9月12日、南相馬市立総合病院の英語教師・研究員であるレポード・クレアさんが、一年間の日本滞在を終え、英国に帰国する。彼女の存在は、グローバル化を考える上で示唆に富む。
彼女の来日のきっかけは、15年2月、エジンバラ大学で坪倉正治医師の講演を聞いたことだ。坪倉医師は、東日本大震災以降、福島の被災地で診療、および被曝対策に従事している。
当時、彼女は国際保健を学ぶ修士課程の学生だった。「坪倉先生の講演を聞いて感動しました。私が抱いていた福島のイメージと全く違い、福島こそ公衆衛生の研究が必要だと感じました」という。そして、坪倉医師に「日本で研究したい」と「直訴」した。
彼女は、オレゴン大学在学中の12-3年に早稲田大学に留学した。日本に親近感があったのだろうが、その行動力には舌を巻く。
帰国後、坪倉医師から相談を受け、私も彼女の来日に協力した。VISAの取得は難航した。市民病院に海外から研究者を受けるなど、前例がない。南相馬市立総合病院、行政関係者など大勢のご協力があり、15年10月、彼女は「英語教師」として南相馬市立総合病院に就職した。
その後の彼女の活躍は目覚ましかった。筆頭著者として4つ、共著者として13の論文を発表し、ハフィントンポスト英語版などのメディアに6つの文章が掲載された。
彼女の「代表作」は、震災後の南相馬市で糖尿病の発症に社会的背景が強く影響していることを示した研究だ。南相馬市立総合病院を受診した404人の患者のカルテを調べ、郊外の住民と比較し、市街地の住民の発症リスクが2.9倍高いことを証明した。
この研究は、南相馬市立総合病院の患者指導にも活かされている。また、『BMJ Open誌』7月号に掲載され、母校エジンバラ大学のホームページのトップでも紹介された。
私は、クレアさんこそ、今後の若手研究者の見本だと考えている。
特記すべきは、自ら志願し、最前線に飛び込んでいることだ。大学院生なのだから、日本の大学に留学することは簡単だ。すでに受け入れのシステムがある。
ところが、彼女はそうしなかった。南相馬市立総合病院で「働く」ことにこだわった。それは「現場」を重視したからだ。加工された統計データでなく、一次情報が入手できる。
南相馬市立総合病院では、大勢の若手医師と信頼関係を構築し、診療はもちろん、仮設住宅なども回った。このことが、前述の研究へと繋がった。
このように振る舞うことは、言うは安く、行うは難い。異郷で活動するには、本人の努力に加え、多くの支援者が必要だ。彼女は、持ち前のバイタリティーと誠実さで、周囲の信頼を獲得していった。兎に角、礼儀正しい。さらに、メールをしても反応が速い。頼まれたことは即座にやる。彼女と付き合えば、誰もが応援したくなる。何を隠そう、私もその一人だ。
彼女は、一年間の日本滞在中に多くの「仲間」をつくった。フェイスブックなどのSNSで恒常的に情報交換している。日本語のやりとりも可能だ。漢字を読み書きできる。最近、日本語能力試験一級に合格した。
彼女は今秋より、エジンバラ大学の博士課程に進む。研究テーマは福島の健康問題だ。一年後には再来日も希望している。クレアさんと若者たちの交流は、今後も続くだろう。国境を越えた自立した個人の付き合いだ。グローバルに活躍する若者が福島で育っている。
•本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。
(写真)レポード・クレアさん。南相馬市立総合病院で論文を執筆しているところ。