現在、「イスラム国」によってイラクやシリアで行われている残虐行為は、改めて宗教と組織だった暴力行為との関連性についての疑問を呼び起こしている。また、イスラム教が暴力行為と特に親和性があるのかという疑問も投げかけている。イスラム国の過激派が、彼らの仲間であるアルカイダのように、自らを厳格なイスラム原理主義者のサラフィスト(サラフと呼ばれる初期イスラムの時代を理想とするサラフィー主義の一派)と名乗ったときから、彼らの目的はイスラム教社会の純潔を回復することにあり、偽りの信者や異教徒と手を結ぶ不信心者を破壊することにあると言われている。その結果、イスラム教が暴力行為と関連性がある、あるいは暴力行為を推進しているといった主張が展開されるようになっている。
特に、イスラム国について報道されている内容を踏まえると、後者の疑問は重要な疑問であると言える。しかしながら、その疑問自体が極めて表層的な考え方に基づいていると言える。なぜなら、思い起こせば、どのような宗教も信仰の名のもと、残虐行為を行ってきた歴史があったからだ。例えば、第1回十字軍のとき、1098年の厳しい冬の時期にシリア北西部の都市マアッラで行われた攻防戦で飢えた兵士が人肉食を行った。1099年の夏には、エルサレム奪還のためにユダヤ人やイスラム教信者を虐殺した。また、キリスト教のカタリ派がローマ・カトリック教会から異端のらく印を押され大量虐殺された例など枚挙にいとまがない。また、古代ユダヤ人が、神であるヤハウェの指示のもと、エリコの街中のすべての老若男女(と獣)を殺した行為も、彼らが選ばれた民であることを確信させるために行われた(旧約聖書、申命記6:21)。
伝統的なユダヤ教の普遍的な人道主義が出現するのはもっと後のことで、パリサイ派がイエス・キリストを十字架刑に処した時代には存在しなかった。しかし、イエス・キリストもまた、パリサイ派の中でかなりの急進派でもあった──結局、彼もすべては神によって救済されるというメッセージを他のユダヤ人に伝えた一人のユダヤ人に過ぎなかった。また、仏教でさえ、時には血塗られた剣を握る行為を容認しており、ミャンマーやスリランカにおける証言者が存在している。18世紀のアユタヤ王朝建国はビルマ人仏教徒によるタイへの侵略の結果である。ヒンズー教も同様で、1947年のインド・パキスタンの分離独立、2002年のグジャラート州の暴動は記憶に新しい。また、自死によるテロという手法が近年起こったきっかけもヒンズー教徒からなる「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE。当初スリランカからの分離独立を目的に設立されたヒンズー教を標榜する組織)であった。実際には何百人ものテロリストが自爆攻撃を行い、1991年にはインド首相ラジブ・ガンディーがLTTEの女性による自爆テロで死亡した。ラジブ・ガンディーが狙われた理由は、仏教徒であるスリランカ政府がヒンズー教であるタミル地方の反乱を鎮圧しようとしたことを、インド政府が支持して介入したためであった。
どの宗教がより暴力的で、どの宗教がそうではないかということを論ずるのは非常に興味がそそられる。しかし、実際にどの宗教がより暴力的かと論じる行為は、より大きく、また重要な質問をないがしろにしてしまう。その重要な質問とは、宗教や主義主張の異なる者を虐げるように人々を動機付けることができるのは、宗教やその宗教に対する信仰心なのか、または、あるいは独善的なイデオロギーなのか、いったいどちらなのかというものである。しかしながら、宗教とは、そもそも世俗的で極端なイデオロギーの1つの例である。また、20世紀には世界全体に壊滅的な影響を及ぼした(実際には非宗教的な)ナチズムと共産主義(レーニンと毛沢東によるものとでは種類はやや違うが)が存在した。ナショナリズムというのも暴力的な考えを組むイデオロギーとなっている。ナショナリズムは基本的に「自分」と「他人」との区別を設けることを強調している。「自分/他人」、「良い/悪い」という二元性を包括する考え方は興奮状態を生じさせやすく、人道主義という概念にとって致命傷となる。
これらの非宗教的な運動には明確な特徴がある。
・信奉者、集団主義者の共同体への情熱的な忠誠心を呼び起こす。
・個人を集団行動に組み込み、個人の行動を支配したり、忠誠心を試したりする。
・超自然現象を求めずに宗教的な感情を喚起させる。
・他人への敵意をあおる。
