【3/24追記:この記事は私の個人的意見で、国立天文台広報としての公式見解ではありません。】
「多くの人にあまりなじみのない電波天文学の広報戦略として、『研究のストーリーを共有すること』を挙げ、その中の方針として4つの柱を立てます。その第一は、研究者の人としての側面を見せることです。」
これは、僕が現在のポスト(国立天文台の電波広報担当助教)の選考過程での面接の場で言った言葉です。今回のSTAP細胞に関わる様々な広報や報道(疑惑が出る前も、出た後も)は、だからこそ、僕にとって極めて深刻で重い課題となりました。
Natureに掲載された論文やその他の論文におけるいろいろな疑惑、研究不正の防止に関わることについては、自然科学の博士号を持つものとして思うこともいろいろあるのですが、ここではあくまでも「研究広報」の観点からの考察とします。
まずは最初にSTAP細胞の発見が発表されたとき。研究内容に関する報道も、そして小保方さん個人に関する報道も、かなりたくさん目にしました。山中さんのiPS細胞発見とノーベル賞受賞という背景もあって多能性細胞にわりとなじみがあったところに、「生物学の歴史を愚弄している、とコメントされた」など通常は外から見えない論文査読過程の苦闘、個性的な研究室と研究スタイル、そして若手の女性研究者であることなどキャッチーでわかりやすい点が加わり、大フィーバーとなりました。この時は、どこまで理研広報が仕掛けたんだろうかというところまでは考えていませんでしたが、「実験室にメディアを入れて現場を紹介できるのはいいな。天文学の場合はコンピュータの中で解析するだけだからな」とは思っていました。冒頭に書いたような「研究者の人としての側面」が伝わってうまくハマるとここまで大きくなるのか、と空恐ろしさまで感じたほどでした。
その中で違和感を持っていたのは、理研のプレスリリースの書き方でした。
『体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見』の書き出しは
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、【中略】短期間に効率よく万能細胞を試験管内で作成する方法を開発しました。
となっています。主語は研究者ではなく理研。そして理事長の名前入り。この発表だけではなく理研のプレスリリースすべてこうなので、これが理研の方針なのでしょう。一方で僕が担当しているアルマ望遠鏡のプレスリリースでは主語はあくまでも研究者か研究グループにしていて、所属機関を主語にすることはありません。これは、研究を行うことが主眼の理研という研究所に対して、自ら研究を行いつつ観測装置を整備して研究者に使ってもらうことも使命である共同利用機関としての国立天文台、という機関のスタンスの違いを表しているのかもしれません。研究は機関に言われてやるのではなくて自らの関心や動機に基づいてやるものだ、と僕としては思っているので、理研のプレスリリースの書き出しには驚きました。あとから他の方の話を聞くと、これは日本の研究機関では伝統的に行われてきたやり方のようです。
この段階でもうひとつひそかに危機感を覚えたのは、報道に接した人たちからの厳しい意見でした。 「発見のことを伝えず人にフォーカスしすぎ」というネットでの声は山のように目にしました。新聞社のニュースサイトに行けば発見の内容や意義もきちんと掲載したうえで小保方さんの人柄やエピソードも載せている場合が多いのに、バズるのは圧倒的に人柄の方。これしか報道されていないような印象を持った人が多かったようです。研究者からもこの点に厳しい声が飛んでいるのを見るにつけ、「人を見せる」という僕の方針にダメ出しされているようで少し苦しかったのです。
そして疑惑の発覚と拡散、それも次々と。それに対して理研広報は「研究成果自体は揺るがない」と発表したと報道されています(例えば3月1日共同通信の「STAP論文に相次ぐ疑問 うっかり?信頼性懸念も」 )。そして3月14日、野依理事長他の記者会見。この間研究者としても研究広報担当者としても悶々と考える日が続きました。
会見(毎日新聞による会見の一問一答)。広報担当としては胃の痛む思いで見守っていましたが、理事長がきちんと出てきて説明したこと、4時間近くも打ち切らずに質問に答え続けたこと、調査委員会がきわめて慎重に科学的に検証をしているようすが伝わってきたこと、これにはほっとしました。
以上が、下手な感想文のようですが僕としての振り返り。では今回の件について広報はどうするのがよかったのか。僕だったらどうしたか。
