6月23日の英国国民投票での離脱派勝利を受け、世界の株式市場や為替相場は大きく反応したものの、実際に英国がEUを離脱するまでには、まだ一定の時間がある。英国離脱後のEUを考えた場合に、やはり経済面での影響が気になることは確かだろう。しかし、例えば離脱後も英国がEU単一市場にほとんど完全な形で参加し続けるような結末になれば、EUと英国、さらに世界にとっての経済的損失はかなりの程度軽減できる。
それに対して、外交、安全保障、さらには防衛面では、英国離脱によってEUが被る損失は計り知れず、それを実質的に防ぐ手立てはほとんど存在しない。英国にとっても同様であり、国際社会における影響力の低下は避けられない。そしてこのことは、英国やEUと関係を有する日本などの域外国にも無視できない影響を及ぼすことになる。
EU外交・安全保障に欠かせない英国
EU統合における英国の評判は、通常非常に悪い。軍事・防衛面におけるEUの活動範囲の拡大を常に警戒してきたのは英国であるし、EUとしての多国間司令部設置にも常に反対してきた。国家主権やNATO重視を旗印に、統合のストップ役を演じてきたのである。
しかし、EU加盟国28カ国を見回してみたとき、例えば域外への介入作戦の実施において、「意思」と「能力」をともに有する諸国は数えるほどしかなく、その貴重な1つが英国であるのは厳然たる事実である。1990年代末以降にEUにおいて安全保障・防衛協力が進展するきっかけを作ったのも、当時の英ブレア政権のイニシアティブによる英仏協力(サンマロ合意)だった。
そして、EU加盟国の国防予算合計に占める英国の比率はほとんど25%、つまり4分の1に近いのが現実である。この分が失われるとしたら、その穴埋めは不可能であり、事態の重大さがわかるだろう。EUが安保面で活動しようにも、手足がないということになり兼ねない。
加えて、2015年1月及び11月のパリでの連続テロ事件を受けて、テロ対策の強化、なかでも特に各国情報機関や警察の間の協力強化が求められているときに、そうした分野で貴重な能力を有する英国がEUを抜けることも、大きな打撃である。
外交面においても、たとえばイランの核問題への対応にあたり、英国はEU加盟国であると同時に、国連安全保障理事会の常任理事国として当初から参加してきた。英国が有する米国との緊密な関係はEUにとっても大きなアセットだったし、アジアへの関与においても、英国はEU外交をリードする存在だった。
さらに、経済関係に関しては、EU内に保護主義的な勢力が少なくないなかで、自由な貿易と投資の重要性を訴えてきたのも英国である。こうした役割に対するEU内外での英国に対する信頼は厚く、他国が代替するのは難しい。
歴史的にみても、EUの前身であるEC(欧州共同体)やEEC(欧州経済共同体)の対外関係がよりグローバルに広がったのは、1973年の英国のEEC加盟がきっかけとなった。そして今日、EUの外務省である欧州対外行動庁(EEAS)や世界各地のEU代表部(大使館)では多くの英国人スタッフが重要なポストで活躍している。この穴埋めも容易ではない。
端的にいって、英国の抜けたEUは国際関係というリングの上で、より軽量級になることが避けられない。その意味では、国民投票結果が出た直後にEUが「グローバル戦略」を(当初予定通りに)発表したことは、何とも皮肉であったと同時に、EU側の焦りと決意のあらわれでもあった。経済面以上に、EUは外交、安全保障において英国離脱の損失にどう向き合うかが問われている。
「独りぼっち」になるフランス?
