「うわあ、これは立派なお寺ですね」。思わず私は声を上げた。
福島県南相馬市小高地区にある、同慶(どうけい)寺。鎌倉時代(1185~1333)から続いた領主、相馬家の菩提寺(ぼだいじ)、曹洞宗の古刹(こさつ)だ。同行するのは、インド、ミャンマー、スリランカ、韓国、タイ、バングラデシュ、米国から来た仏教者の面々、2015年4月にNPOのJNEB(The Japan Network of Engaged Buddhists)が主催したスタディーツアー、" 「持続可能な「少欲知足」社会へ:福島から学び、エコ寺院地域社会を開発」での一コマだ。
田中徳雲住職より、説明を聞いた。同慶寺は福島第一原発から17キロ、2011年3月11日の大震災後に原発の放射能で汚染され、周辺が立ち入り禁止になったこと、家族と福井県へ避難したこと。今は日中だけ入れるようになったこと。田中さんは、福島県いわき市から毎日通い、檀家(だんか)の人々の協力を得ながら片付けや掃除をしている。ちり一つない本堂、落ち葉一つない庭から、その努力が伝わる。放射能に抗(あらが)い、信仰が続いている。
ベトナムに伝えなければ
ツアーに先立ち、ベトナム研究者の私は主催者から「ベトナムの僧侶に参加してほしいので、紹介を」と依頼されていた。しかし、いかに「持続可能な社会」を前面に押し出そうとも、「福島」が出た途端に、原発建設を進めようとするベトナム政府からは「反原発か」と警戒されるのは目に見えている。とてもベトナムからは呼べない。
海外在住のベトナム人僧侶に声をかけてみたが、うまく調整できず、結局、「吉井さん、あなたがベトナム代表で参加を」ということになった。私はベトナム人でもなければ、仏教者でもない、すごいプレッシャーだ。そして何とか福島の現実を伝えなければ、ベトナムの人々に。
先月、ベトナムの原発建設予定地であるニントゥアン省を訪れた。「とうとう、あのポーリヤッド、場所さえもわからなくなってしまいましたよ」と教えてくれたのは、先住民族チャム人の詩人、インラサラさんだ。ロシアが建設するニントゥアン第一原発の予定地内に、チャム人の信仰する「波の神」ポーリヤッドがある。
その昔、津波から村人を救ったというチャム人の英雄がまつられていて、毎年、祭礼が行われる。「神様」といっても、チャム人には祠(ほこら)を塀で囲むという習慣はなく、建物もなくて、地面にリンガが立てられているだけだという。昨年までは許可を得て敷地に入れてもらい、ちゃんとリンガの前で祭礼ができた。今年5月に行ってみたら、もうリンガの跡形もなく、仕方ないので100メートルくらい離れた道路で祭礼を行ったという。「しょうがないね、ロシア人やベトナムの多数派のキン人には、ただの岩にしか見えないだろうし」と言いつつ、インラサラ氏は悔しそう。これは、単なる祠の破壊ではなく、信仰の破壊ではないか。
福島のように立ち入り禁止になったら
省都、ファンラン・タップチャムには、チャム人の建てたヒンドゥー教の古刹、ポクロンガライ寺院がある。省都はロシアの第一原発、そして日本の建てる第二原発の両方に南北を挟まれ、それぞれ20キロ圏内だ。
丘の天辺にそびえる寺院から周囲の平野を俯瞰(ふかん)すると、チャンパ王国の最後の中心地として栄えていた18世紀にタイムスリップしそうだ。「あの丘のふもとの海岸あたりが、ロシアの第一原発、あの山の向こう側が日本の第二原発」。沖縄の学生たちに指さして説明をしながら、同時に、双葉町や大熊町の広大な土地が無人の荒野となった光景が重なった。
詩人のインラサラ氏は「チャム人はここで2000年の歴史がある。原発が爆発したからといって、民族の信仰の対象である寺院や先祖代々の墓地を捨てて、どこにも逃げる先はない」と断言する。ポクロンガライ寺院が、同慶寺のように立ち入り禁止区域になったらどうするんだろうか。でもチャムの人々に「どうするんですか」という質問はついにできなかった。あまりに、酷(むご)すぎると思う。
(2015年10月19日「AJWフォーラム」より転載)