「美濃加茂市長無罪判決に検察控訴の方針」は、「妄想」か「狂気」か

3月5日に名古屋地裁で言い渡された美濃加茂市長事件に対する無罪判決に対して、検察が控訴の方針を固めたと新聞、テレビ等で報じられている。
時事通信社

3月5日に名古屋地裁で言い渡された美濃加茂市長事件に対する無罪判決に対して、検察が控訴の方針を固めたと新聞、テレビ等で報じられている。

3月16日の中日新聞夕刊によると、「名古屋地検と名古屋高検が協議を重ね、同日午前に合意。近く手続きする。」とのことである。

そもそも、今回の事件は、中林の贈賄供述以外には証拠らしい証拠は全くなく、その贈賄供述にも、捜査機関の関心を他の重大な事件に向けることによって自己の融資詐欺の捜査の進展を止めたいという虚偽の供述の動機があり、供述経過も本人の記憶に基づくものとは思えない不自然なものであり、信用性には重大な疑問がある。無罪判決は極めて当然であり、控訴などしても、無罪判決が覆ることはあり得ないし、全く無意味であることは、無罪判決後の記者会見で述べたとおりである。

「現職市長を逮捕・起訴した事件で、一審が無罪判決となった場合に控訴しないことは、検察の対応としてあり得ない」というのは、検察の常識からするとそのとおりだが、本件には、その「常識」は通用しない。名古屋地検・名古屋高検・最高検で、今回の事件の証拠関係を、組織として冷静に判断すれば、「控訴」という結論が出てくる余地はないと思っていた。

ところが、この中日新聞等の記事によると、何と!検察は「控訴する方針を固めた」とのことである。しかも、「検察関係者の主張」によると、「二人のメールのやりとりや、授受を聞いたとする関係者証言などについて判決が評価していない点が不服だ」というのがその理由だそうだ。

確かに、検察官は、論告で藤井市長(当時は市議)と中林とのメールのやり取りや、中林から「渡すもんは渡している」という話を聞いたとする知人のHの証言を、「現金の授受を裏付ける証拠」として主張したが、判決では、いずれも、簡潔な判示で、あっさりと切り捨てられている。

しかし、それが「不服」だというのは全くの的外れである。そもそも、このような、証拠にもならないものを、贈収賄事件の論告で真顔で主張する検察官の神経が信じ難いものであり、裁判所の判示が短いのは、「あまりに当然なので、詳しく述べるまでもない」ということなのである。

常識をわきまえた賢明なブログ読者に理解して頂くため、上記の2点についての判決文の内容と証拠関係を、少し詳しく紹介しておこう。

■二人のメールのやりとり

検察官は、論告で、中林の供述を裏付ける証拠として、二人の間で交わされた以下のメールを指摘している。

[4月2日ガスト美濃加茂店での現金10万円の授受に関連すると検察官が主張するメール]

・午前8時25分 中林⇒藤井

 おはようございます。朝から申し訳ございません。御相談とお渡ししたい資料がございます。どの時間でも結構ですので、少しお時間頂けませんでしょうか。美濃加茂に伺わせて頂きますので、宜しくお願い致します。

・午後5時40分 中林⇒藤井

 本日はお忙しい中、突然申し訳ございませんでした。議員のお力になれるよう、精一杯頑張りますので宜しくお願いします。

[4月25日山家住吉店での現金20万円の授受に関連すると検察官が主張するメール]

