2016年2月、中東シリア情勢で動きがありました。現地時間11日夜にドイツで行われた"シリア支援国会合"の外相会議において、米露・中東など参加国外相が「シリア全土での停戦条件などを1週間以内に定める」ことで合意したのです。人道援助物資を届ける作業に直ちに着手、その後シリア全土で1週間以内を目標に停戦履行に入るという計画 - しかしアメリカのジョン・ケリー国務長官は「5年に及ぶシリア内戦の終結に向けた道は容易ではない。政治が変わらなければ平和は訪れない」と指摘しています。
細い細い一条の光を頼りに平和への道を歩むシリア。今回はそのシリアを日本から支援するアメリカ人、クリス・ホランドさんをご紹介します。
クリスさんとMy Eyes Tokyoとの出会いは数年前に遡ります。当時は自らのルーツを確かめるかのように日本の伝統文化の習得に励んでいたクリスさん。しかしご家族を養う身となって改めて人生を振り返り、将来のことを真剣に考え始めました。
やがてクリスさんは、ある日突然"使命"に出会います 。それが、今なお惨状を極める中東シリアで過酷な生活を強いられている人々に寄り添うことでした。
第二次世界大戦中に日系人強制収容所に送られたという祖父を持つクリスさん。世界平和への希求をDNAに深く刻み込んだ男の決意表明を、皆様にお届けしたく思います。
■ 見るに堪えない現実
僕が代表を務める団体"White Heart For Syria"は、現在4人で運営しています。アメリカ人である僕、日本人である僕の妻、そしてシリアからやってきた2人の若者です。そして彼らシリア人の友達2人が現地スタッフとして活動しています。
僕たちの活動目的は、シリアで助けを必要としている家庭にお金や物資を届けることです。
現在シリアは、全体的に電気の供給が非常に不安定です。それは空爆による発電所の破壊以外に、反政府活動が行われている地域に対し、政府が意図的に電力供給を止めてしまうことも原因です。
電気以外に水道や、国連などからの支援物資の供給が意図的にコントロールされるケースが多く、しかもそれは反政府活動が盛んな地域に対してだけに留まりません。政府を支援している地域に対しても行われます。それらの供給を制限することが、政府による支配を容易にするからです。
このような現状があるため、シリアにはその日の食べ物にも困っている人たちがたくさんいます。現地の子供たちも、食事を1日1回や2日に1回にまで制限され、しかもその食事も決して栄養のバランスが取れたものとは言えない状況です。
だから家族や親戚が集まり、食材や調味料を出し合い、料理を作ってみんなで分け合う。時々供給される水道水でしばらくの期間必要な水量を確保し、いつ実施されるか分からない次回の水道供給を待つ - このような現実に直面している人たちに向け、僕たちは活動しています。
■ 天から降りてきた"使命"
White Heart For Syriaを立ち上げたのは2015年2月。発起人は僕でした。
2013年の冬のある日 - 今でも全く理由が分かりませんが - 突然シリアのことが気になりました。それからしばらくの間、シリアのことばかり考え、夢中でシリアについてインターネットで調べていました。当時はあまりシリアのことがメディアで報道されていなかったので、シリアに"呼ばれた"としか表現できません。現地の子供たちが空爆の被害を受けて亡くなっていくような映像を見ながら、一人で泣いていました。
シリアについて調べ始めてから2週間後、のちにWhite Heart For Syriaを共に立ち上げることになる一人のシリア人に出会いました。彼は日本で、子供たちに体操を教えていました。それまでシリア出身の人たちに出会ったことはありませんでした。
僕らは近くのカフェに行き、3時間ほど話し合いました。彼は自分の携帯に入っていた、胸が張り裂けそうになるような写真の数々を僕に見せました。「現地で生活する人々のために動こう!」と言わずにはいられなくなりました。しかし当時はお互い多忙を極めており、すぐには活動を開始できませんでした。
その後2014年暮れ、トルコやヨルダン、レバノンなどにあるシリア難民キャンプで、寒さのために多くの子供たちが亡くなっているという報道に触れました。すぐに僕は彼に「難民キャンプの子供たちのために動こう!」と言いました。
