ヒトで世代を超えて伝わるような遺伝的改変は重大なリスクをもたらす一方で、その治療的利益はほんのわずかだとして、研究者らが警鐘を鳴らしている。
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ゲノム編集ツールを使ってヒト胚のDNAを改変する研究がもうじき報告されると考えられている1〔訳注:2015年4月18日、中山大学(中国・広東省広州市)の研究者らがCRISPR/Cas9系を使ったゲノム編集をヒト受精卵に用いて遺伝子改変を試みたという研究論文が、Protein & Cellにオンライン掲載された〕。
この種の研究の倫理性や安全性については大きな懸念が持たれている。また、こうした研究が、生殖細胞ではなく体細胞にゲノム編集技術を使って行われる重要な研究にまで、マイナスの影響を及ぼしかねないと危惧する声もある。
このコメント投稿に参加した我々は全員、上に挙げた体細胞のゲノム編集研究に関わっている。我々のうち1人(Fyodor Urnov)は、最初のゲノム編集ツールであるジンクフィンガーヌクレアーゼ2(ZFN)の開発に寄与し、現在は、ZFN類を開発するサンガモ・バイオサイエンス社(Sangamo BioSciences;米国カリフォルニア州リッチモンド)で主任研究員を務めている。また、3人(Edward Lanphier、 Michael Wernerおよび Sarah Ehlen Haecker)が所属する生殖医療連盟(ARM;米国ワシントンD.C.)は、計200以上の生命科学関連企業、研究機関、非営利組織、患者支援団体、さらに、ゲノム編集に関連する技術を含む治療法の開発や商業化に注目している投資家たちが加入する国際組織である。
ゲノム編集技術は、エイズや血友病、鎌状赤血球貧血、数種類のがんなど、多様なヒト疾患を治療するための強力な手段になる可能性を秘めている3。現時点で臨床開発のさまざまな段階にあるゲノム編集技術はいずれも、T細胞(白血球の一種)などの体細胞の遺伝物質を改変することを目的としており、精子や卵に作用を及ぼすよう設計されてはいない。
我々の見るところでは、現在の技術を使ってヒト胚のゲノム編集を行うと、将来の世代に予想を超えた影響が出る可能性がある。このため、ヒト胚のゲノム編集は危険であり、倫理的に容認することはできない。その種の研究は、治療目的ではない遺伝的改変のために利用されてしまう恐れもある。こうした倫理的侵害に対して一般社会から強い反発が起こり、次世代に伝わらない遺伝的変化を起こすような有望な治療法の開発まで妨害されてしまいかねないことを、我々は懸念している。
この技術はまだ初期の段階であり、科学者はヒト生殖細胞のDNA改変に賛同すべきではない。ただ、生殖系列の遺伝的改変により治療的利益が生じるような、真に説得力のある事例が全くないと断言することも現時点ではできない。そこで、適切な行動指針についてぜひオープンな議論をしてほしいと我々は考える。
ゲノム編集ツール
ヒト体細胞のゲノム編集は、疾患の原因となる変異を修復もしくは排除することを目的としている。その適用の根拠は、問題の変異のある細胞を十分な数だけ矯正すること(この場合、施された遺伝的修復は、遺伝子改変細胞とその子孫細胞が生きている間は保持される)が、患者にとって「1回で済む」根治療法になると考えられる点にある。
例えばZFNは、DNAの一部に二本鎖切断を引き起こすように操作できるDNA結合タンパク質である。こうした「分子のハサミ」を使うことで、特定の遺伝子を「ノックアウト(破壊)」したり、変異を修復したり、あるいは狙った場所に新しいDNA鎖を組み込んだりできる。
サンガモ・バイオサイエンス社は現在、ゲノム編集技術を使ってエイズの「機能的完治」(HIVが検出されない長期的な寛解状態)が可能かどうかを評価するための臨床研究を行っている4。この治療で期待されるのは、改変したT細胞の静脈内注入によって、患者が抗ウイルス薬を服用しなくてよくなることだ。また、βサラセミア(ヘモグロビンのβ鎖生成異常で起こる遺伝性の血液疾患)の患者を対象とする第I相臨床試験は2015年内に始まる予定である。
