アラブ世界をもっと見つめよう......アラブ人と恋愛!

アラブ人は、好きな人への恋心を、人の肉体に宿って人を動かしているもので、肉体がなくなっても存在し続ける魂であるかのように表現することが多い。

ー アラブの街と恋愛の情緒 ー

何年か前に、眠らない町として知られるカイロへ里帰りしたときのこと。久しぶりに喫茶店やレストランで溢れる夜の街、ダウンタウンに出かけてみると、何だか街の様子や雰囲気が変わったように感じたのだが、明らかに目立ったのは、若いカップルの姿の数である。

男と女の関係にうるさいアラブ社会でも、恋愛は恋愛である。当たり前の話だが、アラブ社会でも、男も女も、好きな人ができると、一緒に出かけたり話したりする楽しさを覚えていく。そして、逢いたい気持ちがますます募った恋人の二人はデートの場所を求める。

一部を除いてアラブ世界のほとんどでは、一昔前までのカップルのデート場所といえば、人気が少ないレストランや公園などだったのだが、今では男と女は、人の目を気にせずに堂々とデートするのが普通(常識)になってきたのか。

私としては、ジェラシーの気持ちもあってか、その変化にやや違和感が残る。まあ、せっかくの里帰りなので難しいことを考えないことにして、カイロの夜をもう少し楽しもうと散策してみることにした。カイロの夜には、気持ちをウキウキさせてくれるものがある。それは街のあちこちに流れる音楽だ。ダウンタウンの街を歩いても、タクシーに乗っても、どこへ行っても、音楽がどこまでも追ってくる。まあ、踊りや音楽好きのエジプト人のことだから不思議ではない。そして、聞こえてくる歌のほとんどはラブソングである。

個人的に好きな曲が流れている方向に進んで耳を澄ますと、その歌詞の意味を日本語に訳せば、歯の浮くような恋愛表現ばかり。以前にどこかで読んだことがあるのだが、日本語の表現で、一番種類の少ないものは恋愛に関する語彙だという。昔も今も恋の言葉こそ口にするのが苦手な日本人のことだから、それもそうかもしれない。

一方、アラブ人の歌などを聞くと、あとで紹介する曲の歌詞にあるように、「一瞬でも一緒にいないと寂しくなる」「あなたと一緒の一番幸せな恋に浸るなど」と直接的に恋の喜びを表現するのが得意なのである。それに比べて、日本人はどうも悩みを歌にするのが好きなようだ。日本の歌の歌詞に注意して聞くと、そこに出てくる単語には「泣く」「涙」「濡れる」といった言葉が多い。

― アラブ人の恋愛事情、恋心は"魂"そのもの ― 

「日本の皆さん、こんにちは」──可愛らしい表情、笑顔を浮かべながら、そう話すのは、2006年放送の「NHK・テレビアラビア語会話」の取材先レバノンで出会った、今やアラブ世界の歌姫であるナンシー・アジュラム(女性歌手)。当時はアラビア語会話のNHK講座の講師を務めていた。

だいぶ古い曲となるが、1998年に"Mouhtagalak"というラブソングでデビューを果たし、その後も、次々とヒット曲を飛ばし、今やアラブ世界で誰からも愛される人気歌手だ。あなたは、もうすでに身をもって感じているのかもしれないが、恋とは、魂のような存在である。そんなイメージもあって、アラブ人は、好きな人への恋心を、人の肉体に宿って人を動かしているもので、肉体がなくなっても存在し続ける魂であるかのように表現することが多い。

ー「いつも一緒にいたい」人との出会いを求めてー

ところで、「あちら(アラブ)では、恋愛結婚と見合い結婚のどちらが多いんですか」と聞かれることがある。正確なデータをもっているわけではないが、今のアラブでは「見合い結婚」は、もはや古い時代の象徴的な存在となった。

一般にアラブでは、ほとんどすべての人が「結婚する」という感覚を当然のようにもっている。これは、アラブ人の人生において結婚の比重が大きいことを物語っている。イスラム教徒は、結婚を「自分の信仰の完成であり、信仰の半分に相当するものだ」と考えるのである。そこから、アラブ人の婚姻率の高さの理由として、イスラム教による社会通念の確立があげられる。さらに、経済成長による個人の経済的自立をあげることができるだろう。

伝統的にアラブでは、日本と同様に見合い結婚が圧倒的に多かったが、今では恋愛結婚がほとんどである。その男女の出会いの場は「大学や近所づきあい、職場」などだが、一番多いのは、何といっても家族関係の「集まり」である。

たとえば、結婚式や家族訪問などのときに、男性が女性を見初めて、婚約を経て結婚という流れが多い。もうおわかりいただけたと思うが、アラブ人の結婚の最大の特徴は、「親戚同士の結婚が多い」ことである。