さらに、英国の離脱は、EU外交・安保の内部の政治力学にも影響を及ぼす。英国がEUから離脱することは、これまでEU内で英国のライバルとされていた国にとっては、自らのパワーを増大する絶好の機会に見えるかもしれない。しかし現実は異なる。
外交、安全保障における英国のライバルといえばフランスだが、フランスこそは、英国が重要な役割を果たし続けることを最も期待してきた国だといえる。だからこそ、2010年以降の緊縮財政や「アフガニスタン疲れ」を受けた英国の外交・安保の内向き姿勢に強い懸念を抱いてきた。
例えば、2013年のシリアのアサド政権による化学兵器使用疑惑の際に、英国議会の決定に基づきキャメロン政権が空爆参加を断念したことは、フランスにとって衝撃だった。
事情は実に明快であり、英国が役割を果たさなければ、その負担がフランスの肩にのしかからざるを得ないからである。バードン・シェアリング(負担分担)の観点から、EU内で他に安保・防衛面の負担をしてくれる国がないと困る。「独りぼっち」にはなりたくない。やはり同志が必要なのである。
EU統合においては、独仏協力が統合の推進役として大きな役割を果たしてきた歴史がある。安保・防衛面においても、フランスは当初ドイツとの協力を模索した。しかし、歴史的背景や国内政治事情により、安保・防衛面でなかなか前面に出たがらないドイツとの間では、多くを実現することができなかった。そのため、近年は英仏の2国間協力が期待を集めていたのである。
英国外交にとっても大きな打撃
EU外交を支え、さらにはリードしてきた英国にとっても、EU離脱による影響は大きなものになる。というのも、EUにおける英国とは、「EUのパワーを背景にした英国」という意味だったからである。28か国の価値と利益の共同体であり、5億人を擁し、GDP規模で世界最大の単一市場を擁するEUだからこそ、世界のなかでのプレゼンスが保証されてきた。英国一国とは桁が違うのである。
そして英国自身、EUを自国のパワーの増強のために活用してきたのである。例えば、アジア、アフリカ、カリブ海等の旧英領諸国に対してEUが行ってきたさまざまな経済援助は、英国の「肩代わり」ともいえるものだった。また、英国のイニシアティブにEUを関与させることで、英国の負担は減り、規模と効果は拡大することができたのである。EUを離脱してしまえば、すべてを自国で賄わなければならなくなる。
ただし、それではEUと英国の双方にとって失うものが大きすぎるため、離脱後は、経済面のみならず、外交、安全保障面でも両者間の協力に関する何らかの公式な枠組みが必要になると思われる。
もちろん、英国はEUを離脱しても英国であり続ける。国連安全保障理事会の常任理事国であることに変わりはないし、NATOの加盟国でもあり続ける。EU離脱でNATOへのコミットメントが増し、それはNATOにとっても英国にとっても有益との指摘もないわけではない。
しかし、英国内のEU離脱派がどのように認識しようとも、世界の国々の英国を見る眼が大きく変化することは避けられない。最大の問題は、英国がもはやEUへのゲートウェイにはなり得ないことである。
新たなゲートウェイ探しを迫られる日本
これは日本にとっても大きな問題である。戦後日本の対欧州外交は、さまざまな局面で英国を頼りにしてきた。
目下交渉中の日・EU間のFTA・EPA(自由貿易協定・経済連携協定)にしても、消極姿勢が根強かったEUで交渉開始の声を強く挙げたのは英国だった。日欧貿易摩擦の厳しい時代に、日本との貿易や投資によりオープンであったのも英国だった。政治、安保、防衛協力に関しても、日欧間では英国との関係が先導役になってきた。
日EU関係と日英関係との間に相乗効果を確保し、日英関係を通じて日EU関係を進めるというのは、日本にとって長年定着してきた便利かつ効果的なアプローチだった。今後、英国がEUから離脱した場合には、英国を通じてEUとの関係を構築するという選択肢が失われる。離脱後の英国とEUとの関係のあり方次第では、日EUと日英の相乗効果どころか、両者は相反する関係にすらなりかねない。
EUを離脱しても英国は、経済面でも政治・安全保障面でも日本の重要なパートナーであり続けるものの、端的にいって、欧州における第1のパートナーとしての英国の価値は低下せざるを得ない。まずはこの現実を受け入れる必要がある。
そして日本としては、EU内の他のパートナー諸国との関係強化に努めなければならない。フランスやドイツがその筆頭に考えられるが、同時に、ポーランドをはじめとする中東欧諸国も重要になるだろう。
これは、いわば新たなゲートウェイ探しであり、英国にしがみついているときではないのである。求められるのは、政治・経済の実利計算であると同時に、気持ちの切り替えであろう。
国民投票前には、英国民が最後は冷静で合理的な判断をすることへの期待と信頼が日本国内で強かった。だからこそ、EU離脱派の勝利には、「呆然」や「落胆」といった反応が多かったのである。
このことに鑑みれば、発想を転換して新たなゲートウェイを探す作業は、大きな挑戦になるだろう。しかし、こうした作業を通じて新たなゲートウェイが確立し、さらに結果として日本と欧州の関係がよりバランスのとれたものに発展していくのであれば、それは思わぬ副次的利益になるかもしれない。