アメリカで「トランプ旋風」が吹き荒れています。事実(ファクト)にもとづいた論理的な発言が出来なければ、政治家失格だというこれまでの「常識」を、トランプ大統領は一蹴します。さらに、事実を問うメディアに対して、「オルタナティブ・ファクト」(もうひとつの事実)という言葉が登場してきました。そして、アメリカで『1984年』(ジョージ・オーウェル)の売上げが急上昇しているようです。
小説「1984」がアマゾン1位に、「もう一つの事実」で売り上げ急増【1月26日 AFP】
ドナルド・トランプ(Donald Trump)新大統領をめぐって虚実入り乱れた論争が繰り広げられている米国で、英作家ジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説「1984年(1984)」がベストセラーに浮上し、米通販最大手アマゾン・ドットコム(Amazon.com)の25日の売り上げランキングで1位となった。
「1984年」は現実世界の真実をねじ曲げる「真理省」を描いたディストピア(反ユートピア)小説。1949年に出版されたこの作品には「二重思考」という言葉が登場するが、オーウェルの説明によると、それは「相反する2つの真実を抱える権力者」が「そのどちらも受け入れる」ことを意味するという。
今回の売り上げ急増の背景には、トランプ大統領就任式の参加人数をめぐってショーン・スパイサー(Sean Spicer)大統領報道官が「過去最大」と述べた発言の内容について、ケリーアン・コンウェー(Kellyanne Conway)大統領顧問が「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」という言葉を使って正当化したことなど、トランプ氏や政権高官の事実と異なる強弁の数々があるとみられる。
米CNNによると、出版社のペンギンブックス(Penguin Books)は予想外の注文急増に対応するため、異例の7万5000部増刷を発注したという。
『1984年』は私の愛読書のひとつでもあります。2年前、2015年の安保法制の国会での議論が始まった時にも、本書を永田町の光景と重ねて、次のように紹介しています。
『1984年』の主人公ウィストン・スミスは、真理省記録局に勤務して日々、歴史改竄の仕事を担当しています。作品の中で、心胆を寒からしめる超管理社会の手法がいくつも示される中で、ニュースピーク(Newspeak)と呼ばれる言語の簡略化が際立っています。英語から政治・社会的な問題意識を表現できる言葉を消し、簡略化することで、思考の単純化を促し、思想犯罪を予防するというものです。(『戦後70年で「最重量」の安保11法案審議、「強行採決」は状況次第か』2015年5月26日)
日本の政治に目を転じると、「共謀罪」という言葉を丸ごと消し去り、その実は「共謀罪」を制定するというトリックが堂々と演じられています。これはまさに、『1984年』で描かれるニュースピーク(Newspeak)を彷彿とさせる「不利な言語の削除」「同義の言い替え」にすぎないのですが、シンプルな嘘の力は広がりやすく、その効果も侮れません。
安倍首相は、政府提案法案における罪名は「テロ等準備罪」だとして、「共謀罪と呼ぶのはまったくの間違い」と、衆議院・参議院本会議で堂々と力強く断言しています。 そして、「以前の共謀罪とは違うテロ対策のための法案だ」という情報を与えて、メディアが無批判にこれを伝えることで、世論調査でも以前の「共謀罪」よりも「賛成」の比率が高いという「効果」を生んでいます。
安倍総理大臣は、「犯罪の主体を、一定の犯罪を犯すことを目的とする集団に限定し、準備行為があって初めて処罰の対象にするなど、一般の方々が対象になるのがありえないことがより明確になるよう検討しているところであり、国民の理解を得られるような法整備に努めていく。これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」
過去、おびただしい時間をさいて 「共謀罪」の国会審議に参加してきた経験者として、「従来の共謀罪とは違う」くらいの言い方であればまだ理解できますが、「共謀罪と呼ぶのはまったくの誤り」と首相が大胆に断言することには驚きました。
「共謀罪と呼ぶのはまったくの間違い」(安倍首相)が本当なら、従来の「共謀罪」とは縁もゆかりもない別物の法律案を準備しているということになります。しかし、これまで政府は「共謀罪」を創設しないと国際組織犯罪防止条約(TOC条約)を批准することが出来ないと言い続けてきたので、「別物」で代替できるのでしょうか。この点を突き詰めていけば、単純なトリックの舞台裏がわかります。
過去の国会議事録をひもといてみます。2005年10月21日の衆議院法務委員会で「共謀」の定義をめぐる私の質問に対して、「共謀の解釈としては、二人以上の者が特定の犯罪を実行する具体的な合意をすることを言います」(大林宏法務省刑事局長) と答弁しています。共謀とは、「特定の犯罪を実行する具体的な合意」と述べています。
