「失恋したので、お経始めます」 お坊さんに聞く仏教経典の効用

お経とは仏様の教えを記したものなのだから、きっとすごいことが書いてあるに違いない。意味さえ理解できれば、日頃の小さな悩みなんてあっという間に吹き飛ばしてくれるのではないか。
Kohgen

仏教経典。通称「お経」。仏式のお葬式で唱えられている、あれだ。

耳にすると何やらありがたい感じはするものの、内容をヒアリングできる一般人はそうそういないだろう。それもそのはず。ほとんどのお経は漢文の音読み。聞いただけではわからなくて当然なのである。

しかし、そもそもお経とは仏様の教えを記したものなのだから、きっとすごいことが書いてあるに違いない。意味さえ理解できれば、日頃の小さな悩みなんてあっという間に吹き飛ばしてくれるのではないか。

というわけで、「経典をナナメから読む会」を主宰する僧侶の池口龍法さんに、お経についてくわしく教えてもらうことにした。

「お経は、基本的にお釈迦様の説かれた言葉とされています。ただし、お釈迦様自身が書いたのではなく、その死後、弟子たちが語り継いでいた内容を文字化したものや、後世の仏教徒が『お釈迦様ならこう考えただろう』と想像し、解釈を膨らませて作成したものなど、様々あるのです。種類も数も膨大ですから、この世に存在する全てのお経を読んでみようとしても、まず無理でしょうね」

いきなり出鼻をくじかれてしまったが、「種類も数も膨大」だからこその利点がある。

「自分にぴったりの教えを選べるのです。日本仏教には伝統的な宗派だけでも十以上ありますが、そんなにあるのも先人たちが自分の悩みにフィットするお経を選んだ結果といえるでしょう」

よって、天台宗や日蓮宗は法華経、浄土教系の宗派は浄土三部経というように、それぞれ依拠する経典は異なるのだそうだ。しかし、気軽に読むだけなら宗派にこだわる必要はないという。

「実際、私は浄土宗の僧侶ですが、主宰する『仏典をナナメに読む会』で最初に取り上げたのはスッタニパータ、いわゆる原始仏典と呼ばれるものでした」

原始仏典は、お釈迦様が生きていた時代に近い時期にまとめられたため、お釈迦様の肉声に比較的近い内容を伝えているとされる。

「仏典の研究者である私の友人が数年前に失恋した時、『このショックを解決してくれるお経の言葉はあるのだろうか?』との疑問を抱いたのが会を始めたきっかけ。身近な問題をテーマに、お経を自由に読みなおしてみようよ、という試みだったのです」

で、効果のほどは? 失恋の痛手は癒やされたのでしょうか?

「......どうでしょう?(笑)。二年ぐらい議論した末、一応『失恋には"諸行無常"かなあ』という結論は出ました。諸行無常とは『この世は常に変化し、同じまま存在し続けるものは何一つとしてない』という真理を表す仏教の基礎用語ですが、『この恋がだめでも次があるさ』って風に捉えてもいいんじゃない?と。正統的な解釈からするととんでもない話ですけどね。ただ、仏教の言葉を通して自分の苦しみと真正面から向き合った時間は貴重ですし、間違った解釈でもいいから、主体的に経典と関わるのは意味のあることだと私たちは考えています」

普段は京都で開かれている「経典をナナメから読む会」だが、昨年は東京は芝増上寺で行われた寺社フェス「向源」の会場で出張開催され、大好評を得たという。

「お経の言葉は即効性があるわけではありません。しかし、確実に視野を広げてくれる。その結果、心がどんどん軽くなっていく。難しそうだと敬遠せず、自己解釈でいいから自由に読んでみてもらいたいですね」

「スッタニパータ」は岩波文庫から『ブッダのことば』として現代語訳が出ているし、「般若心経」だと多彩な人々(たとえば漫才コンビ笑い飯の哲夫)が自己解釈を交えた訳本を出しているので、読み比べてもおもしろいだろう。

二千年以上、人類に向かって真理を語り続けてきたお経。まっすぐ読んでも、ななめに読んでも、なにかしら得るところはあるはずだ。そうでなければ、現代まで残るはずもないのだから。

(門賀美央子)

注目記事