年が明けて2015年、前年より多くの人々が難民キャンプには寒さに苦しんでいると聞きました。「今動かないと一生後悔する!」と思いました。そこへ僕の思いを受け止めてくれた妻、そしてコンピューターが得意なもう一人の日本在住シリア人が合流し、2015年2月にWhite Heart For Syriaとして正式に出発しました。
■ 「他の人を助けて」
使命感を抱いて支援団体を立ち上げたのは良いものの、僕たちはどのようにしてシリアへの支援金を日本国内で集めれば良いのか分かりませんでした。なぜなら、大々的に募金を行うことは自らを命の危険にさらす恐れがあったからです。そのため、僕たちの周りにいる信用できる人たちに直接声をかけ、協力を仰ぎました。さらにそれを現地に届けてくれるスタッフとして、日本側のシリア人スタッフの幼馴染たちがその役を買って出てくれました。
ご協力いただいた方々からいただいたお金で最初に支援しようと考えたのは、実はWhite Heart For Syriaのシリア人スタッフのご家族でした。このお金さえあれば、彼らをシリアから安全な場所へと避難させてあげられるだろう - そう思っていました。
しかし、スタッフが喜ぶことはありませんでした。それはご家族に「他にも苦しい思いをしている人がたくさんいるのに、私たちだけが避難できて、それで何になる?」という思いがあったからでした。「他の家族の子供たちを助けない限り、私たちはシリアから出ない」とまで、彼らは言われたそうです。
その固い意思を汲み、僕らはそのご近所に住む5家族に、集めたお金をお届けしました。いずれもお子さんが多くいる家庭でした。他にも付近の孤児院にパンなどの食べ物をご提供させていただきました。
■ 命を張る覚悟
この出来事が、僕たちの方向性を決めました。もともと母国外の難民キャンプに住む人たちを支援する目的で立ち上げたWhite Heart For Syriaでしたが、ダマスカス市内にさえも僕たちのような支援団体が存在しないということに気づきました。実際には分かりませんよ。もし戦争が終わって平和がシリアに訪れたら、他にもたくさんの支援団体さんが表に出てくるかもしれません。ただ、今は他に支援団体が見当たりません。だから支援先をシリア国外に住む難民から、シリア国内に住む人たちへと変えていきました。
昨年(2015年)12月初め、僕たちは初めてのチャリティイベントを吉祥寺で開催しました。集めたお金で温かい毛布など支援物資を購入し、シリアの子供たちにクリスマスプレゼントとしてそれらを届けることが目的でした。またこのイベントは、シリア人を含めた僕たちスタッフと人々が実際に交流する初めての機会。僕たちの活動を真正面から伝え、人々にシリアの問題をリアルに感じていただかなければ、僕たちが決めた30という数のご家族への支援を続けることはできない - それもイベントを企画した理由でした。
僕はこのイベントを機にWhite Heart For Syria、そしてその代表である自分、クリス・ホランドの名前だけは、臆することなく表に出していこうと決意しました。
吉祥寺 Rock Joint GB 2015年12月3日
■ 地上、空・・・日々さらされる危険
昨年2月の団体立ち上げ直後、僕たちは心ある方々のご協力により多額の寄付金をいただきました。そして昨年12月に開催した吉祥寺でのチャリティイベントで集めたお金で、多くの物資を購入することができました。
ただし、これらの届け先は秘密にしておく必要があります。なぜなら、お金や物が届いたことがその人の周囲に知れ渡ったら、助けを求めにたくさんの人たちが集まってきます。それだけでなく、シリア政府からも睨まれる可能性が高いのです。
できるだけ危険を回避するため、日本から送金する際はPayPalや Western Union(国際送金サービス)を経由し、少額ずつ送ります。それらのお金をご家族たちに届けるのは、現地スタッフです。さらに、きちんと相手にお金を届けたことを証明するために、映像で記録を残します。しかし上記のような理由から、届け先の方々の顔は映しません。また、最初から映像に記録することを断る方もおり、その場合はご意思に従い撮影を中止します。