また、翌年の2006年5月16日同委員会では、共謀罪に関する私の質問に、「共謀罪が成立するためには、漠然とした相談では足りず、これから実行しようとする犯罪の目的、対象、手段、実行にいたるまでの手順等について、具体的・現実的な合意がなされなければなりません」と答弁しています。「実行しようとする犯罪の手順等について、具体的・現実的な合意が必要」ということです。
今回、政府提出予定の「テロ等準備罪」については、1月26日の衆議院予算委員会で山尾志桜里氏が問題にしました。
「共謀罪」論点次々 首相意欲、野党が追及:朝日新聞デジタル 2017年1月27日
首相は衆参両院の代表質問でも「共謀罪と呼ぶのはまったくの誤りだ」と訴えてきた。予算委でも自席から「全くの間違いです」とヤジで応酬。「前の共謀罪はぱらぱらと集まって『今度やってやろうぜ』と話をしただけで罪になった」と違いを説明した。山尾氏は「それは過去の共謀罪でも罪にならないと政府が繰り返し答弁していた。勉強不足だ」と指摘した。
この日、山尾議員の質問に、金田勝年法務大臣は「準備行為があって初めて処罰対象とすることを検討しているのであって、このようなテロ等準備罪というのは、共謀したことで処罰されることとされておりました従前の共謀罪とは全く別物」と答弁しています。
ここで、先にふれたように重大な矛盾が出てきます。そもそも、過去3回廃案となった共謀罪の審議で、政府は619もの犯罪を対象にして「共謀罪」を創設しなければ、「国際組織条約(TOC条約)」を批准することはできないと何度も説明してきたのです。「共謀罪とはまったくの別物」の法律を制定するのであれば、従来までの説明は何だったのでしょうか。
この衆議院予算委員会のやりとりで、安倍首相は「今までの共謀罪と条約との関係ですが、我々はもう一度、かつての共謀罪がなければ果たして条約を締結できないのかどうかということを、国際法局を中心に議論したが外務省の見解として今回、検討する形において締結は可能であると結論に至った」と述べています。
また、同日の答弁で岸田文雄外務大臣は、「(国際組織犯罪防止条約)TOC条約第5条に、重大な犯罪の合意罪、そしていわゆる参加罪、このどちらかを犯罪とすることを条約上明確に義務づけられています」と「共謀罪」を「重大な犯罪の合意罪」と呼びかえました。
昨年末の政府資料を見ると、「具体的・現実的合意(計画)」という記述があります。政府提出予定の新法案には、かつての「共謀罪」が「合意罪」「計画罪」と記述される予定だと思われます。ただ、「合意(計画)とは何か」と問えば、「実行しようとする犯罪の手順等について、具体的・現実的に合意(計画)すること」と説明することでしょう。つまり、「共謀」を「合意(計画)」と言い替えているだけなので、条約批准にも支障がないというトリックなのです。
それでは、政府答弁の根拠となっているもうひとつの「準備行為」とは何でしょうか。「準備行為があって初めて処罰対象とすることを検討。テロ等準備罪というのは、共謀したことで処罰される従前の共謀罪とは全く別物」(金田法務大臣)と繰り返すが、政府の言う「準備行為」とはどのような行為なのでしょうか。
「共謀罪」の危険性を広く市民に知らせよう - 山下幸夫(弁護士)WEBRONZA - 2017年1月18日
「準備行為」を求めた点は、自民党・公明党による第3次修正案(最終修正案)にも取り入れられていた。アメリカの各州にあるコンスピラシー(共謀罪)にある顕示行為(共謀を裏付ける何らかの客観的行為)を取り入れようとするものであるが、アメリカの判例上も、かなり緩やかに肯定されているとされ(亀井源太郎『刑事立法と刑事法学』弘文堂、96頁)、ほとんど限定にはならないと考えられる。
気をつけないといけないことは、「準備行為」は処罰条件(これがなければ処罰することができない要件のこと)に過ぎず、犯罪の成立は合意の成立だけで認められるという点である。その意味で、「テロ等組織犯罪準備罪」という罪名は、あたかも準備行為が犯罪の成立要件(構成要件)であるかのように誤解させる点で妥当ではない。
過去の共謀罪の与党修正案にも「実行に必要な準備その他の行為」が加えられていて、その内容については、たとえば、共謀がなされた後、「犯行現場の下見をするために共犯者との集合場所に赴くためのレンタカーを予約する行為」なども 例示されていました。ただし、「レンタカーの予約」は犯罪でも何でもなく、共謀が成立した後で処罰するための条件だという点を見落としてはならないと思います。さらに、アメリカにおける顕示行為(オーバードアクト)について、次のような指摘もあります。