この出会いから恋愛に至る推移が、家制度(男は仕事、女性は家庭という従来の考え方)の変化と、男女平等などの教育や考え方と連動していることは明らかである。これは、今のアラブの男女は、出会える場面が以前より何倍も増えたことを物語っている。

ただし、これにはいろいろな事情があって、アラブ人と一口に言ってもさまざまな国の人がいる。エジプト人、シリア人、モロッコ人、サウジアラビア人など、国による環境と事情の違いもあれば、共通するところもある。サウジアラビアなどの湾岸諸国では、いまだに男女の交際がタブー視されている。共学や共働きもほとんど存在しない。

一方、エジプトやシリア、レバノン、チュニジアなどでは、男女の恋愛を容認する風潮が広がっている。そのため、共学や共働きなどは決し珍しくないのである。

家族の出発点である結婚を見ても差がある。経済的事情もあるが、エジプトやシリアなど生活水準が低い国では、結婚の時期が他の湾岸諸国に比べて遅い。ちなみに、アラブ地域全体の男女の初婚の平均年齢は、男性が28歳、女性が25歳だという。この数字は目安にすぎないが、経験的に言うと、アラブ社会でも、ほかの多くの国と同様に晩婚化が進んでいるのが事実である。晩婚化の要因の一つとして、女性教育の向上や社会進出する女性の増加などもあるが、何といっても、人の意識の変化が一番の原因なのではないかと思う。

こうした時代背景を知る手掛かりとして便利なのはテレビドラマだ。ドラマで描かれる家族像は、それぞれの時代を映している。この20年で放映されたドラマを調べたところ、以前のように、女性が専業主婦として描かれる割合がかなり減っている。これは興味深い変化だ。「性による役割分担」から「家庭内協力」への変化を示している。とはいえ、「男は仕事、女は家庭」はまだ根強いものだと言えよう。

ひと昔前までは、アラブの結婚といえば、お見合いによる結婚が主流だったが、今やアラブの女の子が好きな男性を選ぶ時代となった。そして、ナンシーの甘い歌声に酔いしれながら、「私はいつもあなたと一緒」「私はあなただけのものよ」と思える相手との出会いを求めるのが、アラブでは今や当たり前のことだ。

男女の出会いについては、宗教や伝統などによる制約はもちろんあるが、理想の異性やロマンティックな期待を抱いて結婚相手を選ぶ点では、日本もアラブも同じだろう。

そうはいっても、家族、性格、経済状況などがよくわかる相手と結婚すれば安心できると考えるカップルたちは決して少なくない。結婚となると、アラブのカップルたちは、意外にも、きわめて現実的な考え方をもっているのである。大切なのは、相手の社会的地位や財力など。何だか日本と変わらないような気がする。好きな人への懸命な想いがぎっしりと詰まったアラブの歌とその魂の恋。そんな魂の恋に出会ってみたいものだ。

― アラブの恋と月話 ー

月に見えるものはうさぎ? それとも……

月を見て、連想するのは何か。「うさぎだよ、うさぎ」と日本人の仲間の一人が言うが、アラブ人、そしてエジプト人である私の目に写る月の姿はうさぎではない。

どうやら月を見て何を思い浮かべるかは、国によって違うらしい。日本では、月の模様は「うさぎが餅をついている」とよく表現される。幼い頃に、月には兎が住んでいるという話を聞かされ、本当に信じていた人もいたそうだ。もしかしたら、今もそう思っている人もいるかもしれない。

ほかの国はどうだろうか。ある国では、月の黒い影の部分を巨大なはさみを持つカニに見たてたり、ロバに見たてたり、本を読む少女に見たてたりと、じつにさまざまである。これらの見立ての背景となったのは諸民族の間に伝えられた伝説によるものだが、アラブ人の目に写る月の姿は、意外とロマンティックな要素で溢れている。

美しい女性……意外かもしれないが、アラブ人の目には、月は美しい女性に見えるのである。

一度見たら心奪われる、満月前夜の月

もちろん、これにはわけがある。満月前夜の14日の月。この日の月は、アラブ人にとってどうやら特別なものである。実際に見ていない人にとってそれを想像するのは難しいかもしれないが、"qamar arbatashar/カマル アルバーターシャル"と呼ばれる14日の月は、その形といい、明るさといい、気高さといい、これ以上美しいものはないだろうと感じさせるほどのもので、それを見た人はその美しさにたちまち見とれてしまう、いや惚れてしまうのだ。

アラブ人は、好きな人の目を見て、「君の瞳って月のように美しい」と殺し文句を放つが、こうしたイメージから、彼らは、月を意味する「qamar/カマル」という言葉で、美しい女性を表現することが多い。

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