映像撮影には危険が伴います。例えばスマートホンで映像を撮影し、そのままそれをポケットに入れたとします。もし帰宅途中に警察官に止められたら、スマートホンに入っている情報は全て調べられます。それによりWhite Heart For Syriaの存在や、現地スタッフが現金を持ち歩いていることがシリア当局に知られたら、その人はそのまま逮捕され、挙げ句の果てに"消されて"しまうかもしれません。
もちろん僕たちは、決して反政府活動のつもりで活動しているわけではありません。それでも、支援活動そのものが反政府活動だと捉えられてしまう可能性が高いのです。現在のような内戦状態になる前から、シリアでは秘密警察が暗躍し、多くの人々が不当に逮捕されてきたと聞きます。
それ以外にも現地スタッフは、日常的に危険にさらされています。あるスタッフは、自宅から徒歩10分ほど行ったところに爆弾が落ちたと言っていました。徒歩10分の距離など、軍用機の速さならわずか数秒。つまり、あと数秒早ければ、もしくは遅ければ、彼の家が被弾した可能性も十分にあるのです。
爆弾が現地のスタッフの家の近くに落ちることは、決して珍しいことではないそうです。そしてそのような境遇に、シリアに住む人々全てが日常的にさらされています。
だから僕は彼らにいつも「気をつけるんだよ!」と言います。彼らは決まって「平気だよ!」と返してくる。でも僕には、それが強がりだと分かります。そんな彼らを突き動かすのは、僕らと同じ使命感。お互い遠く離れていても、僕たちの思いを受け止め、支援活動に動いてくれています。大変心強いですが、どうか彼らには無事でいてほしいと、心から願っています。
■ 動くものは撃つ
僕たちが支援できるのは、今のところは シリア国内の30家族のみ。これが限界です。支援対象を決める基準は"今すぐ支援が必要か"であり、現地スタッフからの状況報告を受けて判断します。
もちろん、もっともっと多くのご家族を支援したいです。心が痛まないはずがありません。でも現状では、1人の現地スタッフが15家族をケアするというマンパワーの問題もありますが、それ以上に"規模を拡大したら睨まれる"のです。
今のシリアは、まず"外に出ること"自体が危険です。特に徒歩や自転車など、体がむき出しになった状態では、その危険度が増します。そのため僕たちは、乗用車やトラックを移動手段に使います。
今日本にいるWhite Heart For Syriaのシリア人スタッフの一人は、彼が母国にいた頃のある日、友達と2人でパンを買いに外出しました。すると彼の友達は、スナイパー(狙撃手)に頭を撃たれて亡くなりました。それ以後の10分間に起きたことは、彼の記憶から消えています。
■ 戦争よ早く終われ!
一方で空爆も続いています。空爆というものは無差別に行われるため、爆弾が落ちてくるまで、どこに着弾するのか全く分からない。つまり事前に予測して回避することは不可能です。
そんな中、幼い子供たちはささやかな楽しみを見つけるようになります。飛んでくる戦闘機の音を聞いただけで「あ、今のはロシア製の◯◯だね」などと当てっこを始めるのです。そんなことを小さな子供たちが知る必要が、どこにあるでしょうか?
このようなシリアの現状を、僕たちは覆すことはできません。僕たちができることは、戦争が早く終わることを祈ることだけ・・・
いえ、それ以外にも僕らにできることがあります。それは「支援する家庭に住む子供たちに夢や未来を与えること」です。
それに向けて今、小さな試みを行っています。30家族への支援を安定的に行うために、皆様からクラウドファンディングで募金をお願いしています。詳しい内容はこちらをご覧いただければと思います。
戦争が終わった暁には、必ずや支援家族を増やしていきたいと思っています。また物資や資金の援助だけにとどまらず、子供たちにとって必要な学校の建設や、海外からの先生の招聘も視野に入れたい。一刻も早く、その日が来てほしいと切に願っています。
【クリスさん関連リンク】
White Heart For Syria:www.whiteheartforsyria.com/
シリア戦争で支援者0の地域に命を繋ぐ為の支援物資を届けたい!(クラウドファンディング"READYFOR?"):こちらをご覧ください
*寄付金の受付は2016年3月10日(木)午後11時に締め切りとなります。
(2016年2月4日「My Eyes Tokyo」に掲載された記事を転載)