・26日午前8時49分 中林⇒藤井

昨晩はありがとうございました。市長選頑張ってください。お手伝いや、ご協力、そして・・・。何でも遠慮なくご相談ください。

・26日午後0時31分 藤井⇒中林

昨晩はありがとうございました!本当にいつもすいません。

判決では、(1)について、「検察官は、同日午前中に被告人と中林との間でやり取りされたメールの文言は、被告人に対して現金を渡そうと考えた中林の行動を裏付けるものであると主張するが、同文言は、その内容に照らしても何ら第1現金授受の裏付けになり得るものではない。」、(2)について、「検察官は、ガストでの会合後に中林から被告人に送信された同日のメールの文言について、現金授受を前提とする更なる中林からの資金援助の意図を含むものと解釈できる旨主張するが、同メールの文言は多義的に解釈しうる上、現金授受がなかった木曽路での会合後に中林から被告人に対して同旨のメールが送信されている事実に照らしても、中林の上記意図を裏付ける証左であるとの検察官の主張は根拠に乏しい推測というほかない。」と述べて、メールに関する検察官の主張を、簡単に切り捨てている。

(3)、(4)についても、「検察官は、4月26日に被告人と中林との間でやり取りされたメールの文言は、中林による資金援助を意味する思わせぶりな内容と2度にわたる現金供与を受けたことに対する被告人の感謝の言葉と解釈できる旨主張するが、同メールの文言もまた多義的に解釈し得るところであり、中林から被告人に対して将来的に現金供与を行う気持ちがあることを暗に伝えようとしたものと解釈する余地はあるとしても、第2現金授受があったことを裏付ける証左であるとの検察官の主張は根拠に乏しい推測というほかない。」と判示している。

判決が、このような比較的短い判示で、検察官のメールに関する主張が「およそ中林供述の信用性の裏付けになり得ない」と排斥しているのは、弁護人が弁論で指摘したことを踏まえてのものだと考えられる。弁論を併せて読めば、検察官の主張が凡そ「論外」であることは明らかだ(弁論については、【美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信】から全文参照できる)。

まず、(1)のメールについて、検察官は、論告で、「中林が現金と一緒に被告人に渡したと証言しているこれら資料は、何ら利用された形跡がないことから、中林から被告人に会って相談しなければならないことはなく、早急に直接手渡さなければならない資料もなかったとして、上記(1)のメールが、『会いたい理由は現金を渡すことであったが・・・口実として相談と渡したい資料があると記載して呼び出した』という中林の証言と正に合致している」と主張した。

つまり、この(1)メールで、中林が「御相談とお渡ししたい資料がある」と書いているのに実際には渡す意味のない資料を渡しているのだから、「お金を渡したかっただけだった」との中林証言が裏付けられていると主張していたのである。

しかし、この検察官の主張は、弁護人が弁論などで以下のように指摘したことで、完全に崩れている。

4月2日に中林が被告人(藤井市議)に渡したと検察官が主張している資料は、【防災安全課打合せ報告書】と題するワープロ打ちメモと、浄水プラントの設置が計画されていた中学校の航空写真である。

同メモは、4月1日に中林が美濃加茂市の防災安全課で浄水プラントの導入について課長らと打合せをした結果を記載したもので、それまでは飲料水としての利用で水道代が大幅に削減できることを前提に提案していたが、それに対して、防災安全課側から、「学校側から飲料水としての使用に対して異論が出ているので、本格的な浄水プラントではなく、生活用水だけのための濾過機だけを購入できないか」という話が持ち出されたことが記載されている。

これに対して中林が、「弊社見解」として、防災安全課側の異論が全く論外であることを、具体的な根拠とともに詳細に書いているのが、同メモである。

つまり、前日の打合せの結果、そのままでは、浄水プラントを導入してもらえそうにないと危機感を強めた中林が、早急に藤井市議にそれを伝え、美濃加茂市当局への対応をしてもらうために作成したのが同メモなのである。

検察官は、このメモについて「利用された形跡がない(ので重要な資料ではない)」と述べているが、この時の資料は、上記内容からして、藤井市議に読んでもらうために作成したものなので、他の資料のように藤井市議から防災安全課に渡したりする必要がなかったのは当然である。

しかも、同資料に含まれる航空写真は、赤いボールペンで、校舎とか体育館の屋根から雨水をプールに集めるという集水経路を書き込んだもので、浄水プラントを中学校へ設置した場合、雨水をどのようにプールに集めるかについて説明するための資料である。メモだけであればメールで送信することも簡単であるが、ボールペンでの書き込みのある写真をメールで送るのはやや手間がかかる。そのうえ、それらの資料については、見てもらうだけでは藤井市議に中林の危機感や意図が理解されないかもしれず、直接会って口頭で説明をして、それ以降の動きについても相談する必要があったものと考えられる。

