トランプ政権樹立が意味すること

意外というよりはむしろ恐れていたことが現実になったと感じた。
U.S. President-elect Donald Trump talks to members of the media at Mar-a-Lago estate in Palm Beach, Florida, U.S., December 21, 2016. REUTERS/Carlos Barria
U.S. President-elect Donald Trump talks to members of the media at Mar-a-Lago estate in Palm Beach, Florida, U.S., December 21, 2016. REUTERS/Carlos Barria
Carlos Barria / Reuters

ドナルド・トランプ氏の米国大統領選出に関して書くのは、「後出しじゃんけん」のような後ろめたさを感じるのだが、米国在住の日本人社会学者として何を思ったか、そして今後をどう考えるべきかについて、書きたい。

大統領選出についてはさすがに「まさか」の感があったが、ありえないこととは考えていなかったし、共和党大統領候補選出については、意外というよりはむしろ恐れていたことが現実になったと感じた。

その理由の1つは2005年に出たムーニー(Mooney)の『共和党の科学に関する戦争』(The Republican War on Science)の内容である。この本では共和党が、特にブッシュ政権(2001-2009年、息子の方)時代に、いわゆる「科学的証拠に基づく政策」にことごとく不信感を示し、科学の政策への影響を拒んできたことが具体的に報告されている。

ここで言う科学とは特に環境学、公衆衛生、社会医療学など主に社会における人々の健康に関する学術的実証研究が中心で、とりわけキリスト教原理主義的な思想に合わないものが敵視された。共和党政治が科学や合理主義に反するものに変容してきた、とこの本は警鐘を鳴らしたのだ。

実は同じキリスト教文化圏といっても米国と欧州では極めて大きな違いがある。米国のキリスト教徒はプロテスタントが大多数でその約30%がダーウィンの進化論や、堕胎や、同性愛者に対し敵意を持つ原理主義者(ファンダメンタリスト)と推定されている。一方欧州ではプロテスタントの原理主義者は極めて少数である。問題は米国共和党がこのキリスト教原理主義者たちを安定的支持層の基盤とする政党に次第に変質してきたことだ。

この歴史的変化については米国を代表する社会学学会誌であるAmerican Sociological Reviewに2012年にゴーチャット(Gauchat)が発表した「公共領域における科学の政治化」(Politicalization of Science in the Public Sphere)という論文が参考になる。

1974年から2010年までの約35年にわたる調査データの検証を通じて、彼は米国の「保守主義者」が1970年代にはリベラルや中道派に比べ最も科学を信奉し合理主義的であったのが、2000年代には最も科学に不信感を持ち反合理主義的になるという変容を遂げたことを実証したのである。

ゴーチャットはその変化が大学や研究所での研究の社会的影響に対し強い懐疑心や敵意を持つ「ニューライト」の台頭と関係し、その科学不信は時代とともにより多くの米国民に浸透し、1990年代以降とりわけブッシュ政権下で加速化したことを実証している。

科学に不信感を持つ人々は前述のキリスト教原理主義を超えるより広範な人々で、そのいくつかの特徴は教会への高い出席率に加え、大卒未満、比較的低所得、米国南部居住の多いことなどである。しかし保守主義者中の学歴と科学不信の結びつきは時代とともに変化し、その科学不信は大卒未満中心から次第に大卒以上の高学歴層にも浸透してきたことをゴーチャットの研究は示した。

さて今回の共和党大統領候補選出は、このように反合理主義的ニューライトの台頭という中で起こり、彼らの思いを代弁したのがまさにトランプ氏であった。意外感はなく、むしろ恐れてきたことが現実化したといったのはそのせいである。

では大統領選挙についてはどうか。実は筆者は以前米国での投票行動について研究し論文も書いたのだが、そのとき焦点を当てたのは1990-1992年における先代ブッシュ政権(1989-1992年)時代の政権支持率の変動の要因であった。

政権への支持率は1990年には60%台であったが、1991年に湾岸戦争でクエート奪還成功後は80%を超えたのだが、1992年には国内経済政策の失敗を指摘したビル・クリントン民主党大統領候補の選挙戦略の成功もあり、一転して40%台に下がり、その結果ブッシュ氏は大統領選に敗北したのだった。

筆者が分析したのはブッシュ政権支持の不安定性の原因とその結果であり、その主な発見は米国では政党支持(共和党か民主党か)の方が大統領(候補)支持より安定性があり、支持態度が安定的なのは共和党支持者の共和党大統領(候補)支持と民主党支持者の民主党大統領(候補)支持であり、逆に支持する政党と支持する大統領(候補)の政党が一貫しない場合態度は極めて不安定になるという事実である。

1991年のブッシュ政権への高い支持率には民主党支持者の支持が多数含まれ、安定性を欠いていたのだ。

翻って今回の米国大統領選挙はどうか?

