「ほとんど」って、どれくらい-「ほとんど」何とか(2):研究員の眼

「ほとんど」ってどれくらい?

はじめに

前回の研究員の眼で、「ほとんど整数」と言う概念について紹介し、その明確な定義が無いことを述べた。実は、これと同様に、日常生活において、我々は「ほとんど」という言葉をよく使うが、その意味するところについても曖昧なままである。

どの程度の条件を満たしていれば「ほとんど」といえるのかについては、必ずしも明確な定義があるわけではない。状況によっても使い分けられているものと思われる。

「ほとんど」の感覚

例えば、ある会議で「ほとんどの人が参加した」と言われたら、皆さんは、対象者のどの程度の人が参加したとイメージするのだろうか。

ある人は、90%以上と思うかもしれないし、他の人は70%以上と想定するかもしれない。

99%以上の人が参加している場合には、おそらく「ほとんど全て」の人が参加した、というような形で「全て」と言う言葉が付与される場合もあるので、「ほとんど」だけでそこまでイメージする人はいないかもしれない。

一方で、半数以上ではあるけれども、3分の2を下回るような人が参加したようなケースでは、むしろ「過半数」等の別の表現が使用されるので、そこまで少ない割合をイメージする人もあまりいないかもしれない。

「ほとんど」の類似語

「ほとんど」と同様に、大きな割合を占めていることを示す表現に、「大部分」や「大半」といった言葉がある。さらには、「大体(だいたい)」「大方(おおかた)」「大概(たいがい)」「大抵(たいてい)」等の表現もある。ただし、これらの表現が示している割合の間の関係も必ずしも明確ではない。 

「ほとんど」については、名詞や副詞として使用されるが、名詞としての意味は、以下の通りとなっている。

広辞苑によると、

「ほとんど」→ 大方、大略

「大部分」 → 半分より多くの部分、おおかた、おおよそ

「大半」  → 半分以上、過半、大部分、おおかた、

日本国語大辞典によると

「ほとんど」→ 多くの中の大部分、十中八九

「大部分」 → ほとんど、たいてい、おおかた

        半分以上の部分、大きな部分、ほとんど全部、大分

「大半」  → 全体の半分以上、過半、大部分、おおかた、たいてい

これによると、「ほとんど」が最も割合が高く、「大部分」と「大半」はそれよりも低い割合のケースにも使用されているように思われる。

いずれにしても、人によっても受け取り方は異なってくるものと思われる。さらには、時と場合によってもイメージは異なってくる。

例えば、諸般の事情から、できるだけ多くの人が参加したことを強調したいという意識がある場合には、あえて「ほとんど」という表現を用いることもあるだろう。上記の国語辞典の定義によれば過半数を占めていれば、「大部分」と言えることにもなる。

「ほとんど」の語源・由来

語源由来辞典によれば、「ほとんど」は副詞の「ほとほと」が音変化した用語であり、「ほとほと」は「辺」や「側」を表す「ほとり」の語源「ほと」を重ねたもので、「もう少しで」というところから、「だいたい」や「危ういところで」の意味を表すようになった、とのことである。

この語源からすれば、「ほとんど」はかなり大きな割合を占めている場合を示しているものと思われる。

数学の世界における「ほとんど」の定義

数学においては、「ほとんど」そのものではないが、「ほとんど」を使用した文言に対して、厳密な意味で使用される定義をしている。

学生時代に数学を勉強していた時に、「ほとんど至るところで(almost everywhere)」とか「ほとんど全ての(almost all)」などの決まり文句がよく表れてきて、ある意味閉口した経験もあるのではないか。

数学では、「集合」という概念と「測度」の概念を用いて、「ある性質Xについて、その性質Xを満たさない点の集合の測度0である場合」に「ほとんど至るところで(almost everywhere)性質Xを満たしている。」ということになる。

さらに、確率論においては、確率測度で考えた確率が1になる場合に、「ほとんど確実に(almost surely又は almost certainly )」という用語が用いられる。

数学の世界では無限集合を前提に考えていることが多いので、例えば「ほとんど全てが性質Xを満たしている」としても、性質Xを満たさない点等が有限しかない、ということではない。

例えば、「(素数は無数に存在するにもかかわらず)ほとんど全ての自然数は合成数(2つ以上の素数の積で表すことのできる自然数)である。」ということになる。

「ほとんど」の英語表現

英語で、「ほとんど」を表現する場合には、almost、most、almost all等の表現が用いられるが、かなりの割合を占めている大部分のケースを指しているようである。

日常生活における「ほとんど」の使用

このように、そもそもの世界では、「ほとんど」は、かなり大きな割合を占めるケースを想定しているようだが、実際の日常生活では、もっと柔軟性のある形で使用されていると思われる。

ほとんどの学生は英語を勉強する。

彼女は給料のほとんどを貯蓄する。

私の友達のほとんどは日本人である。

ほとんど毎日お風呂に入る。

私はほとんど何でも食べられる。

職場や仕事の悩みのほとんどは人間関係だ。

この薬はほとんどの病気に効果がある。

そもそも、「ほとんど」という表現は、「100%」だと言うことはできないが、全体としてみれば、かなりの大きな割合を占めている、ということを表現したいがために使用される。

さらには、「9割程度」とか、「85%」とか、具体的に数値で示すことができないケースや、それが適当でないと考えられるケースに使用されることになる。

結局は、それぞれの文章表現における「ほとんど」が意味する割合については、そもそもそのことを余り気にする必要がないか、そのことが気になる場合でも、話し手や聞き手の経験や社会常識等に基づいて、主観的に判断されていくことになる。

最後に

以上、2回のコラムで「ほとんど」という表現に関するテーマについて、考えてみた。

こんなことは「ほとんどどうでもよい」ことだという人もいるかもしれないが、「ほとんど趣味の世界」でお付き合いいただいた。どうも有難うございました。

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(2017年5月16日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

取締役 保険研究部 研究理事

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