「4月2日午前に急遽被告人を呼び出したのは、現金を渡すことが目的であったと」の中林証言が、同日朝に送信された(1)のメールで裏付けられているという検察官の主張は、渡した資料が早急に渡す必要性のないものだということを根拠にしているが、検察官が4月2日に被告人に渡ったとして証拠提出している資料の内容からは、逆に、「早急に渡す必要がある資料」であることが明らかになっているのである。

検察官は、この主張を、論告の他の箇所で3回も繰り返している。要するに、検察官は証拠の中身を全く見ていないか、あるいは無視して「中林供述の裏付け証拠」だと繰り返し主張しているのである。

このような弁論での指摘を踏まえ、判決は、(1)のメールについて「同文言は、その内容に照らしても何ら第1現金授受の裏付けになり得るものではない。」と検察官の主張を、簡潔な言葉で切り捨てているのである。

また、(3)のメールについて、中林は、「そして・・・」という部分は、「お金とか資金という意味である」と証言し、検察官は、論告で、この記載について、「美濃加茂市民ではなく投票権もない中林が市長選挙で被告人に協力できることは、個人的に手伝うことのほか、資金援助と考えることは常識的である」と述べている。

しかし、もし仮に、「そして・・・」という部分が「お金とか資金という意味」であったとしても、それは、「その時点以降に、市長選挙への応援としての資金援助を行う意思がある」という意味であり、その前日に、中林が被告人に現金を渡したか否かとは直接関係しない、というのは、常識で考えても明らかであろう。

また、検察官は(3)のメールへの返信の(4)のメールで「『本当にいつもすいません。』と記載しているのは、複数回の現金授受に対する感謝の言葉と解するのが合理的である」などと主張したが、常識で考えても凡そ通らない主張であり、弁論では、以下のように指摘した。

藤井市議が会話やメールで「すいません」を使うのは珍しいことではない。「すいません」「ありがとうございます」は口ぐせであり、日常的に多用していて、それらの言葉に大きな意味はない。例えば、中林と出会うころから山家での会食直後までの間に(平成25年3月5日~同年4月26日)、藤井-同席者の間、又は藤井-中林の間で送受信されたメールの中から、藤井市議が「すいません」又は「ありがとうございます(ありがとうございました)」をメール内で使用したものだけを抽出したが、30回もある。それに、「いつも」がついているからといって、特に意味があると考えるのはこじつけである。藤井市議は、4月25日以前にも中林と食事したことがあるので、そのことに関して「いつも」と言ったにすぎない。

「いつもすいません」については、検察官もこだわりがあるのか、このメールの記載が現金への礼だと認めさせようと執拗に藤井氏に質問する検察官に対して、裁判長が「もういいでしょう」というような辟易した表情を見せていたことが記憶に残っている(【「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状】)。

■H証言の内容

中林から「渡すもんは渡している」と聞いた、というHの証言について、判決では、「Hの公判供述における中林の発言内容は曖昧な内容であることからすると、Hの公判供述によっても中林の公判供述に関する前記判断は左右されるものではない」と述べているだけで、Hの公判供述の内容には具体的には触れていない。

それは、弁護人の弁論でHの公判供述について、以下のように述べていることを踏まえ、「Hの供述が凡そ補強証拠になり得ないことは明らか」と判断したということであろう。

Hが、中林から聞いたというのは「接待はしているし、食事も何回もしてるし、渡すもんは渡してる」という発言のみであり、同発言は、誰に対して何をどれだけ渡した、という最も重要な部分が欠落している。渡した相手方が、藤井市議であるのか、美濃加茂市役所の役人であるのか、学校関係者であるのか、それとも、藤井市議を介した役人や学校関係者であるのか、といった点が全く明らかではなく、この点に関するHの供述は、その内容からして、中林の現金供与という供述内容の信用性を補強する関係にはない。