ゲノム編集の「兵器庫」に直近に加わったのは、細菌由来のCRISPR/Cas9系で、これは特定のヒトDNA塩基配列を認識するRNA分子を利用する。このRNA分子はガイドとして働き、ヒトゲノム内の対応する部位にヌクレアーゼを誘導する。CRISPR/Cas9系は、特定のDNA塩基配列に結合するタンパク質を用いる遺伝子操作ではなく、RNAとDNAの塩基の対合に依存するため、非常にシンプルなゲノム編集ツールである。
CRISPR法はゲノム編集研究を飛躍的に拡大させた。しかし、この技術をヒト胚に使うことで、既存もしくは現在開発中の手法を上回る治療上の利益が得られるような状況は思い浮かばない。それに加え、遺伝子が改変された細胞の数を正確に制御することは難しいだろう。使用するヌクレアーゼの用量を増やせば、変異遺伝子が矯正される見込みは高まるだろうが、それ以外のゲノム部位で切断が起こるリスクも高まってしまうからだ。
1個の受精卵で、1分子のヌクレアーゼが必ずしも標的遺伝子を2コピーとも切断するわけではないし、変異の矯正が完了する前に受精卵が分裂を始めて結果的にモザイク状態になってしまう可能性もある。遺伝子編集技術をラット5、ウシ6、ヒツジ7、ブタ8などの動物で実施した研究からは、1個の胚の一部の細胞でのみ、遺伝子を削除もしくは無効化できることが示されている。そのプロセスはDNA塩基配列を実際に矯正するよりも簡単である。
この編集技術の現在の能力では、品質管理が一部の細胞集団だけにしか及ばないため、1個の胚に対して行った遺伝的改変の正確な効果は、出生後まで知ることができない。また、出生時には特に何もなくても、何年かたってから問題が表面化する可能性もある。両親がどちらも特定の疾患に関連する同じ変異を持っている場合には、標準的な出生前遺伝子診断や、体外受精(IVF)を行った後に胚の遺伝子プロファイリングを行う着床前診断などのすでに確立された手法がある。これらの手法の方が選択肢として好ましい。
法的事例
患者の安全は、ヒト生殖系列(卵や精子とその前段階の未分化細胞)の遺伝的改変に反対する意見の中で最も重要視されている問題だ。もしモザイク胚ができてしまった場合、その胚の生殖系列は遺伝的変化を保有することになるかもしれないし、そうならない可能性もある。しかし、ヒト胚にCRISPR/Cas9系を使えば、ヒト生殖系列の遺伝的改変の実現に向かって確実に進むことになる。もし、この技術を哲学的あるいは倫理的に正当化できる使い方があったとしても、複数世代にわたって安全な結果と再現性のあるデータが得られるようになるまでは事実上、無価値である。
2009年になって、ラットで生殖系列の遺伝的改変が技術的に実現可能であることが確認された9。その10年前の時点で一部の国々は、上記のような懸念と重大な倫理的理由から、この種の研究を指針により規制もしくは法律で禁止していた(そうした対応をとる国は、現在では約40カ国に上る)。
だが、多くの国は、ヒトの遺伝子操作に関して明確に許可もしくは禁止する法律を整えていない。そうした研究は実験的なものであって治療用ではないと見なしているためである。それに対し、世代を超えて継承され得る遺伝的改変に関して指針のある国々では、生殖系列の改変が法律によって、もしくは法的拘束力のある手段で禁止されている。
こうした見解が最もよく見られるのは西欧である。この地域では、22カ国のうち15カ国がヒト生殖系列の遺伝的改変を禁止している4。一方、米国は、生殖系列の遺伝的改変を公式には禁止していない。だが、米国立衛生研究所(NIH;メリーランド州ベセスダ)の組換えDNA諮問委員会(RAC)は、「現時点では生殖系列の遺伝的変更の申請を検討する意向はない」と明言している(go.nature.com/mgscb2参照。またNIHは4月29日、ヒト胚の遺伝子改変を行う研究には助成金を付与しない方針であることを発表した)。
遺伝子操作した体細胞の臨床利用を研究したいと考える研究者は、通常、被験者の同意を得る必要がある。米国ではこの手続きが米国食品医薬品局(FDA)と保健福祉省の監督下で行われる。生殖系列の遺伝的改変を含む研究の場合、将来の世代も巻き込むリスクがあることを、これから親になろうとする人に適切に情報提供する必要がある。だが、どんな情報が必要なのか、あるいはどんな情報が得られるのかが、今のところ明らかでない。
