国会での証人喚問は「犯罪捜査のため」という暴論

日本人であることが不安になってきたというのが偽らざる思いである。

3月23日に衆参両院の予算委員会で籠池氏の証人喚問が行われ、安倍昭恵夫人から100万円の寄付を受領した旨証言したことを受け、野党側は、安倍昭恵夫人の証人喚問を求めているが、与党側はそれを拒否し、安倍首相自らが、昭恵夫人の証人喚問が不要であることの理由として、

なぜ籠池さんが証人として呼ばれたのかと言えば、...(中略)...補助金等の不正な刑事罰に関わることをやっているかどうかであり、私や妻はそうではないわけであるから、それなのに証人喚問に出ろというのはおかしな話

と堂々と述べている。

国会での証人喚問は、憲法62条の「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」と明文で認められている国会の「国政調査権」の手段の一つである。

その「調査権」にも限界があり、喚問した証人自身に対して「刑事事件」に関することを証言させることは、憲法38条1項の「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」との規定で保障される「供述拒否権」を侵害する恐れがあるので、議院証言法4条で「証人又はその親族等が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときには証言等を拒むことができる」として、憲法上当然の権利が、証人喚問においても認められている。

籠池氏が証人喚問で、「刑事訴追のおそれがあるので答弁を控えます」と述べて証言を拒否したのも、この権利に基づくものだ。

国政調査権が与えられていることは、国会の機能にとって極めて重要なことだが、「証人の犯罪に関すること」には調査が及ばないのは、あまりにも当然のことであり、常識以前の問題である。したがって、籠池氏に補助金に関する犯罪の疑いがあるのであれば、それは証人喚問の「障害」にはなりえても、証人喚問の理由になるなどということはあり得ない。

犯罪に当たる可能性のあるものだけを証人喚問するということであれば、証人喚問は「犯罪捜査のためのもの」ということになり、「刑事訴追の恐れがある」との証言拒否で終わってしまう。

ところが、その国政調査権に関する当然の常識に反して、安倍首相が、「犯罪の疑いがなければ、証人喚問は行わない」と国会で公言し、それに呼応して、政府首脳や自民党幹部までが、同趣旨のことを言い出している。まさに憲法も法律も無視した暴論が平然とまかり通るというのは、一体どういうことなのであろうか。

籠池氏の証人喚問の4時間余り後に、昭恵夫人のフェイスブックでコメントが出たことについて、形式・内容から見て、昭恵夫人自身が投稿したものではなく、首相官邸側の反論を、昭恵夫人のフェイスブックを使って公表した可能性が高いこと、昭恵夫人の行動は「私人」としてのものだと説明しながら、官邸側の対応と昭恵夫人の対応とを「一体化」させるようなやり方は不適切で、かえって、昭恵夫人を今後一層窮地に追い込むことになりかねないことを、一昨日のブログ記事【昭恵夫人Facebookコメントも"危機対応の誤り"か】で指摘した。

しかし、与党自民党サイドは、依然、フェイスブックでコメントを出していることも、昭恵夫人の証人喚問が不要であることの理由にしている。

今回の問題についての自民党や官邸側の危機対応の誤りについては、【籠池氏証人喚問は、自民党にとって「危険な賭け」】【籠池氏問題に見る"あまりに拙劣な危機対応"】などで指摘してきたが、安倍首相側、官邸、自民党の対応は、これまでの対応を反省するどころか、ますます開き直り、憲法に反すること、法律に反することを、平然と公言し、行っているというのが現状である。

私は、これまで、長期化している安倍政権と日本政府について、「権力の一極集中」に漠然とした危惧感を持ちながらも、国政を遂行する能力、様々な事態に対応する能力という面では、それ相応に高いものと考えていた。少なくとも、その前の民主党政権よりははるかにましだと思ってきた。

しかし、この森友学園問題という、外交・防衛等の国政の重要課題とはレベルの違う、些細な問題での対応に失敗し続け、最後には、法治国家ではあり得ないような対応を、組織を挙げて行っている安倍政権の現状を見ると、やっていることのレベルは、混乱が続いている近隣諸国と変わらない。

日本人であることが不安になってきたというのが偽らざる思いである。

(2017年3月27日「郷原信郎が斬る」より転載)

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