安保関連法制が、9月19日未明の参議院本会議で自民・公明の与党ほかの賛成多数で「可決・成立」しました。5月から4カ月間にわたって審議され、数々の問題点が噴出したにもかかわらずに審議を打ち切り、採決が強行されました。国会前では法案に危機感を持った老若男女多くの人々が連日集まり、反対の声をあげました。その後の世論を見ても、「反対」の声が「賛成」を大きく上まわっています。
安保関連法に「賛成」は30%、「反対」は51%で、法律が成立してもなお反対が半数を占めた。国会での議論が「尽くされていない」は75%、安倍政権が国民の理解を得ようとする努力を「十分にしてこなかった」は74%に上った。(2015年9月21日朝日新聞)
与党国会議員の間で、語り継がれている経験則があります。「どんなに反対の声が強まっても、数カ月すれば国民は忘れてくれる」というものです。来年7月の参議院選挙の頃には、「記憶の断片」と収縮していくので影響は限定的だと、みずからに言い聞かせている言葉のようにも受け取れます。ところが、これはどんな時にもひっそりと永田町に棲息してきた「伝説」だったのですが、今回は活字となり、テレビで報道されています。これは、これまでになかったことです。深夜に「採決」が伝えられた国会前でも、「選挙に行こう」というコールが響きわたっています。
与党内では、国民の安保法への強い批判が参院選まで続く事態を危ぶむ意見がくすぶる。自民党ベテラン議員は「参院選を厳しい環境で迎える可能性もある」と予測した。党閣僚経験者は「早晩、反対は落ち着くとの楽観論もあるが、決めつけるのは早計だ」と語る。こうした状況に、与党からは、経済再生を進める姿勢を再びアピールすべきだとの声も上がる。(2015年9月21日共同通信)
与党議員に語り継がれた経験則としての「伝説」は、これまでは表に出ることなくひそかに棲息していたからこそ力を持ったのです。「憲法違反」の指摘に謙虚に向き合うことなく強行突破をはかったのも「やがて国民は忘れるもの」とタカをくくっていたからでしょう。
安保法制の審議の中で、野党議員に対して「早く質問しろよ」などと言い放つ安倍首相のヤジは象徴的な場面でした。国会提出前にワシントンでアメリカに成立を約束してきた安保法制は、どんなに説明のつかない矛盾点があっても数の力で押し通せる、そのための時間稼ぎだけはやらせてもらう...巨大与党の傲岸不遜なまなざしは、多くの人々を覚醒させました。
ひょっとすると、今、我々はこの日本でこの日本でグローバル市民主義が芽吹く瞬間を目の当たりにしているのかもしれない。次第にそう思えてきた。グローバル時代にふさわしい市民革命。その姿が今、示されているのかもしれない。
彼らグローバル時代型市民革命の担い手たちは、まさに通常であれば、声なき声の人々だ。決してアジテーターたちではない。百戦錬磨の闘争家集団でもない。派閥もない。分派もない。暴力闘争をたくらんでいるわけではない。これといった一党一派に偏しているわけではない。(2015年9月19日毎日新聞 「浜矩子の危機の真相」 声なき声が声をあげる時)
安保法制に反対する声を聞かずに、与党は多数の力で法案を「成立」させた...という瞬間で「終わった」と感じるよりも、浜矩子さんだけではなく、多くの人が「始まった」と感じているのはなぜでしょうか。日本の政治風土や社会運動に、これまでなかった風が吹いているからです。
「2011・3・11」の東日本大震災と福島第一原発事故によって座礁した日本社会の既存システムは、「日本を取り戻す」という安倍首相の再登場によって、息を吹き返しました。過去3回の国政選挙で、肝心の原発政策の論戦は低調で、安保政策や憲法も与野党の間で争点となっていません。投票率も上がらずに自民党が圧勝して、「決められる政治」を現実のものとしました。
その結果が、「集団的自衛権」に関して「行使できない」から「行使可能」へと変えた昨年7月の憲法解釈変更の閣議決定であり、今回の安保法制であったのです。そもそも最高法規である憲法を為政者の意のままに解釈し、憲法が禁じていることを法律で可能とするということが許されているのでしょうか。
そもそも憲法98条には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と明記されています。
「違憲の法律 従えず」 元経済企画庁長官 田中秀征氏
私は今回成立したとされる安全保障関連法を法律として認めるつもりはない。憲法違反の法案は国会で可決されたからといって、合憲にはならないからだ。もちろん違憲立法は無効だから、政府がそれに基づいて国民や自衛隊に義務を課し、協力を求めても従う人は少なくなる。(2015年9月21日・東京新聞)
「なぜ、憲法改正と日米安保条約の再改定という当然の王道を通らなかったのか」と田中秀征氏は問いかけた上で、「われわれは違憲な法律を認めないとともに、昨年の閣議決定を撤回し、この法律を全面的に見直すことを目指さなければならない」としています。
防衛庁官房長をへて、2004年から5年間にわたり安全保障・危機管理担当の内閣官房副長官補として「自衛隊のイラク派遣」も総括した柳澤協二氏は、安保法制の成立後に厳しい見立てをしています。
一発の弾を撃つこともなく、一人の犠牲者も出さずにやってきた自衛隊は安保関連法により、殺し殺される憎悪の連鎖の中に確実に引き込まれていく。それはリスク以外の何物でもない。それを国民は感じていた。それはリスク以外の何物でもない。それを国民は感じていた。(中略)
安保法の新の姿は、地球規模で米軍に切れ目なく協力するための法律だ。日本が米軍の協力要請を断ることは不可能となった。米軍の戦争に巻き込まれる可能性は高い。(「米軍の協力要請 断れない」元内閣官房副長官補 柳沢協二氏 朝日新聞9月20日)
安保法制成立で、すでに始まっている「米軍との作戦行動の一体化」が、ぐいぐい加速することが予想されます。それでも、最後の大転換のチャンスを柳澤氏は指摘しています。
「あきらめてはいけない。安保法に実効性を持たせるのは国会承認だ。来夏の参議院選挙で巨大与党の勝利を阻止し、衆参の「ねじれ」を生じさせれば、国会承認は回避できる。今こそ、民意が試されている」(同上 柳澤協二氏)
その通りだと思います。「やがて国民は忘れる」という伝説の通りになるのか、「10カ月で、大転換の日を迎える」のか、 それを決めるのは永田町ではありません。それは私たちひとひとりであり、有権者です。9月19日未明の結果を、いろいろな観点から受け入れ難いと感じる人々が、大きく結集できる受け皿を構築しなくてはなりません。その可能性もまた動き出しています。私も、「永田町の伝説」を突き崩す作業を積み上げようと思います。
厳しい現実の中に、新しい変化が宿り、渦巻く潮流の渦中に「次の時代」がかすかに見えています。
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