ファシズムは宗教的かつ文化的な境界をも超えた政治的なイデオロギーであった。イラクとシリアのバース党はこのタイプである──全く世俗的でもあり、明らかに非宗教的だった。サダム・フセインのいかなる行いもイスラム教の名のもとには行われてはいなかった。すなわち、フセインとオサマ・ビンラディンはお互いに嫌悪していた(それはディック・チェイニー元アメリカ副大統領の利己的な妄想とは関係なく)。サダム・フセインの思想はナショナリズムとファシズムと宗教の混合物であった。スペインのフランコ将軍によるファランヘ党の台頭も同様である。第二次世界大戦では実に様々な残虐行為を人々は目にすることになった。ハンガリー、ルーマニア、クロアチア、スロバキアなどでもファシズムによる同様の残虐行為が行われた。これらの国々のうち、ルーマニアの場合はキリスト教正教徒によるものだったが、残りの国々は過激なカトリックだった。スロバキア大統領でもあったヨゼフ・ティソはカトリック神父であり、ユダヤ人の死の収容所送りを教皇に強く訴えた。レバノンのファランジスト党(ファランヘ党)もキリスト教、ナチズム、ファシズムに大きく影響を受け、レバノンの独立を目指した。
過激なナショナリストのアイデンティティーは、神聖な本質を帯びるようになる一方、それぞれの民族の「神」への様々な信仰の範囲で、「悪」である他人を特定するものであった。神聖化された宗教も世俗的なイデオロギーも(ナチズムとファシズムを除いて)もう1つ注目に値する特徴を持っている。両者とも信奉者へ輝かしい未来への約束を提示していることだ。一般的に、宗教というもの全般では輝かしい未来への約束は人類すべてに約束されている。また、共産主義も同様であった。宗教は「祝福された来世」を約束し、世俗的なイデオロギーは「地上での楽園」を約束している。さらに、多くの宗教が「慈悲の心」、「平和」、「良い行い」は、たとえ完全な報いが来世にやって来るとしても、この世の苦しみを軽減することができると伝導している。この考えは倫理基準、例えば、誠実な信仰心と信念を含んでいる。こうした基準は組織的な暴力行為はもとより、個人の暴力について著しく道義に反すると禁じている。
(しかしながら)暴力放棄の厳しい道徳基準が信仰者同士のコミュニティーでは適応される一方、非信仰者に対しては適応されないという対比が生じ、それは満足のいく形で解決されない矛盾を生み出してしまった。例えば、キリスト教徒にとってイエスの教えはいかなる戦争と暴力も非難しているように見受けられる。しかし、歴史はそのようなイエスの教え通りにいかなかった。歴史を振り返ってみると、(戦争や暴力行為に加担しなければならないという)政治的圧力が、絶対的な(戦争や暴力行為に参加すべきではないという)個人の倫理観に優先されてきた。「シーザーのものはシーザーに」というイエスの言葉は税金の支払い義務を説いている以上に、神に対する務めと世俗の支配者に対する務めをともに行うべきであることを意味する。また、聖職者の階級制を導入し、(厳格な規律の)教会を作り、キリスト教がローマ帝国によって容認されたことで、世俗社会と神聖社会とがお互いに分離できないくらい相互依存することになった。また、神学の面においてはキリスト教が旧約聖書を受け入れたということは、唯一の神であるヤハウェの精神と平和主義者であるイエスの信仰との融合を意味することにもなった。
支配と抑圧を行う精神は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」として5世紀初めに持ち込まれたものである。パトモス島のヨハネによって書かれ、ヘブライの預言書を非常に啓示的なものにした。これに沿って、アメリカの福音派で上院議員のテッド・クルーズはイスラエルによるパレスチナ攻撃を肯定的に捉えている。彼は「プロテクティブ・エッジ作戦(ガザ侵攻の作戦名)」を「ハルマゲドン(世界の終末)」のきっかけとして解釈している。この「ハルマゲドン」とは、古代ユダヤによって預言されている通り、直にキリストの復活に向けた最後の審判が起こり、その次にキリスト教信者の永遠の救済をもたらし、さらに反抗したユダヤの人々やキリストを拒絶した人々を破滅させるだろうとみなされている。(ヨハネはイエスこそが長く待たれたヘブライ人にとっての「メサイア(救世主)」であり、抑圧者であるローマや全ての邪悪なものを滅ぼすと論じた。最後の審判の日に、その試練を乗り越えた者は王座に「神の子」のとなりに座ることができ、祝福されるとする。)(新約聖書:3.14-22)
イスラム教典はこのような経典の民の流れを受け継いだ矛盾や、コーランやハディス(イスラム教に則った生活様式)自体が持つ矛盾もはらんでいる。従って、暴力や信者の取り扱い、また同時に、信仰しない者の取り扱い──良性のものから有害と思われるものまで、広範囲にわたって、多種多様な行動の正当性をその中に見出すことができるのである。