多くの国々では共謀罪が存在していても、犯罪の合意だけで犯罪成立としている例は少なく、何らかの「顕示行為」が必要としている例が多い。合意成立後の打ち合わせや、電話での連絡、犯行手段や逃走手段の準備などの行為が必要とされているのである。アメリカ模範刑法典(5.03条5項)も、「合意の目的を達するための顕示行為が自己または他の合意者によって行われたことの立法と立証」が必要としている。『共謀罪なんていらない!?』(合同出版・海渡雄一)
『共謀罪なんていらない!?』(合同出版・海渡雄一)
今回、政府提案予定の「テロ等準備罪」に記されている「実行行為」とは、11年前の「共謀罪」審議において、自民・公明の与党修正案にあった「実行に必要な準備その他の行為」の延長線上にあります。話し合いで合意したこと(共謀)だけではなく、アメリカのオーバート・アクト(顕示行為)を念頭に導入されたもので、その趣旨は「『実行に必要な準備その他の行為』を共謀罪の処罰条件として付加し、この行為が行われたという嫌疑がない限りは逮捕・拘留することができない」とするものだと説明されています。当時の私は、『共謀罪とは何か』(岩波ブックレット)に次のように書きました。
『共謀罪とは何か』(岩波ブックレット)
アメリカのオーバートアクトとは、「共謀」を裏づける「客観的な行為」と言えるかどうか疑問なほど幅広い「概念」です。「弁護士との面接」「合法的な集会参加」「命令違反のビラ配布」に始まって、「電話をかける」「ドアのノブをまわす」等の日常生活の一端まで含んでいます。「貯金を降ろす」「レンタカーを予約する」「地図や時刻表を購入する」などの行為も該当するので、漆原議員(公明党・与党修正案提案者の一人)の答弁は、オーバートアクトに近いニュアンスで「実行に資する行為」(与党修正案の「実行の準備その他の行為」の前案では「実行に資する行為」だった)を語ったものなのだろうかと疑問を持ちました。私は、アメリカのオーバートアクトと「実行に資する行為」の違いを質しました。
早川忠孝議員(自民党) アメリカ法におけるオバートアクトにつきましては、例えば「共謀が成立した後に、共謀に係わる犯罪の実行の準備のための話し合いをした」だけでも足りると解されていると承知しております。「共謀に係わる犯罪の実行について話し合いを行う行為」は、通常は共謀する行為と別の行為とは言えないことから、与党修正案の「実行に資する行為」には当たらないものと解されます。従って、完全に同一ではないと考えます。(2006年4月28日衆議院法務委員会)
なるほど、「共謀が成立した後に同じ話題で話していた」ことが、オーバートアクトと認められるというのでは、事実上の共謀の合意のみで共謀罪成立とさして変わりません。「実行に資する行為」とは、その点が違うと言っても、オーバートアクトよりいくらか狭いという程度だったのでしょうか。
11年前、共謀罪をめぐる与野党論戦の自民党側の中心にいた早川忠孝元議員は、弁護士出身で、私の『共謀罪はなぜ過去3回廃案になったのか』(2017年1月21日) https://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/conspiracy_b_14298562.htmlの投稿を読んで、感想をブログに記してくれています。
『今、共謀罪を語るに最適任の人は、世田谷区長の保坂展人さんだろう』(早川忠孝氏のブログ)
共謀罪の議論がこの通常国会で再燃するという。
反対のための反対に終始してしまいそうな野党議員の議論は多数決で押し切ってしまえばそれでお終いだが、法案の内容の細部についてまで十分の理解があり、周到な議論が展開できる保坂さんの議論は、とても数の力で押し切るようなことは出来ない類のものだった。
当時の法務委員会で議論されていたことはそう簡単に無視できるようなことではなかったから、衆議院法務委員会の理事であった私は、それなりに丁寧に議論をし、懸念事項を出来るだけなくすべく、あれこれ修正案を作成した。
早川さんには、文中でほめすぎていただいて恐縮です。「共謀罪」審議当時は、与野党で連日顔を合わせて激論を交わしていた間柄です。私たち野党側の国会での指摘を、自民党側もしっかり受けとめて、法案修正を何度も試みた歴史があることは、記憶されていいと思います。多数決なら、与党は圧倒的多数であり、今日の国会のように「素早く押し切る」ことが出来る状況でした。
なぜ、何度となく「修正案」が作成提出され、与野党協議を続けたのか、メディアもその点を検証してほしいと思います。
衆参予算委員会の「共謀罪」をめぐる質疑の録画を見ていると、肝心の点になると「法案提出の後に詳細な点については御説明したい」と金田法務大臣は繰り返しています。そうです、重要法案と言いながら、「法案」の内容すら、まだ開示されていないのです。少なくても、「過去3回の廃案」は、ここ10数年の国会の歴史の中でも稀有な財産です。与野党共に、懸命に勉強し、真剣な論戦を交わして、論点を浮き彫りにしていきました。今回の政府提出案が、こうした過去の経過を持っていることを、安倍首相には自覚してほしいと思います。
関連記事