また、Hが証言するところの中林発言の前半部分の「接待はしているし」に関して、反対尋問で弁護人がHに尋ねたところ、Hは、「中林から、キャバクラやクラブといった夜の店に行って接待していると聞いていた」と答えた。実際には、中林は藤井市議とファミリーレストランなどで3回昼食を一緒にし、一回、居酒屋で45分程度会った程度であり、キャバクラやクラブで接待したことなど一切ないことは争いのない事実である。Hの証言は、中林の現金供与の供述の信用性の補強等には全くなり得ないのである。

しかも、このHの証言の元になる検察官調書は、昨年7月の藤井市長の起訴の直後に急遽作成されたものだ。私が、ブログ【「責任先送りのための起訴」という暴挙】で、

藤井市長が、現金の授受を一貫して全面否定し、会食の場にいた同席者も、席をはずしたことはなく、現金の授受は見ていないと供述している以上、賄賂の授受の立証が到底無理だということは、常識で考えればわかるはずなのに、なぜ起訴という暴挙に出たのか。それは、現職市長を逮捕した事件だからこそ、処分保留・不起訴にすることは、警察幹部、そして、その逮捕を了承し、勾留請求をした検察にとって、重大な責任問題になるからだ。いくら公判立証が困難であっても、無罪の可能性が高いと思っても、現時点で、現職市長逮捕が見込み違いであったこと、間違いであったことを認めるよりは、ましだからだ。

等と痛烈に批判したことを受けて、検察官が、急遽苦し紛れで仕立て上げてきたものであろう。

このようなHを証人尋問したいという検察官の請求に対して、弁護人は「関連性なし」として強く反対したが、裁判所は、敢えて検察官の請求を認めて証人尋問を行うという丁寧な審理を行った。その結果、Hが法廷で証言した内容は、前記のような、およそ中林証言の補強とはなりえないものだったのである。判決が、Hの証言を「曖昧な内容」の一言で切り捨てているのは当然と言うべきであろう。

(1)~(4)のメールが、藤井市長に現金を渡したとする中林の供述の信用性を裏付けるものだという検察官の主張も、Hの供述で中林供述が補強されるとの主張も、「常識的に考えて凡そ論外」というレベルのものであり、裁判所が、簡単な判示で切り捨てたのは誠に当然なのである。

控訴審議に関わっている検察関係者が、上記の2点についての名古屋地裁の判断に納得できないから控訴すると本気で言っているのだとすれば、名古屋地検・高検で、控訴の可否についてまともな審議が行われているか否かすら疑問だと言わざるを得ない。担当検察官が都合のよい証拠だけ取り上げて説明するのを鵜呑みにし、弁護人の弁論も読まず、証拠全体も見ていないのではないかと思える。

■美濃加茂に本当の春を

「検察控訴の方針」と報じる中日新聞の上記記事は、一部の検察関係者の「妄想」を真に受けた誤報であってほしい。それは、検察組織に「最後の良識」が残っていることを信じる私の切なる願いだ。

記事にも書かれているように、美濃加茂市議会は11日、市政への影響が長期化することを懸念する声明を発表。市長の支援者は、12日に声明文を地検に手渡して控訴断念を求めている。

5万5000人余の美濃加茂市民は、春を待っている。

名古屋地裁の「極めて当然の無罪判決」が確定して藤井市長の潔白が明らかになり、市長の不当逮捕の影響で延期されていた市政60周年記念式典等の行事が晴れて行えるようになる時、美濃加茂市民にとっての本当の春が訪れる。

もし、検察が、「いまさら後には引けない」「控訴断念では検察組織の面子が潰れる」という理由で控訴を行うとすれば、それは、もはや、権力の亡者による「狂気」そのものである。

(2015年3月17日「郷原信郎が斬る」より転載)

注目記事