多くの人が生殖系列の遺伝的改変に反対する背景には、明らかに治療目的の介入であっても、それを許すことで、治療ではなく能力増強を目的とした改変に一歩踏み出してしまうのではないかという懸念がある。我々もそうした懸念を抱いている。
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話し合いが必要
2004年末に、遺伝学・公共政策センター(the Genetics and Public Policy Center;現在は米国ワシントンD.C.)が米国とカナダの専門家80人以上を集めて、ヒト生殖系列の遺伝的改変による科学的および倫理的な影響を検討したことがある(訳注:『Human Germline Genetic Modification: Issues and Options for Policymakers』として2005年に報告書がまとめられた)。現在、ヒト生殖系列の遺伝子操作が実現する可能性が出てきたことを踏まえて、我々は、国際的な科学コミュニティーがこの種の話し合いを行うことを強く要望する。短期的に研究をどう進めるかを明確にするためにも、また、ヒト生殖系列の遺伝的改変を含む研究を将来行うべきかどうか、もし行うならどのような環境下で実施を認めるか検討するためにも、話し合いが必要である。そうした議論には、専門家や学術研究者だけでなく一般市民も参加すべきである。
科学の新しい実現可能性が明らかになったときに早期にオープンな話し合いが持たれた良い先例がある。英国でミトコンドリア置換法の認可をめぐって、科学者や生命倫理学者、立法関係者、一般市民が参加した一連の公聴会や審議会、報告が行われたことである。その後、2015年2月に英国政府はミトコンドリア置換治療法の合法化を決定した。もちろん我々は、卵もしくは胚の異常なミトコンドリアDNAを女性ドナーからの健康なDNAと置換する方法と、ヒト胚へのゲノム編集技術の使用を比較するつもりはない。ミトコンドリア置換法の目的は命に関わる病気の遺伝を防ぐことにあり、ゲノム全体のうち既知の微少な部分を置き換えるだけでそれが達成できるからだ。
あらゆる議論と今後の研究にとって重要なのは、体細胞のゲノム編集と生殖細胞のゲノム編集を明確に切り離すことだ。この2通りのゲノム編集技術の違いを一般社会に正しく伝え広め、ヒト生殖系列の遺伝的改変を抑止するには、研究界の自主的な一時停止措置が有効な方策となり得るだろう。生殖系列のゲノム編集の安全性や倫理的影響には当然のことながら懸念が伴う。そうした懸念が、重篤な消耗性疾患を完治させられそうな手法の臨床開発の進展を妨げるようなことがあってはならないと、我々は考える。
Edward Lanphierは、サンガモ・バイオサイエンス社(米国カリフォルニア州リッチモンド)の社長かつ最高経営責任者で、生殖医療連盟(ARM;米国ワシントンDC)の議長。
Fyodor Urnovは、サンガモ・バイオサイエンス社の主任研究員。
Sarah Ehlen Haeckerは、生殖医療連盟の技術部門責任者。Michael Wernerは、生殖医療連盟の事務局長。
Joanna Smolenskiは、ニューヨーク市立大学(米国ニューヨーク州)の大学院センターで哲学を専攻する博士課程の学生。
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 6 | doi : 10.1038/ndigest.2015.150625
原文:Nature (2015-03-12) | doi: 10.1038/519410a | Don't edit the human germ line
Edward Lanphier, Fyodor Urnov, Sarah Ehlen Haecker, Michael Werner & Joanna Smolenski
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