交通渋滞、空港とこれまでマニラにおける「アジア最悪」をこのブログで指摘してきた。罪滅ぼしではないが、ここで「アジア最高」と私のイチ押しメイド・イン・フィリピンを挙げてみたい。
美人である。
正確には美人の多さ、出現率の高さだ。個人の審美眼に過ぎないといわれるかもしれないが、実際にフィリピン出身者は、世界の美人コンテストで中米と並んで上位入賞の常連である。優勝、入賞数でアジアの他国を圧倒しているはずだ。
こんなことを書くのも、昨年12月のミス・ユニバース世界大会でフィリピン出身のピア・ウォルツバックさんが優勝し、その歓迎フィーバーがすさまじかったからだ。
天皇陛下がフィリピンを訪問した前日の1月25日、ピアさんの帰国凱旋パレードがマニラ首都圏であり、テレビや新聞はこのニュース一色となった。主要道路は一部閉鎖され、それでなくてもひどい渋滞がさらに悪化、1000万都市は機能不全になった。それでも多くの市民はイベントを心から楽しんでいるようにみえた。
一部主要道路を封鎖したのは昨年11月に開催されたAPEC首脳会議以来だが、そのときは封鎖の是非をめぐり議論になったり、文句を言う人が多かったりしたが、今回はマスコミ報道でも、批判的な論調は見当らなかった。テレビのインタビューでタクシー運転手は「こんなに幸せな渋滞は初めて」と答えていた。日本の新聞、テレビには天皇訪比が大きく取り上げられたが、残念ながら当地では、ピアさん関連のニュースに押されっぱなしだった。
ミスコンの入賞者が多い背景には、美人の出現率の高さに加え、国民の関心の高さ、裾野の広がりも見逃せない。町内会や学校でも美人コンテストが盛んで、女性であれば、子供のころからコンテストに出場するのは当たり前だ。だからそこでの歩き方(モデリング)や受け答えに慣れている。入賞すれば、子供でもご褒美がもらえる。コンテストの格が高くなると、報奨も大きくなる。
ファンの数も日本などに比べて格段に多い。大きな大会ならテレビ中継すれば十分に視聴率がとれる。今回のミス・ユニバース戴冠もテレビや新聞はずいぶんと商売にしていた。
つまり参加者やファン層が厚いうえ、入賞者はセレブリティへのパスポートを手に入れることができる。一方、名士は娘がミスになることを一家の勲章と考える。衣装に金をかけ、審査員とのコネを探す。大会の切符販売への貢献度も重要な指標となる。
イメルダ・マルコス氏は元ミス・マニラ。大統領夫人に上り詰め、戒厳令下の74年にミス・ユニバース世界大会をアジアで初めてマニラに誘致し、会場を突貫工事で完成させた。
私が新聞社の特派員としてマニラに駐在していた1994年5月、マニラで2度目のミス・ユニバース世界大会が催された。大会前の1か月間、新聞やテレビはこの話題で埋め尽くされた。出場者の人気投票が催され、特別番組が相次いだ。だれが一番きれいかをめぐって殺人事件も起きた。
ミス・フィリピンは「民族衣装賞」をもらったが、他の参加者が「地元びいき」と話したことが新聞の一面トップとなり、審査委員長だった当時のエストラダ副大統領がむきになって反論していた。決勝は、米国のプライムタイムに合わせるため、午前8時から催されたのだが、国民はテレビにくぎ付けで街に人影はなかった。当時の観光大臣は「ミスコンはフィリピン文化の一部」と語っていた。
国民の関心が高いから、政治家もこれに便乗する。ピアさんの地元の国会議員が先に「ミス・ユニバース報酬免税法案」を提出した。ボクシングのマニー・パッキャオのときもファイトマネーを非課税にという議論が国会で交わされていた。理由は一緒だ。「国民に誇りをもたらしたから当然」とマニラ・ブリティン紙は社説で論じていた。
「おいおいそれとこれ(納税)は違うだろう」というのが私に限らず、日本人の大方の感覚だと思うが、この国では、それとこれとは時に一緒なのだ。
フィリピンで覚える違和感はたいがい、公私の線引きが日本と異なることから来る。この国の人たちにはパブリックという概念が希薄だ。だからAPECもミス・ユニバースも一緒なのだろう。
ただそのあいまいさ、いい加減さこそが、やさしさやホスピタリティーといったこの国の美徳と暮らしやすさにつがっているのも事実だ。