韓国・朴槿恵政権との向き合い方

「基本的な価値や利益を共有する、最も重要な隣国」(施政方針演説)。安倍晋三首相は韓国について、こう繰り返してきた。問題は、それにふさわしい向き合い方とはどんなものか、だ。この点、安倍首相は初めからボタンを掛け違えていたようだ。

「基本的な価値や利益を共有する、最も重要な隣国」(施政方針演説)。安倍晋三首相は韓国について、こう繰り返してきた。問題は、それにふさわしい向き合い方とはどんなものか、だ。この点、安倍首相は初めからボタンを掛け違えていたようだ。

「彼女と2度食事をした。父の朴正熙大統領は私の祖父(岸信介元首相)の親友だった」

1年前、朴槿恵大統領が就任式を3日後に控えていた2月22日、折からオバマ大統領との首脳会談で訪米していた安倍首相は、朴槿恵氏についてこう語っていた(2013年2月26日付朝日新聞)。

当時、韓国のこの新しい女性大統領の誕生を日本の保守層は歓迎していた。前年夏の李明博大統領の竹島上陸で日韓関係が軋んでいたところへ、「日本に好意的だった」とされた朴正熙元大統領の「2世」の登場である。

安倍首相としても、「親密さ」を強調したかったのだと思われる。しかし、それは大きな勘違いだった。逆に、朴槿恵氏とっては大変な迷惑だったに違いない。

朴槿恵氏は「信頼外交」を掲げ、日本に「正しい歴史認識」を求めていた。安倍首相の祖父、岸信介氏は戦前、旧満州国高官や東条英機内閣の商工相などを歴任した「元A級戦犯容疑者」である。そんな岸信介氏と父親が「親友」だったと言われたらどんなものか。

前年暮れの大統領選では、日本の旧陸士卒、旧満州軍将校といった経歴を持つ朴正熙氏の「過去」が「親日派」として野党の攻撃対象となった。韓国で「親日派(チニルパ)」といえば、ほとんど「売国奴」という意味である。

韓国で朴正熙氏は経済成長の基礎を築いたリーダーとして多くの国民から高く評価されているのは確かだ。しかし一方で、軍事クーデターで政権を奪い、民主化運動を弾圧した独裁者として批判もされる。

大統領選で朴槿恵氏は当初、「当時としては不可避、最善の選択だった」としていたのを、世論の反発を前に結局、「父親の過去」を詫びて国民の審判を受けたのだった。

安倍首相はその辺のことがどこまで分かっていたのか。

朴槿恵大統領にとっての朴正熙氏と、安倍首相にとっての岸信介氏。同じ「世襲組」の政治家といっても、それぞれの父、祖父に対する向き合い方にはかなりの違いがあるようにみえる。

朴槿恵大統領は、朴正熙氏のことを「思い遣りのある人だった」といい、「尊敬していた」と自叙伝で書いている。しかし、そんな肉親の「情」とは別に、政治理念に関しては父との間に明確な一線を引いていることはいま見た通りだ。

安倍首相の場合はどうか。手がかりを探るために安倍首相の著書『新しい国へ』(文春新書)と原彬久著『岸信介』(岩波新書)を併せて読んでみた。

見えてくるのは、安倍首相がいま、「日本にとって最大のテーマ」とする「戦後レジームからの脱却」が、戦後に岸氏の目指した「占領体制(サンフランシスコ体制)の清算と『独立の完成』」の延長線上にあるということだ。


岸氏にあっては、1960年の安保条約の改定は「日米対等」の関係に向けて「サンフランシスコ体制の清算を果たす一大モニュメント」といえたのであり、目指すべきは日本の「独立の完成」へ「押しつけられた」憲法の改正にあったのである(『岸信介』)。

安倍首相も「戦後レジーム」に関し、北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を引き合いに「日本国憲法に象徴される、日本の戦後体制は13歳の少女の人生を守ることができなかった」と主張。集団的自衛権の行使についても「米国に従属することではなく、対等になること」と説いている(『新しい国へ』)。

安倍首相、岸氏ともに、国家主義の匂いをふんぷんと漂わせており、その点でも両者の間に世代を超えた「連続性」を感じさせる。

気になったのは、両者のアジアに向ける目だ。『岸信介』は、著者による岸氏へのインタビューを踏まえて次のように書いている。

▽戦前みずからが抱いた「大アジア主義」(日本を盟主とするアジア諸民族連帯の思想)と戦後におけるアジアへの関心とは「完全につながる」とともに、「自分が満洲国に行ったこととも結びつく」こと、すなわち自身における「戦前」と「戦後」とは「おそらく断絶はない」し「一貫している」と断言する。

ここに示される「大アジア主義」は、太平洋戦争期に岸氏らが掲げたアジア支配正当化のための「大東亜共栄圏」思想とも結びつくものである。

安倍首相はこの間、アジア諸国に過去を詫びた「村山談話」について「安倍内閣として、そのまま継承しているというわけではない」とか、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」などと公言してきた。

これらは、アジアへの関心において「戦前」と「戦後」が「完全につながる」とした岸氏の考えと通底するようにも見える。そうだとすれば、「正しい歴史認識」を掲げる朴槿恵大統領と真っ向からぶつかるしかない。

日韓関係にあって1965年の国交正常化以降、曲折の末の一つの到達点とされてきたのが98年10月、小渕恵三首相と金大中大統領の間で謳いあげられた21世紀に向けての「日韓パートナーシップ宣言」だ。

そこでは日韓間の公式文書として初めて「過去」についての日本側の「反省とお詫び」が「村山談話」をなぞる形で盛り込まれ、戦後の日本が国際社会で果たしてきた役割、両国で共有する理念についても確認し合った。

<小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた>


<金大中大統領は、戦後の日本の平和憲法の下での専守防衛及び非核三原則を始めとする安全保障政策並びに世界経済及び開発途上国に対する経済支援等、国際社会の平和と繁栄に対し日本が果たしてきた役割を高く評価した>


<両首脳は、日韓両国が、自由・民主主義、市場経済という普遍的理念に立脚した協力関係を、両国国民間の広範な交流と相互理解に基づいて今後更に発展させていくとの決意を表明した>

外務省HP

「基本的な価値や利益を共有する、最も重要な隣国」にどう向き合うのがいいのか。その答えはここに明確に示されているのではないか。

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