ウサイン・ボルドが抱える障害
リオ・オリンピックでも世界中に圧巻のパフォーマンスを見せつけたウサイン・ボルト選手。100m、200m、400mリレーで3冠を果たした世界最速の男、ボルト選手だが、そのひときわ目立つ大きな体躯に、実はある疾患を抱えている。それは「脊柱側弯症」である。
背骨が横にカーブを描くように湾曲する症状で、その結果、体幹の左右の筋バランスに偏りを生じることとなる。背部の写真から判断するに、ボルト選手の場合は胸椎部分(背中)にカーブがあると推測される。
胸椎には肋骨が隣接し、更にその上には上肢とつながる肩甲骨(肩甲上腕関節)が位置する。よって、体幹の不安定性や腕のスイングの左右不均衡を生じる。スプリンターにとっては、一見、致命的ともいえる身体上の大きなハンディキャップである。実際、(疲労の蓄積もあったのか)アンカーを務めた400mリレーの終盤では体幹の横ブレが顕著に見られた。
金メダリストの体を支えるケア
側弯症というハンディキャップに打ち勝ち、なぜ、ボルト選手は3大会連続、3種目で金メダルを獲得することができたのか?その理由には、側弯症を補っても余りある、長い四肢をそなえた規格外の肉体や恵まれた身体能力も挙げられるだろう。
そして、ミュンヘンで培われた科学的なトレーニングによって故障を防げるようになったことも大きな一因に違いない。でも、側弯症を持った超人のパフォーマンスに大きく寄与しているのが、実はカイロプラクティックである。
日本では「慰安的マッサージ」と混同されがちなカイロプラクティックだが、欧米ではれっきとした第一義医療(プライマリー・ヘルスケア)として認められている。そして、アスリートのケアに欠かすことができない療法となっている。
現在では、アメフト、野球、バスケットボール、アイスホッケーの4大スポーツのプロチームには必ず専属のドクター・オブ・カイロプラクティックがいる。彼らは故障の処置にあたるだけでなく、所属選手の身体能力を最大限に引き出すためのパフォーマンス・ケアを担当している。アメリカにおいて、カイロプラクターは医大と同等の専門教育を受けており、レントゲン撮影をする権利が認められている。
だから、脊柱側弯症についてもレントゲン診断ですぐに発見しその処置にあたることができる。ウサイン・ボルト選手の側弯症に打ち勝つパフォーマンスもフロリダのカイロプラクター、Dr.マイケル・ダグラスのカイロプラクティック・ケアによって支えられているのである。ボルト選手は次のようなコメントを出している。
「いつも金メダルを取れるわけではないが、金メダルを取れたときはまずカイロプラクティックのアジャストメントを受けていた。」
ハリウッド・セレブたちも
アスリートだけでなく、ハリウッド関係者では、アーノルド・シュワルツェネッガー、シルベスター・スタローン、メル・ギブソン、ジョニー・デップ、マドンナ、セリーヌ・ディオンなどもカイロプラクティックを受けている。「故障者の治療」というイメージよりも、パフォーマンス向上のためのケアであることがお分かりになるであろう。
さて、脊椎側弯症はいくつかのタイプに分けられる。ひとつは「機能性側弯症」。もうひとつは「構築性側弯症」である。前者は(悪姿勢など側弯を起こしている原因を取り除けば)改善が見込まれるものであり、後者は先天的要素(骨格形成上の左右差など)や疾患の合併症などによる可塑的な症状を示す。
ボルト選手の場合は後者の「構築性側弯症」タイプのうちの一つ、「特発性側弯症」だといわれている。つまり、原因が分からない側弯症であり、背骨が真っ直ぐに治癒する可能性は極めて低い。
この「突発性」タイプふくめ、「構築性側弯症」の8割以上で側弯症の原因は実は未だにはっきりと解明されていない。「原因が分からない」ということは有効な手立てや予防法も見当たらないということである。
ニルヴァーナのコバーンも
