なんとも懐かしい気持ちになる書籍だった。はぐれ雲の川又直さんは、僕も小さい頃からずっとお世話になっている、若者支援分野の大御所であり、共同生活型支援の先駆者であり、父親の大親友でもある。
そして、不登校やひきこもり状態の子どもたち、若者たちが自宅を飛び出し、共同生活を通じて自らの人生を変えていく「場」は、まさに僕自身が生きてきた世界でもある。
生まれたときには血のつながらない兄弟姉妹と血のつながっている兄弟姉妹が混在する家庭であったため、割と「そういうもんだ」という環境を受け入れていたとともに、「なんでウチは他の"フツー"の家とは違うんだろう」という素朴な疑問を内在させて生きてきた。
懐かしい気持ちというのは、本書のなかで「ウチもそうだったな」という話がこれでもかというほど出てくるからだ。
共同生活型の自立支援施設というのは、最近では少し知られてきたかもしれないが、30年、40年前は誰もしらない世界であり、ある意味での閉ざされた世界だった。しかし、川又さんはそのような現状を打破するために、小さな差異には目をつむり、つながりを維持する努力を本業とは別に行ってきた。愚直に。
(抜粋)
「『(会の)目的をもとう派』と『目的をもたない派』の二つに意見が割れてしまって、話し合ってもなかなか折り合わない。要はね、『目的をもとう派』は"自分たちがこんなに一生懸命活動しているのに、行政をはじめ世間一般は何も理解してくれない。会全体として、明確な目的をかかげて社会的な運動にしていかなければならない"という意見なんだ。一方で、『目的をもたない派』は、"理解されなかったり、lされづらいのはいわば当然で、それをあえて期待して活動することに、lはたしてどれほどの優先的な意味があるのか。全体として何かをするということではなく、まずはそれ以前に、それぞれの活動の質を高め、お互いが認め合って連携していくかたちが"望ましい"という意見だった」
問題を社会化していくことも重要であり、活動(支援)の質を高めていくことも重要であり、双方に取り組みつつ、互いを尊重して連携していくべき、というのは簡単であるが、それぞれの活動も小さく、インターネットなどで広く発信ができた社会環境でもないなかで、広く集った個人や組織が方向性を合わせるのは難しかったのかもしれない。
多かれ少なかれ、個人や組織が交われば価値観や考え方の合わないことは出てくるが、それを紡ぎ、継続していけるだけの胆力を川又さんは持っていたのだろう。それが東京大学玄田有史先生が川又さんを「愚直派」と表現する理由のひとつだ。
川又さんのスタンスは農業と同じく、地に根のはったものだ。本書にちりばめられている「川又語録」というものは、スマートな表現ではないかもしれないが、何かもやっとひっかかりながらも、自らの手で拭うには惜しい。
(抜粋)
「私は学者でも評論家でもないからね、原因を分析・究明する立場にはない。ただ彼らと一緒に生活してきて、明らかに分かることがある。不登校やひきこもり、それからニートであれ、そうなった理由やプロセスが一人ひとり全く違うということだ。人に個性があることと同じなんだ。だから、こうすればこうなるというマニュアルなんかどこにもない
問題は、いま眼の前にあるこの現実をどうするのかということだ。私たちにしてみれば、どこまでも本音で本気で、彼らの一人ひとりとつきあっていくほか道なんてありはしない。それが私たちの仕事なんだ。理屈や効率を考えてナンボという世界じゃないんだよね」
(抜粋)
「いわゆる不登校、ひきこもり、ニートの若者たちを自立させるには、"自立できる環境"を"横着せずに整えることが一番なんだから」
これまで400名を超える不登校やひきこもり状態の若者や、触法青年らと24時間365日の共同生活を通じて、原因分析も究明も、根拠を提示することもなく、親から離れた共同生活をすれば、ひきこもりやニートは半減すると言える川又さんは、言葉以上にその経験や存在そのものが国宝級だと思う。
政府による若者支援は2000年代初頭から実質的にスタートしたと言えるが、僕らが第一世代と呼ぶ川又さんらは30年、40年も前から、近年にになってスポットライトの当たった子どもたちと付き合い続けてきている。第一世代が次々と60代を超え、彼らが切り開いてきた歴史、積み上げてきた経験、残していくべき大切な「何か」を、私たちはつかんでおかなければならないのではないか。
彼らはネット上に言葉を残す気がさらさらない。