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一方で、現代に目を転じてみよう。例えば20世紀の歴史を振り返ってみると、宗教以外のイデオロギーが発端となって大勢の人々が殺されてしまった。この宗教以外のイデオロギーの違いが原因で殺された人々の数は、過去何世紀もの間に宗教観の違いで殺された人々の数と比べると、比較にならないほど多い。そして、現代社会の暴力行為や殺人に対する宗教がもたらしている影響は極めて限定的であるといえる。では、多くの人々が抱いている誤解、つまり私たちは狂信的な宗教による暴力の時代を生きているという考え、は何が原因で生まれてきたのか。私は次の2つの要因があると考える。1つ目が、自らの主義主張を押し通すために、テロ行為を行うイスラム社会での急進的な原理主義者の台頭である。2つ目が、その動きと極めて対照的に、宗教的な要因が発端となって(少なくとも西側諸国同士では)武力衝突をするような状況が西洋社会の民主主義国家(こうした国家の多くが非宗教的であるということとも相まって)から消滅してしまったことである。つまり、西洋社会の民主主義国家の多くが非宗教的であるが故に、宗教の影響を多分に受けやすい社会や国々、特にイスラム教世界、を非難しがちであり、そうした社会や国々を理解する上で大切な宗教を理解するのが極めて難しくなってしまったという状況である。言い換えると、サラフィスト、自分達の祖先、そしてアメリカの極端な福音派も西洋社会の民主主義国家に住む人々にとっては同じように理解し難いのであり、理解しようともしないのである。
(なぜ西洋社会の民主主義国家の人々にとってそれが難しくなったのかというと)第二次世界大戦後の西ヨーロッパ諸国は宗教的、国家主義的、政治的なすべてのイデオロギーを排除してきたため、その結果、政治への関心も薄い社会へと変容していったからである。つまり、ヨーロッパが歩んできた歴史に対抗して18世紀後半にアメリカが建国されたのであれば、西ヨーロッパ諸国は20世紀半ばに自らの歴史から解き放たれることに成功した。言い換えるならば、20世紀前半に起こった二度の大戦を経て、欧州の人たちの思考様式や行動様式は根本から変わってしまったのである。
そして、自由解放とは感情的、哲学的、知的な側面においてそれまでの政治活動の重要な要素から距離を置くということを意味した。国際政治では、(いわゆる軍事力や国力)を競い合うような権力政治が過去の物となり、また、国内政治では、イデオロギー基づく政党間の競争が無くなった。つまり、今日見られるヨーロッパ社会(特に西ヨーロッパ)はそういった過去を乗り越えて変化した結果、今の状態にあるということである。結果、ナショナリストの情熱や、イデオロギーが持つインスピレーション、「我々」と「彼ら」といった境界性を引きたくなるような衝動や欲求、そのような物が全てなくなってしまった。
こうした社会の人々は、平和的で、物質至上主義的な生活様式が好ましいものであると考えている。結果、(バルカン半島にあるような)情熱的なナショナリズムや、宗教とどのように渡り合うかという点に極めて苦労している。この点を理解するに当たって、ヨーロッパとアメリカとを比較対照することは極めて有効である。なぜなら、アメリカも西ヨーロッパ諸国と似た側面も存在するが、しかし、いくつかの点で大きな違いが存在するからである。具体的には、一般的にアメリカ人は西ヨーロッパの人々と比べて、より宗教的であり、ある意味ではクリスチャン・サラフィストとも言うべき原理主義的な信仰心を持った人々も存在する。また、西ヨーロッパの人々と比べてより公然とナショナリスティックであり、国内に絞った話か外国との戦争かという点は置いておいて、暴力行為に対してより理解がある。しかしながら、こうしたアメリカ人の特徴は互いに関係はあるものの、因果関係が存在するという訳ではない。
つまり、宗教やナショナリズムよりも、戦略地政学的な現実や歴史が軍事介入・軍事行動にアメリカが比較的積極的であることの背景である側面が多分に強い。また、軍事行動の結果生じるアメリカ人や外国人の戦死者数に対して寛容である点については、1813年以外に他の国からアメリカ本土を攻撃されたことがないという事実や、軍事介入の結果多くのケースにおいてアメリカの勝利に終わっているという事実や、アメリカは人類発展の為の先導者・指導者でありその為に自己犠牲も厭うべきではないという使命感の存在が要因として考えられる。
このユニークな国民性はアメリカの外交政策において、理想主義と現実主義という2つの対立軸を持つ考え方を生み出した。そして、この2つの考え方は「対テロ戦争」において、極めて多面的な介入を海外で行うことに当たって必要となる国内世論の支持を維持することに大きく貢献した。具体的には、アメリカは同時に世界の警察官や立法府や司法部門としての役割を果たしてきた。一方で、その過程で、多くの人々を結果として殺しているし、それらのほとんどが罪のない人々であったことも事実である。また、緻密な拷問プログラムの存在が証拠であるように、意図的に残虐行為を犯した過去もある。しかし、こうした負の側面はアメリカ人の深層心理に影響を与えていないように思え、道徳的優越感、アメリカの行動は正しいという信念といった自己認識は依然として根強く残っている。