あまり知られていないが、アスリートをふくめ多くの人々が症状に悩んでいる。とあるネット情報によると、以下の著名人も側弯症だとのことである。
カート・コバーン(ミュージシャン)
エリザベス・テイラー、ダリル・ハンナ、レネ・ルッソ(女優)
ジェームズ・ブレーク(テニス選手)
側弯症は男女比率は1:5~10で女性に多い。10代の成長期から発症するケースが多いため遺伝性要素も指摘されているが、先述のとおり、はっきりした原因は確定されていない。
右左脳バランスの乱れから体幹の偏りを生じる説や利き手など優位側の筋骨格的な要素を挙げる説もある。「アゴ専門家」の立場から筋骨格系の力学チェーンの観点を述べると、噛み合わせ不均衡から胸鎖乳突筋や肩甲舌骨筋を通じて鎖骨や肩甲骨のバランスが崩れる可能性も指摘しておきたい。
側弯症は自覚症状がないケースも多いため、有効な手立てとしては早期発見が最優先だ。侵襲性が低い検査としては、(専門教育を受けた正規の)カイロプラクターによる背骨の触診や視診が挙げられる。
また、整形学検査法としては、対象者を前かがみにさせて背中の厚みの左右差を視診する「アダムズ前屈テスト」も有名だ。ただ、これらは側弯が一定以上に進行した場合にのみ有効で、早期発見のためには、レントゲン画像による確定診断(コブ角10度以上を「側弯症」と定義)が必要である。
アメリカの公立学校では、好発期の小中学生を対象に学内で側弯症スクリーニングを行なっている。例えば、カリフォルニア州では以下のようなスタンダードやチェック項目を掲げている。
カイロプラクティックの有効性
温存療法としてはカイロプラクティック療法の有効性が示されている。2016年4月「理学療法科学ジャーナル」誌(Journal of Physical Therapy Science)掲載の論文でも、4週間のカイロプラクティック治療でコブ角の減少が認められたことが報告されている。
ただ、湾曲を完全に消失させることは成人期以降であれば困難である。成人の場合は、側弯の悪化を食い止めるために継続的なカイロプラクティック・ケアを受ける患者が多い。
ウサイン・ボルト選手の場合も、オン/オフ・シーズンを問わず定期的なカイロプラクティックを受けているようだ。患部だけではなく骨盤ふくめ全身のバランスを整えることでベスト・パフォーマンスを発揮できるわけだ。
なお、医師(MD)による側弯症への処置は、温存療法ではコルセット(ブレース)装着が一般的である。側弯の進行が止まらなければ、外科手術によって脊柱を金属性ロッドで固定することを勧められる。
日本でも240万人以上
統計によると、人口の約2~3%が側弯症を抱えているといわれている。アメリカでは600万~900万人、日本では240万~360万人がこの疾患を抱えている計算だ。実をいうと、筆者もそのうちの一人で、背中に右に膨らむ(右凸)カーブがある。
中学生の頃から常に背中のこりや腰痛・肩こりも状態化していたが、「側弯症」という自覚はなかった。入学したカイロプラクティック大学で初めてレントゲン画像を見せられ、「側弯症」だと診断されたときは驚愕したことを鮮明に覚えている。
この時点で30代だったが、卒業・学位取得後、臨床のかたわら、10数年も自らカイロプラクティック・ケアを受けているおかげか、側弯カーブが減少し背中のこりも軽減している。この経験からも、側弯症はなるべく早期に兆候を発見し、カイロプラクティック・ケアで脊柱の可動性や配列を整える重要性を実感している。
慢性の背部痛や悪姿勢が気になる小中学生のお子様がいらっしゃる読者は、正規のカイロプラクターや整形外科医に一度、相談されることをお勧めする。
側弯症は早期発見すれば、決して怖い疾患ではない。今回、そのことをボルト選手が証明してくれた。彼の3種目3巻制覇という偉業を果たした側弯の超人は、世界人口74億人のうち最大2, 220万人と推測される側弯症患者にとっても希望の星である。