先日、スティーブ・ジョブズが子供には自分が開発したiPhoneやiPad、コンピュータを使わせずに「ローテクな親だった」というニューヨークタイムズの記事が話題になりました。
私もエレクトロニクス・ITの研究者ですが、自分が開発した製品を、子供たちには使わせていません。
子供たちには携帯電話は普段は持たせず、どうしても必要な時だけ、機能を通話に絞ったものを持たせています。
私が開発したフラッシュメモリによって、iPhoneやiPadが生まれました。
更に、ストレージが大容量化してデータを大量に記憶できるようになった恩恵で、以前は知りえなかった情報をネットで簡単に検索できるようになりました。
小学校などで子供たちにタブレットを配ることを推進する人は増えてきましたし、ネットで検索できる知識は覚える必要が無い、という人も出てきました。
子供にタブレットを持たせて教育するのは、おそらく途上国のように、本を一人ひとりの子供に配れない国では大変有効でしょうね。
膨大な本を配るより、タブレット一つの方がはるかに安く済むでしょう。
途上国ではインフラの整備が難しいので、例えば通信網も有線の通信網を敷くことは難しいので、有線のインフラを作らずに、無線で通信を行うという事例もあります。
このように、インフラが整っていない、財政的に厳しい人たちに対して、IT機器を使って安価に高いレベルの教育を提供することは大賛成です。
一方、日本のような先進国で、子供たちに早い時期からITに触れさせる必要性は良くわからない。
ITの発達でこれだけ膨大な情報へのアクセスができるようになって、人は賢くなったのか。
正直なところ、よくわかりません。
自分の仕事を否定するようなところもあって、つらい部分もありますが。
というのも、同じ情報に接しても、それを「白」と判断するか、「黒」と判断するかは人間だからです。
同じ情報に接していても、判断を間違ったら何にもなりません。
例えば、仕事選びで、ブラック企業という言葉が良く使われます。
霞ヶ関のキャリア官僚は寝る時間も惜しんで働いていて、勤務時間からすると間違いなくブラックです。
大学教授という仕事も、プロジェクトを増やすほど、研究をやればやるほど事務仕事が増えていくのに給料は変わらない。
起きている時間、365時間ほぼずっと仕事をしているので、ブラックといえばブラックです。
でも、物事には光と影の両方の面があります。例えばキャリア官僚であれば、在職中の拘束時間はブラックでも、民間では到底会えないような人とのネットワークが広がり、退職した後に役に立つこともあるでしょう。
つまり、在職中はブラックだけど、それも将来への投資と割り切れば、人生のトータルで見ればプラスになることもあるのです。
経営コンサルティングや投資銀行も給料は高いけれど在職中はとても苛酷な環境。将来の投資のために、数年間だけ在職している人が多いでしょう。
大学教授の場合は、何よりも自分がやりたい研究をできる、というのはお金で買えない貴重な機会なので、長時間働いていても、企業に居た時ほど苦痛には感じません。
もちろん、どう感じるかはその人の価値観によります。同じ経験をしても、白にも黒にもなりえるので、他人に強要できるものではありません。
自分が「白」と思えることでも、「黒」と感じる人に強要すると、ブラック職場になるんでしょうね。
さて、子供の話に戻すと、これだけ情報があふれているからこそ、どうやって情報を仕分けるか、何が白で何が黒か、見分ける能力こそが大切だと思うのです。
これは人工知能ではできません。正解は一つだけではないのですから。
小さいころからタブレットを持つと判断力にどのような影響を与えるかは、私はわかりません。
ただ、順序としては、1.情報を判断できる力を身につけてから、2.多くの情報に接する、べきではないでしょうか。
小学生にスマホと持たせると、自分だけでなく他人の個人情報を含んだ写真や情報をダダ漏れにしてしまった、という経験をされた方も多いでしょう。
その子の親に注意したら、親自身がなぜ悪いかわからない、、、、という経験も。
情報というのは便利なだけに、非常に危険であることを良くわかるようになる年まで子供にはアナログに生きて行ってもらうつもりです。
(2014年11月2日「竹内研究室の日記」より転載)