補助金受給企業からの献金問題で、国会では「法の趣旨の徹底」や「罰則強化」等でお茶を濁そうという動きが広がっている。いつもながらの「なあなあ」主義の取り繕い策(弥縫策)だ。
そもそも、補助金を受給していた企業か否か、それを知っていたか否か、といったことを議論していること自体がナンセンスだ。元をただせば、20年前の国民との約束、すなわち、税金で「政党助成金」(約320億円)を導入する代わりに、「企業団体献金」は禁止するという約束を果たせばいいだけの話だからだ。
国会議員は、企業団体献金は「政党」には当面許されるという法の抜け穴を利用し、その後、雨後のタケノコのように「政治家個人と一体」の「政党」支部をつくり、そこに企業団体献金を受け入れてきた。まさに、約束違反の「税金と企業団体献金の二重取り」を白昼堂々とやってきたのだ。これでは、ロッキード事件やリクルート事件への反省から行われた「政治改革」の趣旨がないがしろにされていると批判されてもしょうがないだろう。
法律が「政党」や、一に限られる政党の「政治資金団体」にのみ企業団体献金を許したのは、外部からのチェックがしやすく、その透明度が高められるという考えからだった。末端の政治家個人の、企業や利権圧力団体とのミクロな癒着は、今回の補助金受給企業の一件を引くまでもなく、外部からチェックしにくいが、それが政党本部やその資金団体ならばチェックしやすいということに尽きる。今の現状は、こうした法の趣旨を完全に逸脱しているのだ。
しかし、自民党や民主党の中には、企業団体献金の禁止は「民主主義の自殺だ」との声まであるという。しかし、考えてもみてほしい。企業は、何か見返りを求めて献金すれば、それは「賄賂」になりうるし、何も見返りなしに献金すれば「背任」ともなりうる。そう、企業団体献金の禁止を「民主主義の自殺」と言うなら、それを容認し続けることは、「資本主義の自殺」「株式会社の自殺」とでも言うべきことなのだ。
維新の党は、2月26日、国会に「企業団体献金の全面禁止法案」を提出した。何も補助金受給企業からの献金問題があったからではない。国民との20年来の約束を果たすためだ。昨秋から出している「文書通信交通滞在費の使途公開法案」とともに、各党各会派、特に、自民党や野党第一党の民主党に強く働きかけ、その実現に向けて全力をあげてまいりたいと思う。メディアや国民の皆さんの「後押し」を強くお願いしたいと思う。
(2015年3月8日「江田けんじ公式ブログ」より転載)