STAP論文では、その発表時からマスコミの反応は異常だったが、論文に疑義が生じてからは、その反動で過剰なバッシングになっている。割烹着やピンクの部屋といった宣伝材料を用意したという理研もどうかと思うが、そもそもそういう科学の本質と無縁な宣伝に乗るマスコミ・視聴者もどうかしている。しかし、これも考えてみると起こるべくして起きた事態だ。
この事態をみて、昔京大で働いていた頃、自分が発表した論文について記者会見したときの様子を思い出した。有名雑誌に掲載が決まった論文は、発表と同時に新聞記事が出る。どうしてそんなことになるか訝る人も多いだろうが、実はこれには決まった方法がある。
有名雑誌に論文掲載が決まると、研究者は大学本部および、自分たちに研究費を支給している省庁関連の助成機関に連絡する。すると、その省庁関連機関が、論文掲載日に合わせて、文科省などに設置されているマスコミ連絡用の「ポスト(郵便受け)」に、新聞記事にするための情報(論文の概要)を投稿する。このマスコミ用原稿の下書きは研究者側が用意して、研究費助成機関の担当者がマスコミ向けに分かりやすいように仕立て直す。
さて、その掲載雑誌が超有名雑誌だと、そのポストの投稿をみた新聞社から大学に連絡が入り、記者会見が行われる。実は京大の中にさえ「記者クラブ」があり、科学記事担当の記者が常駐している。だから京大の研究者は本部にある記者クラブに行って話をすればいいだけなので、便利なのは確かだ。(ただ、どうして京大がわざわざ大きな一部屋を私企業の社員たちに提供しているのか、大きな違和感を感じたが。)
その記者会見をしてよく分かったが、残念ながら、日本の新聞では科学評論能力がある記者は大変少ない。7、8社の新聞社の記者たちから取材されたが、まともに話が通じた記者は、朝日の某科学ジャーナリスト一人だけだった。その朝日の記者は物理学の研究者をしていた方で、生物学についてもよく勉強しているようで、理解は早かった。しかしほかの記者は全て、基礎的な生物学の知識すらおぼつかなく、ましてや先端研究の機微については全く理解していなかった。
科学ニュースの取材現場はこんなものだ。簡単にいえば、文科省発表の受け売りばかりだ。だから当然、研究機関による発表の受け売りになる。いかに凄い発見をしたかだけが書いてあって実質のない記事ばかりになるわけだ。(尤もこれは科学に限ったことではないですね。最近ニュースになった冤罪事件などでも、検察や警察の発表を批判なしに垂れ流すことが冤罪につながったのだから)
だから昔から私は自分の中では、科学ニュースのことを「大本営発表」と呼んでいた。どの記事を見ても、世界的発見が書いてあり、医学生物学の分野の発見なら、翌年にでも病院での治療に応用できそうな勢いだ。日本の研究は凄いのだ、世界の競争に競り勝ち、Natureら有名雑誌に載って、世界に先んじて治療に応用できるのだ、と。まるで2、3年で全ての病気が簡単に治癒できるようになりそうな話ばかりだ。しかし、現実には、こうした科学ニュースになっている発見のうち、本当に治療に応用できるところまでいくのはごくごく一部だ。
それにしても、どうしてこんな大本営発表をしなければならないのだろうか。科学者にとっては、新聞にとりあげてもらうことで地位・研究費の獲得で優位になるためであり、研究機関(大学)にとっては、省庁からの予算を引き上げるための材料であり、文科省・政府にとっては、国民から絞り上げている税金が日本の進歩・利益のために効率よく使われているという宣伝だ。このどれもが科学的真実とは無縁で、だから大本営発表なのだ。
そもそも、先端科学の1論文で分かることなどある現象の小さな1側面にすぎない。しかも、その発見がどれくらい妥当なことかは、何年も、ときには何十年もかけて検証されていくものなのだ。STAP細胞の発表直後にツイートしたが、Natureに載った1論文のことごときで大臣が声明を出すということ自体が、日本の科学に対する理解度、科学政策の未熟さを反映している。
それにしても、政府・マスコミの共同作業で作った「大本営発表」の仕組みのために、マスコミどころか大臣までその大本営発表に翻弄されて、科学政策が迷走するとは何とも皮肉なことではないか。
本日、東大の松岡氏と京大の中辻氏が、科学の分野で若者たちの置かれた現状について、第二次大戦の悲劇と重ねたツイートをしていた。まさに、大本営発表の裏では、その成果発表のために酷使され、研究費・研究体制の不備を深夜までの労働で補い、定職につくための一抹の望みを上部に悪用されて使い捨てられていく若者たち、医学生物学ならピペド(ピペット奴隷)、がいる。
科学ニュースという大本営発表のために人生を削られている若者たちがいる。STAP問題を機に、科学報道のありかたを考え直すべきだ。これに関連してマスコミ各社にぜひお願いしたいのは、科学記事の質の向上のために、経験のある研究者(ポスドク)を積極的に雇用することを考慮してほしい。彼らは日本の埋もれた財産のひとつだ。
(2014年4月8日「小野昌弘のブログ」より転載)