プロボクシングで世界6階級を制覇したフィリピンの英雄マニー・パッキャオ(37)は9日、米ラスベガスでティモシー・ブラッドリー(32)に3―0の判定で快勝し、試合後のインタビューで改めて引退を表明した。5月に投開票される母国の上院選に立候補しており、「これからは国民を助け、家族との時間を大切にする」という。しかし、私は彼が早晩リングに戻ってくると予測する。出身地の貧しい町には、パッキャオ以外の「産業」がなく、政治でそれを補うことは当面難しいからだ。
パッキャオは現在、ミンダナオ島サランガニ州選出の下院議員だ。2010年に初当選し、2期目。今回立候補した上院選は全国区で12人が選ばれる。将来の大統領候補が競うポストとされる。抜群の知名度に加え、選挙戦さなかの試合で勝利し当選が有力視されている。
私は3年前、パッキャオを同州に隣接するジェネラルサントス市の邸宅に訪ねた。紛争の続く貧しい南の島のさらに最南端に位置する町は、マグロ漁業の基地として知られるが、それを除けばこれといった雇用先はない。最初の選挙以来、「知名度を生かして投資を促進する。海外からも企業を誘致する」と有権者に訴えてきたが、町街並みを見る限り、パッキャオ自身が建てたホテル、商業ビルなどを除いて、投資が入ってきた形跡はない。
政府軍とイスラム教徒らが長年争ってきた地域に近く、ミンダナオの中心都市ダバオからの道は整備が行き届かない。内外の資本が投資を考える環境とは言いがたい。
この伝説のボクサーは同島中部で、三食を満足に食べられない貧しい農家に生まれた。その後、移り住んだジェネラルサントスからは離れないが、路上で煙草を売っていた少年時代と違い、現在はマンションと呼ばれる豪邸で多くの家族や使用人に囲まれて暮らしている。
ふたつの棟からなるマンションにはバスケットボールの室内コートや客人用の巨大なダイニングルームが設けられている。海外で対戦を終えて凱旋帰国するたびにマンションの前には行列ができる。「お土産」を待つ人々だ。パッキャオはコメや油を配って、これにこたえるだけではなく、過剰にみえる数のスタッフを雇っている。体育館などの施設も建ててきた。「断ることができない男」と、人のよさを揶揄されてきた。
それにしてもなぜ選挙に立つのか? 直接聞いてみた。
「ボクシングで成功するまで私は家もなく、路上で寝ていた。私には貧しい人たちの気持ちや必要とするものがわかる。政治家として彼らの心のチャンピオンになりたい」
「米国で対戦が終わるたびに私はお金や食糧を貧しい人たちに配ってきた。だがそれだけでは限界がある。政治家になれば貧しい人たちに多くの家を建てることもできる」
私は得心しなかった。「国民的英雄」と呼ばれる彼がなぜ、批判され泥にまみれることもある政治の世界に踏み込むのか。「その覚悟はできている」と話したが、一方で「政治が好きなわけではない」とこぼしもした。あくまで「貧しい人のため」というのだが、インタビューでも選挙演説でも具体的な貧困解消策を語ることはなかった。議会活動に熱心ともいえない。下院への登院日数が少なく、現在大統領令違反で行政監察院に告発されている。
自ら設立した政党「民衆のためのチャンプ運動」の党首でもあるパッキャオは3年前、妻を副知事に、弟2人と義妹を自治体の公職に当選させた。もう1人の弟は下院選に出馬した。
フィリピンの他の政治家同様、地元に政治王朝を築こうとしているのだ。それによって引退後の生活を維持するとともに、チャンピオンにすがる人々の生活を支えようとしているようにみえる。もちろん上院議員の歳費など、これまでの稼ぎに比べれば知れている。投資した事業が大当たりした話も聞かない。政治力で従来通り周囲の期待に応えることができるか?
「ボクシングでやるべきことはやりつくした」と、競技への情熱が薄れていたことを認めていた。つまりここ数年は、必要な金を稼ぐために戦ってきた面が強かったのではないか。
3年前、パッキャオ破産か? といった報道が地元のウエブサイトをにぎわした。1戦で十億円単位で稼ぐ一方、寄ってくる人々への施しに加え、浪費癖、ギャンブル癖がある。さらに過去2回の選挙で860万ドルを使ったとも伝えられている。
2月、パッキャオはテレビのインタビューで「同性愛者は動物以下」と発言し、ナイキからスポンサー契約を破棄された。今後、ファイトマネーは入らない。その状況にパッキャオも周囲も耐えられるか? 肉体的には限界ではないと本人もコーチも口をそろえる。そしてプロモーターにとってはいまもドル箱の選手だ。
ファンにはまた楽しみな機会が訪れる、と私は信じている。