故郷のシリアのことを思うと、私は最近少しホームシックになっている。
シリアの戦争をめぐって、連日、正気の沙汰とは思えないようなニュースや凄惨な写真があふれ出ている。そして、シリアの数多くの古代遺跡や建築物、世界遺産を破壊する砲撃や爆撃を目の当たりにしている。シリアの都市の画像をひとまとめにし、自分自身に加え、かつてこれらの美しい都市に住んでいた人や訪れたことのある人、これからきっと訪ねたいと思っている人に、私たちが平穏に暮らしていた頃のシリアを思い出してほしいと私は思った。そして、文化に富んだシリアの歴史の中にあるすばらしい記録や体験を共有したいと思った。
シリアは、古代の真珠として、また文明発祥の地(紀元前9000年)として知られる国で、青銅器時代(紀元前3000~2000年)があった。文字が発明され、古代都市ウガリットの繁栄によって最古の手書き文字と人類初の楽譜が誕生した国だ。
以下に戦争前のシリアで私が大好きだったものや、お気に入りの場所をまとめた。
『フルリ賛歌』(ウガリット)
『フルリ賛歌』は世界最古の楽譜で、3400年前に作られたと言われている。シリアの古代都市ウガリットで粘土板に書かれたものが見つかった。これまでに作曲家や演奏家たちがこの歌について多くの解釈や演奏を試みてきた。これは私が大好きなシリアの作曲家兼ピアニストのマレク・ジャンダリによる演奏だ。
ハーン・アシャド・パシャ(ダマスカス)
古都ダマスカスにある最大のハーン(隊商宿)の1つで、ここは1751~1752年にシリアの総督だったアサド・パシャにちなんで名付けられた。当時の最もすばらしい建築物の1つと言われ、オスマン帝国の時代にはベイルート、アレッポ、バグダッドやその他の多くの都市からのキャラバンがここに滞在していた。
ダマシン・ソード・モニュメント(ダマスカス)
シリアの首都、ダマスカスの街は刀剣産業で有名だった。ここで製造される刀剣は鋼も突き刺すことができると評判だった。歴史家によれば、ダマスカスの刀剣は、十字軍が外部から街を守るために8世紀に作られたと記している。このモニュメントはダマスカスにあるオーマヤド広場に立ち、シリア人の勝利と強さ、偉業を象徴している。
クラック・デ・シュヴァリエ(ホムス)
クラック・デ・シュヴァリエ(別名:十字軍の城塞)は、保存状態の良い中世の城の中では、世界で最も重要な物の1つだった。19世紀に「クラック・デ・シュヴァリエ」となった。最初は、クルド人たちの要塞と呼ばれていた。彼らが11世紀に初めてここを拠点とし、その後トリポリ伯から聖ヨハネ騎士団に譲られた。2006年にはユネスコに世界遺産として登録されたが、残念ながらシリアの内戦による爆撃で一部破壊された。
ウマイヤド・モスク(ダマスカス)
ウマイヤド・モスクは世界でも最古で最大級のモスクの1 つで、706年にビザンチン教会として建設された。ダマスカスの素晴らしいモスクとして知られ、サラーフ・アッディーンなどの霊廟がある。ウマイヤド・モスクの原型は、カイロのアル・アズハル・モスク、スペインにあるコルドバの大モスク、トルコのブルサ大モスクの建設に影響を与えたと言われている。
カシオン山から眺める夜のダマスカス
Vía Nahel Abou Hatab
ダマスカスは世界最古の都市の1つで、ジャスミンの町と呼ばれている。ここはレバント(東方の地)のメジャーな文化や宗教の中心地。古代の神話や学者の解釈によれば、カシオン山はカインが弟のアベルを石で殺した場所だった。カインはアベルを殺した後、シリアとレバノンの国境の山に遺体を運んで埋めた。それはダマスカスから約33キロ離れた場所で、ザバダネの近くだったそうだ。
女王ゼノビア像(ラタキア港)
ゼノビアは3世紀にシリアのパルミラ帝国の女王だった。シリアの遺産の中で最も象徴的な女王の一人で、その勇敢さから偶像視されている。女王ゼノビアはローマ帝国に対し、史上最大規模の反乱軍の1つを率いた。ゼノビアは267年にパルミラ帝国の女王となり、271年までにエジプトを征服した。しかし、その後はローマの街頭で処刑されたと言われている。
ケサブ(シリア北西)
