試行錯誤の連続。しかし、そろそろ「かたち」に・・・再編は政治家としての原点

現在の政党では、基本的な考え方すら一致せず、議論がなかなかまとまりません。

私の政治家としての原点は「政界再編」です。ご覧のように、無所属で初当選(2002年)した時の選挙ポスターやビラには、「あえて無所属、政界再編!」という標語が書いてありました。

当時は誰も「政界再編」など関心がなかった時代です。小泉政権の全盛時でした。「やっぱり江田は官僚あがりだな。生活感がない」「我々国民の関心は景気であり福祉なんだよ」と散々言われたものです。

しかし、私は長年、官邸勤めをしてきて、日本政治の最大の問題は、自民であれ民主であれ、基本的な考え方すら一致しない「寄合所帯」で、どこが政権をとろうが、途端に議論が割れてなかなかまとまらない、そこに官僚が出てきて「先生、この辺で如何ですか」と「足して二で割る」ペーパーが出てくる。

それは、見事に美辞麗句で飾られてはいますが、肝心の「角」が全部削られ、国民にとっては何の効果もない、当たり障りのないものになり果てる。

そうした官僚政治をしこたま見てきて、私は、政治理念や基本政策ぐらい一致させた「真っ当な政党」を作らなければ、いつまで経っても官僚につけ入るスキを与え、官僚主導の政治が続く、国民に政治を取り戻すことはできないという確信を持つに至ったのです。

その思いは今もまったく変わっていません。無所属議員としてたった一人で始めた政治家人生。その後、みんなの党→結いの党→維新の党と、離合集散という批判を甘受せざるをえない試行錯誤の連続、お約束した再編への道のり真っ最中ですが、「自民党のライバル政党づくり」という方針自体にもまったくブレはありません。

自民良い悪い、民主良い悪い、それぞれ皆さんあると思います。しかし、今の「安倍自民党一強の政治」ではなく、やはり、自民党に対抗できる、互いに競争して切磋琢磨できる政党をつくり、緊張感をもった政治にしないと、決して国民を向いた政治は実現できない。国民を無視した政治をすると下野するという緊張感がないと、慢心の、傲慢な政治になること必定でしょう。

そういう思いで、700人を超える国会議員の中で、ある意味、私は特殊な政治家かもしれませんが、そんな政治家が一人ぐらいいても良いじゃないか、皆が同じことをする必要はない、審判は選挙で受ける、というぐらいの気概でこれからも再編に取り組んでまいりたいと思います。

(しかし、そろそろ年末、新年早々から通常国会がスタートし、そのまま夏の参院選になだれ込んでいくというスケジュール感からすると、少しは皆さんにも見える「かたち」にしていかなければなりませんね。)

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