一点目、最初の発表の時に人柄を押し出した点。カラフルな実験室や割烹着については中日新聞の記事によれば広報側で演出したのではなく、研究者側で決めたものとのこと。理研CDBの方のツイートでも
と言われています(ツイート内の中日新聞記事は『STAP疑惑底なし メディア戦略あだに』 この記事では「会見に備え、理研広報チームと笹井氏、小保方氏が1カ月前からピンクや黄色の実験室を準備し、かっぽう着のアイデアも思いついた。」となっています。中日新聞はあとの記事でこれを修正したことになります。この記事で広報がどれだけ責められたか、中日新聞の記者はよく理解してほしい。)。
こういうのを研究者側から持ちかけられたら、広報としては止めるべきかどうか。実験している姿や研究の現場を見せるというのは研究プロセスの共有には有効な手段だと考えているので、僕だったら止めないというかむしろお願いするレベルかもしれないと思います。発見内容や研究内容を理解してもらうことも重要ですが、どのようにその研究が行われているか、その研究をなぜやっているのか、どんな思いでやっているのかというところを広く共有することも重要。そこまで共有できてこそ、有限のリソースを割いてその研究をやる意義があるかどうかを社会の中で議論し判断することが可能になると思うからです。そこには研究者の個人としての考えが色濃く反映されるはずですので、人としての側面を押し出すことは意義のあることだと今の状況でも僕は考えています。単にメディアに取り上げられやすいからいい、という考えではありません。
先週、外国特派員協会の会長を務めるLucy Birminghamさんの講演を聞く機会がありました。この方は科学ジャーナリストではありませんが、STAP細胞の件に関しては高い関心を持ってご覧になっていたようです。STAP細胞発見のニュースは海外でもトップで多く報じられ、その背景として研究のインパクトだけでなく「日本人の、若い女性の研究者であったこと、そして "Life outside Lab"つまり研究者ではなく一人の人としての姿が垣間見えたこと」がその理由だと話していました。当初の報道時「日本のメディアは人柄ばかり報じてレベルが低い」という批判もありましたが、これは正しくなかったようです。そもそもLucyさんの講演の主題はStorytellingの重要性を説くものでした。「だれがどのように発見したか」「発見の瞬間どう感じたか」「なぜその研究が重要か」を研究者が自身の視点から語り、広報はそれを伝えることが重要、という指摘。これには僕も大いに同意しました。もちろん過剰演出はダメですが、素の姿であるならばカラフルな研究室も割烹着も僕なら見せます。
二点目、疑惑が持ち上がった時にどう対応すべきか。論文に剽窃などがないかチェックするのは広報の仕事ではありません。しかしその論文をプレスリリースとして社会に広く公表するときには、広報にも重い責任があります。ただ高度に専門化した研究を分野外の人間がチェックできるかというとかなり不可能に近いわけで、プレスリリースや記者会見の際には研究者と密なやり取りをして真摯で厳しい眼で確認する程度のことしか実質上はできないでしょう。星の形成の研究を専門とする僕は同じ分野ならその発見の重要度や確からしさを感覚としてつかむことができますが、例えば遠方銀河の研究ではその感覚をつかむことができません。研究経験のない広報担当ならなおさらのこと。論文に疑いの目が向けられた時も、専門分野が違う場合にはその重要性や深刻さをどこまでつかめるかはわかりません。第三者的な立場で分野の近い研究者に助言を求めるなどしなくてはいけないでしょう。また経過報告については、上述のLucyさんは「虫がいる缶は早くふたを開けて虫を出すべき。そうすれば継続的に取り上げられることはない。」と語っていました。情報を包み隠さずできるだけ早くオープンにする、というのは危機の際の基本ではあります。
今回の疑惑を通して、論文査読や科学的検証などが多くメディアで取り上げられ、これまでにないほど科学のプロセスについての解説が世に出ました。これはとても重要なこと。一方で、研究広報はメディア掲載の先に何を目指しているのか(目先の予算獲得とかではなく)ということについて、研究者業界でもかなり意見に差があることもわかりました。企業広報について語られる際には、広報は企業から社会に情報を発信するだけでなく、社会からの意見を会社に入れる窓口であるべき、ということがよく語られます。機関広報として、あるいは研究業界の広報として、まだまだやらなくてはいけないことは多そうです。
(2014年3月22日「天空と地表のあいだ」より転載)