ケサブはシリア北西にある最も美しい街の1つ。キリキア・アルメニア王国と国境を接し、住民のほとんどはアルメニアからの移民で、国土や農業の開発に貢献した。セレウコス朝時代には、ケサブ地方はアンティオキア、セレウキア、ラオディキアの3都市の拠点だったと言われている。古代ギリシア神話によると、カシウス山はこの地域にあり、主神ゼウスの聖地だった。
ウガリット語の粘土板
ウガリット語は最古の文字として知られ、紀元前12~13世紀のセム族の王国で使われていた。この文字は、フェニキア人、ヘブライ人、アラム人の間で共通して使われるようになった。これはエジプトのヒエログリフやメソポタミアの楔形文字以来の非常に大きな文学的な発見と言われている。15世紀にはさらに広く使用されて普及した。書物は左から右に書かれ、アルファベットの語順はラテン語、ヘブライ語、ギリシャ語の文字に影響を与えた。レバントの文字の歴史について書かれた証拠として最古のものになる。2005年には「フェニキア文字」としてユネスコの記憶遺産に登録された。
アル・サムラ・ビーチ(ラタキア)
写真:ダニエル・デメテル
アル・サムラ・ビーチはシリアで最も美しいビーチの1つで 海抜800メートルの場所にある。シリアの北西部で、トルコとの国境に位置する。
ビーハイブ・ハウス(ハマ)
写真:ダニエル・デメテル
土、泥、石、わらで出来たビーハイブ・ハウス(ミツバチの巣箱のような形をした家)は紀元前3700年にシリアで作られた。今でもシリアの人々は生活場所や倉庫として使っている。ビーハイブ・ハウスは、たいていハマやアレッポの砂漠地帯や田舎の田園地帯でよく見かけるもので、砂漠地帯で熱が外に逃げるように設計されている。ハウスの上に開口部があり、内部に光を入れ、熱風を上にあげて出すような仕組みになっている。シンプルな自然素材で作られており、雨季には雨水をハウスの正面から排水できる形になっていて、外側に浸食することもほとんどないので持続可能な建物だ。
マアルーラ(リーフ・ディマシュク)
マアルーラはダマスカスの北東56キロの場所にあり、高度1500メートル以上の険しい山の中に作られた小さな町だ。イエス・キリストが話したアラム語という方言を使う最後の人々が住む3つの村のうちの1つだ。アラム語に由来し「入口」という意味を持つマアルーラという言葉は、ビザンチン時代の6世紀に異教の地に建てられたシリア最古の修道院の1つの名前となっている。
パルミラの古代遺跡(ホムス)
パルミラの古代遺跡はダマスカス北東のシリア砂漠にある。 最も重要な古代の文化的中心地の1つだ。
バーブ・トゥーマの古い路地(ダマスカス)
バーブ・トゥーマは「トーマスの門」という意味で、ダマスカスの旧市街にあるバラ(行政区画の1つ)で街の歴史的な壁の内側にある門の1つ。16世紀、トルコ人たちによってアレクサンドレッタとアンティオキアの街を占拠され、バーブ・トゥーマはレバント地方のギリシャ正教会とギリシャカトリック教会の主な拠点となった。
アレッポ城
アレッポ城は世界最古で最大規模の中世の城の1つと考えられている。アレッポの中心地にあり、その歴史は紀元前3000年までさかのぼる。東ローマ帝国、ギリシャ、アイユーブ朝、マムルーク朝に占領されていた。アレッポ城は1986年にユネスコの世界遺産に登録された。残念ながら、シリアの内戦による砲撃や爆撃の中で、著しく損傷してしまった。
サラーフ・アッディーンの城(ラタキア)
Vía Anas Al Rifai
その当時、最も息をのむような城の1つであるサラーフ・アッディーンの城(別名サラディン城)は10世紀の中頃から要塞化された。約700メートルの場所に建てられ、ラタキアとアンティオキアの都市間のルートを守った。また、建築物の要塞化を映し出し、歴史的な建造物だ。サラーフ・アッディーンの城はレバント地方での城の重要な進化を現代に伝えている。
ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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