この現象はイデオロギー的な側面からは説明しきれるものではない。特定の宗教への信仰も先述した行動を説明できるものではない。もちろん、ナショナリズムも多少は影響を及ぼしているかもしれないが、アメリカの西部開拓時代における領土の拡大を正当化する思想として有効であったアメリカのマニフェスト・デスティニー的な考え方は、もはや有効な精神的な支柱とはなり得ない。しかし、こういったアメリカの歴史的な経緯によって、他国が行うとその道義性を非難するような行動を自らが取っても平然といられるような精神状態を構築することができた。
武力行使に対する一見矛盾するようなアメリカ人の精神状態は、アメリカが武力行使を行う際に次の二点に留意することによって、許容できるレベルに保たれている。第一に、徴兵によって構成する軍隊ではなく、志願制に基づいた所謂プロの軍人によって構成する軍隊によってのみ武力行使を行うことで、戦争行為を一般社会から縁遠いものに保つことができる。つまり、軍隊に志願しなければ、個人レベルに視点を絞ると、アメリカの武力行使のプロセスに参加することを避けられるということである。第二に、ハイテク兵器を多用することで、軍事行動において不可欠となってしまう攻撃相手を殺害するという行為が(軍事行動に参加する兵士の精神に与える影響を)抑制できるということにある。具体例を挙げて説明すると、ネバダ州のエアコン付きの作戦室から遠隔操作によって無人軍用機を飛ばして敵を攻撃することと、アフガニスタンのある村の郊外への陸上部隊の攻撃に参加し、タリバン兵の喉を切って殺害する行為は全く異質な行為であり、裏を返せばアフガニスタンに出向いて、軍事行動に参加し、自らの手で人を殺害するという行為がいかに兵士に及ぼす精神的な影響が大きいかということも言える。また、こうした軍事行動がどのように報道されるかは、世論形成にも影響を与えている。例えば、アメリカの対テロ戦争時、戦死者や軍事行動によってアメリカ兵や敵兵が死亡する場面を捉えた写真や動画がアメリカの一般人の目に触れることは極めて限定的だった。また、ベトナム戦争遂行時はアメリカ側が敵側に行っていた拷問を捉えた写真はほとんど一般人の目には触れることなく、CIAが大半の写真を処理していた。
従って、プロパガンダの目的でイスラム国によって公表された人質の斬首映像は極めて大きな精神的なインパクトをアメリカの一般市民に与えた。その結果として、こうした残酷な行為をサラフィストの教義と結びつけて連想する一方、こうした残虐な行為はイスラム教の教義全体と関連しているという誤った認識を持ってしまうということも起きている。その為、イスラム教徒は我々が決してしないような残虐な行為を行うものであるという誤った認識を持つに至っている。
しかし、そのイスラム教徒ではなく、キリスト教徒である我々アメリカ人も広島や長崎において数多くの無実の一般市民を殺戮したというのも、また事実である。もしも、その場において原爆投下によって窒息し、焼き焦げにされ、放射線を浴び、ぼろぼろになった人々の惨状を捉えることができた写真家がいたとして、その写真をイスラム教徒やキリスト教以外の宗教を信仰する人々が目にしたら、彼らはキリスト教に対してどのような印象を持ったであろうか。忘れてはならないことであるが、ガザ地区に侵攻したイスラエル軍によって殺害されるか重傷を負ってしまった無実の一般市民の惨状や、キリスト教に限らず多様な宗教を信仰する人々が存在するアメリカによってその惨状を引き起こしたイスラエル軍の侵攻がほぼ容認されていたという状況も世界は目の当りにしたのである。そういったことを踏まえると、どの宗教の名において残虐行動が取られたかという視点が、その残虐行為について考察するに当たって違いをもたらすとは考えにくい。
もちろん、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教といった多種多様な宗教はお互いに影響を与えるものである。したがって、その行為の背景に宗教の影響が全くないとは言えない。しかし、特定の犯罪行為の責任を特定の宗教に向けるべきではない。より責めるべきは、我々の人間性である。もしくは、矛盾し、欠点だらけの我々人間を創造した父なる神を責めるべきである。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
翻訳:森田一成