかった」の49%が上回った。(中略)原発再稼働については、川内原発以外の原発の運転再開についても「賛成」28%、「反対」55%だった。原子力発電を今後、どうしたらよいか質問すると、「ただちにゼロにする」が16%、「近い将来ゼロにする」が58%、「ゼロにはしない」が22%だった。(2015年8月25日朝日新聞)
日本は、福島第一原発事故に何を学んだのでしょうか。すでに一度、大事故を経験している日本で、「原発の安全神話」は崩壊しただけでなく、人々から土地や家屋を奪い、原発周辺のいくつもの自治体を「無人地帯」にしてしまった取り戻すことの出来ない被害を背負うのが、被害者だけでいいはずがありません。世田谷区でも、福島第一原発周辺の自治体から多数の「一時避難者」を受けいれました。区民から賃貸住宅の提供を受けて、ピーク時は約400世帯の避難者の受けいれをしています。家を出る時には「一時」のつもりでも避難生活が長期に及んでいる皆さんをお招きして、話を聞く機会も持っていますが、ひとりひとりが払った途方もない犠牲については、受けとめるのが精一杯です。
当初から、避難者の方の支援にあたっていた世田谷区の女性たちが中心となって、福島県在住の子どもたちを春休みを使って一時受けいれをしたいという企画が持ち上がりました。最初は数人の呼びかけでしたが反響の輪が広がり、「ふくしまっ子リフレッシュin世田谷」という企画が生まれ、「福島の子どもたちとともに 世田谷の会」が誕生し、世田谷区と世田谷区教育委員会も共催することになりました。社会福祉協議会、世田谷ボランティア協会も共催しています。
1回目は2012年の春休みでした。親子60人を往復のバスで送迎し、区立の宿泊施設を利用して、内外のプログラムを組みます。それから、2015年の夏までに11回が実施され、参加者の総計は800人を超えています。運営に携わるのは約30人の区民で、毎回多くの学生ボランティアも参加し、総勢100名前後で迎えています。4~5日という短い期間ではあるけれど、「冒険遊び場 プレーパーク訪問」等のプログラムを楽しみ、また膝をまじえて「2011年3月」をふりかえる機会もあります。こうした事業を推進しているのは、区民のボランティアであり、継続しているのも熱意です。
また、バスチャーター等の運営経費は、寄付・募金によるものです。
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原発事故の影響を間近に受けて避難した人たちや、その影響を気にしながら周辺の市町村で暮らしている福島県の親子の声を聞いていると、「この被害を受けた人々を電力会社や国は最大限に支援するべきだ」と感じると共に、「二度と原発事故を繰り返してはならない」と強く思います。
大人が学ぶ姿を子どもには見せたいものです。福島第一原発事故を経験したことを逆手に取って、「世界一安全な原発」とセールスする姿はいかがでしょうか。太平洋戦争の渦中で、確たる展望もなく派兵する前線を膨張させていった旧軍部の姿と重なります。福島第一原発事故の責任さえ明らかにすることなく、また被害者の補償や生活再建等もすべて途上のままであることを忘れてはなりません。まして、原発輸出の結果、稼働後に重大事故を起こした場合に、日本政府に何が出来るのでしょうか。
残念ながら、衝撃は時間と共に和らぎ、強い恐怖も薄まります。政府が、「原発再稼働」を既定路線として川内原発を突破口に「原発回帰」へと踏み切ろうとしている時だからこそ、福島第一原発事故にどのように学んだのかを子どもたちに伝えたいものです。
国会では参議院に場を移して、安全保障関連法制の議論が続いています。ふたたび、原発事故を招いたとしたら、どれだけ重大な影響を受けるのかも大いに議論して欲しいところです。ふたたび、日本が原発事故を迎えたら、複数の原発事故現場を抱えることになるのです。地域も、社会も、経済も止まる、そんな事態を「大げさだ」と笑えるでしょうか。
近刊の『亡国記』(北野慶著・現代書館)は、近未来小説で「巨大地震による破滅的原発事故」により日本を脱出する親子の物語です。分厚い本ですが、フィクションだと知りつつもどきどきしながらページをめくり、一気に読んでしまいました。
歴史の振り子は揺れながらも進むものです。脱原発から原発回帰へと振り子は動きかけていますが、私たちが声をあげることで振り子は止まります。そして、止めることが出来れば、次は戻すことができるはずです。