ゆとり教育は理想はともかく、結果的には単に学力低下を招いてしまったという失敗の反省から、小中高校のカリキュラムが学力強化に変わりました。
教育改革により、「算数ができない大学生」などとも言われるように、元々日本が得意としていた基礎力、正確に物事を行う能力が損なわれて行ったわけです。
私が企業から東大に移ったのは2007年で、15年ぶりに東大に戻ると、学生の学力の低下に驚いたものでした(今では慣れました)。
正確に言うと、東大生の中でも優秀な学生は、以前と同様に優秀です。問題なのは、生徒による学力のばらつきが大きくなり、平均レベルも落ちていると感じました。
私の場合は大学院を修了した後は企業に居たので、大学に移った際には、先輩の先生方から、「東大であっても昔とは学生が違うので、自分が学生の時とは全く違う指導をしないといけないよ」と注意されたものでした。
さて、このような学力低下への反省から、ようやくまともな教育に戻るかと思った矢先に、また教育改革です。
「一点を競う試験」から「人物重視」の入試、現在のAO入試のようなものに大学入試を変えようとしているようです。
なぜ、ここまで現実離れした政策が行われるのでしょうか。
社会の誰がこのような教育を望んでいるのでしょうか?
教育の現場を知らない政策担当者が「頭でっかち」「理念優先」で改革を推進しようとしているのでしょうか。
ゆとり教育の二の舞にならないのか、心配です。
現実の社会を見てみましょう。
受験の制度だけで全てを同様に評価することは乱暴ですが、例えば企業の採用でも「AO入試合格者」や付属校からエスカレーター式に大学に進学した学生は基礎的な学力が不足しているのではないか、と警戒されていることは良く知られているところです。
こうした学生は採用しない企業まであるようです。
また、STAP細胞事件でも不正の当事者がAO入試で大学に入学していて、「やはり」と思われた方も多かったのではないでしょうか。
社会のニーズも変わってきています、しかも、政策とは正反対の方向に。
少子化にもかかわらず過熱する中学受験。
公立も中高一貫校が出てきていますので、「しっかりした教育を早くから受けさせたい」という親のニーズを中高一貫校が満たしているのでしょう。
しかも、人気を集める学校は驚くほど変わっています。たとえば、こちらが偏差値の例です。
私自身も中学受験をしましたが、この表を見ると、
・ものすごく偏差値が高い渋谷幕張、西大和って何だ?
・聖光や駒場東邦はこんなに偏差値高くなったのか
・武蔵はどこに行ってしまったんだろう
・名門私大の付属校は何でこんなに下がったのだろう
などと驚きました。
もはや「御三家」は死語となり、自由放任の学校が地盤沈下し、口の悪い人は予備校のようだと言うような、面倒見が良く、勉強させる学校が上位になっています。
大学の付属校の人気が落ちているのは、付属校からエスカレーター式に大学に進学すると学力がつかないだけでなく、就職の時にも企業から敬遠されることを心配して、「大学受験はさせる」というご家庭が増えているようです。
「【1962年~2014年】過去53年の東大合格者ランキングベスト10」を見ればわかるように、「面倒見がよい」と言われ、人気を集めている(偏差値が高い)学校が、大学合格実績を上げていることがわかります。
今年の東大の前期入試の結果はこちら(速報!2015年 東大・京大・難関大学合格者ランキング)です。
大昔に入試をした私のような世代では、この学校知らない、というところもあって驚かれるのではないでしょうか。
京大では合格者数が昨年まで24年連続トップだった洛南が落ちて、新興の西大和がトップになったことが話題になっているようです。
さて、このように社会のニーズがむしろ、「ちゃんと勉強させる」方向に向かっているのに、なぜ、国の政策だけ正反対の方向に向かうのでしょうか。
おそらく政策を決めている方は、アメリカや欧州の大学の入試制度を参考にしているのではないかと思います。
私自身も現在の政策が目指しているような、エッセーや面接で入試を行う本場?の、スタンフォード大学のMBAの受験を経験しました。
あまり日本では知られてないかもしれませんが、欧米大学の入試では面接に残るためには、大学の成績(GPA)やペーパーテスト(GMAT)で非常に高い点数をとる必要があります。
つまり、高い学力で足切りをした後に、「人物重視の試験」を行っており、決して「学力軽視」ではないのです。
日本の大学改革では、果たしてどれだけ学力を重視するのでしょうか?、とても不安なところです。
現在のセンター入試では簡単すぎて、トップ大学での学力の評価には使えないでしょう。
私自身は「技術で勝って経営で負ける」という日本企業の状況に危機感を感じ、技術者だけでいることに限界を感じてMBAに行きました。
ですから、「大学改革」をされようとしている方の問題意識も良くわかります。おそらく、「大学改革」を推進する「有識者」の方は、ご自身も欧米のような教育を受けたかったと思われているのでしょう。
しかし、大切なのは日本の強みを捨て去るのではなく、日本の元々持っている力+欧米のような教育を行うことです。
表現力や経営力も、しっかりした基礎的な力があってこそです。
海外のトップ大学で学んだ方はわかると思いますが、国によって得意な部分はどうしてもある。
日本が欧米を真似したところで、2流、3流の劣化コピーができるだけでしょう。
日本人ならではの平均的な能力の高さ、精密さ、勤勉さを捨ててどうするのか。
すでに若い世代を見れば、40代以上のおじさん世代とはずいぶん違います。プレゼンやコミュニケーションが上手になった反面、内容がわかっていない「口だけ、はったりだけ」の人が増えました。
私達日本人が元々持っていた強みを生かすために、新しい取り組みを行うことは大賛成ですが、益々強みを無くしてしまいかねない政策変更はとても心配しています。
さて、「自物重視」の入試に変わると入試はどうなるのか。
いわゆる人気がある中高一貫校が新しい入試でも強いまま、むしろ更に強くなるでしょう。
トップクラスの中高一貫校では、一つの問題をじっくり解かせるような、物事の本質を深く理解するような教育を元々やっていますし、理科の実験や演習も充実しています(その反面、授業料が高いですが)。
また、高校受験がないため、中学2,3年や高校1年で海外に留学するところも多く、早くから「グローバル教育」も行っています(これも、かなりのお金がかかる)。
こうした経験は、「人物重視」の入試で行われるエッセー(作文)や面接で、「普通の学生と差別化できる経験」としてアピールできるでしょう。
こういった中高一貫校の充実した実習、海外研修などは、高校受験がないゆえの、「中だるみ防止」という側面もあるようですが、改革後の「人物重視」の入試にとっても、メリットになるでしょう。
結局のところ、入試改革で損をするのは、周囲の環境や経済的理由で中高一貫校などに行けないけれども、試験になれば抜群の成績を叩き出す、隠れた才能を持った人なのでしょう。
色々言われますが、現在の東大などの入試は、ペーパーテストだけで極めて平等。環境がどうあれ、実力がある者には、のし上がるチャンスがあるのです。
社会は入試改革を本当に望んでいるのでしょうか?
改革を先導する一部の人ではなく、社会一般の人の集合知の中にこそ、正解があるのではないでしょうか。
ところで、こうした政策を推進する方は、ご子弟にどんな教育を受けさせているのでしょう。
私が個人的に知る限りでは、自分自身の子供のことになると、小学校から進学塾に通わせ、「点数重視」の入試対策をして、ガッチリ勉強させる、中高一貫校に行かせようとする方が多いのではないでしょうかね。
それが社会の本当のニーズですよ。
(2015年3月21日「竹内研究室の日記」より転載)