12月の第3週目にオスプレイの墜落現場に行った。現場は名護市安部(あぶ)の海岸付近だ。私は海岸で数十枚の写真を撮った。墜落したオスプレイの写真は撮っていない。しかし写真にうつした当時の現場の風景には、不思議な日本の形がまざまざと見て取れる。沖縄が外国ではなく日本の領土だというならば、あまりにも理不尽な「分断」がそこで起きていることを見過ごすわけにはいかない。日本人が日本人を分断している。在日コリアンの私の目には、朝鮮半島の分断と全く同質の「分断」の風景がそこにあるように見えた。
そもそもオスプレイ墜落現場の名護市安部がどこにあるのか、皆さん知ってますか?私は知らなかった。現場はカヌチャという高級リゾートのそばにある。私はカヌチャに行ったことがないが何度もその名前を聞いたことがあった。
沖縄に住んで数ヶ月が経ち、ようやく理解しつつあるのは、名護市が広いということだ。西は東シナ海、東は太平洋に面している。東シナ海と太平洋という、まったく別次元の世界とつながる大洋に人口約6万の小さな市が同時に面しているということは、本土で生まれ育った私の地理的感覚ではすぐには理解できなかった。
本州を考えた場合、日本海側と太平洋側地域の違いはあまりにも大きいと私は思う。私の生まれ育った三重県は太平洋に面した温暖な地域で、名古屋、大阪という太平洋ベルトの大都市にも近い。日本海側には太平洋側のような大都市がない。私は日本海側のことをほとんど知らないまま、大学生になり、初めて新潟市を訪れた時「ここは大都市かもしれない。でも太平洋側とは明らかに何かが違う」と感じた。その後富山と鳥取を訪れたが、その時初めて、日本海側地方は海を隔てて向かい合う朝鮮半島やロシアとの交流を重層的に加速化しなければ、限られた発展しか望めない地域なのだと理解した。
日本海側と太平洋側では気候も文化も人々の性格もとにかく違う。それくらい両極端に違う雰囲気を持った東シナ海と太平洋に同時に面した小さな巨人「名護市」、という言い方は少し大袈裟だろうか。私の名護市についての第1印象はそんな感じだ。とにかく、ニュースで何度も耳にする為に「なんとなく知っている気になっていた場所」で、事故が起きた。私は結局その場所について何も知らなかったし、未だによく分かっていないということが、現場に行ってみてよく分かった。
大破した機体の破片を集めていた憂鬱そうな米軍関係者。沖縄タイムスは墜落事故翌日の12月15日付の紙面で「オスプレイには乗ったことがない。乗りたくもない。悪い事故歴があるからね」と言って肩をすくめた米兵の声を紹介していた。
回収したオスプレイの破片を手にした陽気な米軍関係者。「オスプレイの破片でしょ?」と問いかけると、「いや、宇宙からきたエイリアンの宇宙船のだぜ」とブラックジョークでからかわれた。「写真撮って良い?」と聞くとポーズをとってくれたのでパシャり。
海岸近くで咲くピンクの花。
墜落現場から遠くない高江の米軍関連施設建設に反対する日本市民から米兵を守っているように見える日本警察の隊列。日本人は一体誰の為に自分たちを分断しているのか。
日本警察に「安全確保」されながら墜落機の破片を運び出す米軍関係者。墜落機の証拠がすべて米軍側へと消えてゆく瞬間。
米軍関係者の若者たちは愛想が良かった。目が合えばニコッと How are you? と声を掛けてくる。彼らが何を考えているのか、直接話を聞いてみたい。いつもニュースで彼らの事件を扱っている割に、私はまだ何も彼らのことを知らない。