実は今回の選挙は歴史的に最も予測の難しいものであった。なぜなら一方で元来共和党支持だがトランプ氏には人種・女性差別問題や経済的保護主義など、共和党支持者の多くにも受け入れがたい要素があってクリントン支持に回った人々が多かった。

また他方で元来民主党支持であるが、民主党候補選でサンダース氏を支持しクリントン氏への不信感を強めトランプ支持に回った人々や、深まる米国内での経済的不平等に対する処方についてクリントン氏には期待できないという思いからトランプ支持に回った人々も多かった。

他国の歴史でも見られるが、現状に不満な右と左が共に現状維持的な中道に敵対するときのように、トランプ氏やニューライトの米国最優先主義に共感した民主党左派の支持者も多かったのである。つまり今回の大統領選挙では政党支持と候補者支持が一貫しない選挙民がおそらく歴史上で最も割合の多い選挙で、そのため支持状況は極めて不安定であった。

今1つの不安定の原因はネット情報の影響の増大とマスコミの影響の減少である。ネット情報が無い時代にはマスコミが知識のない国民に唯一情報を提供できる存在であった。

今回のようにほとんどのマスコミが従来中立や共和党支持系のものも含めクリントン支持を表明する事態では、クリントン勝利は確実のはずであった。大統領選におけるクリントン氏の議論には事実と明らかに矛盾するものはほとんどなく、反対にトランプ発言は事実と矛盾するものが多数あった。だから、性差別・民族差別発言もあいまって、マスコミはトランプ氏を支持しなかった。

しかしネットの世界ではジャーナリズムに全くの素人がマスコミと同等に発言し、その多くがマスコミを批判しトランプ支持に回った。ここで関係するのが科学や合理主義に敵意を持つニューライトの行動である。彼らはもともとマスコミが問題にする「客観的根拠」を退け、いわば「信じたいものを信じる」人々である。

ネットでの彼らの発言はトランプ氏の言う「偉大なアメリカ」の再現を信じたい他の人々にも、マスコミのトランプ批判について「エリートと結託する陰謀説」を蔓延させていったように思う。この点で反合理主義のニューライトの台頭に加え、ネット時代の玉石混交の情報流通の在り方が、信じたいものを信じ合理的ではないがその分態度の安定的な層に支持されたトランプ氏に過大なチャンスを与える結果となった。

さて選挙後は、日本ではトランプ氏就任後の日米関係、安全保障、経済的グローバリズムなどに関する今後の予測など、国益に直結する話題に移っている。それは当然だが、一部に大統領就任後はトランプ氏も常識的な判断に移るだろうと楽観する人が多いことが気になる。希望的観測はすべきでないと筆者は思う。

米国内においてはトランプ氏の勝利は、一方で過去半世紀をかけて米国で個人の人権意識とともに発達させた文化的多元主義や多様性の尊重への挑戦であり、他方では米国の伝統でもあった科学的合理主義への挑戦でもある。

そしてトランプ氏の支持基盤は、米国の深化する不平等化もあいまって、米国のこれら主流の価値観に対し強い不満を持つ者たちであり、政治家として理念でなくポピュリスト戦術にたけたトランプ氏は自分の支持基盤を失う政策・政治はしないであろう。

一方、トランプ氏が公約する法人税・所得税の減税や、保護主義や公共事業による国内雇用の創出は、一時的には国内経済を浮上させるかもしれない。しかし長期的には財政は悪化し米国の競争力は弱まるので、「偉大な米国の再現」は絵に描いた餅である。

だが問題は、政治に実証的根拠による理性的判断が軽視され、理念なき右派ポピュリズム政治に米国が陥り、人種・民族の対立に拍車をかけて今まで培ってきた多様な個人の能力発揮が損なわれ、米国社会に潜在していた暴力的で不合理な病の部分が顕在化して政治や社会を動かすことになる恐れだ。

日本にとってまず大切なことはその米国の混乱に振り回されない政策を考えることであろう。トランプ政権の寿命は不確定で、今回の現象は上記の理由で一過性のものではない可能性は高い。

だが、日本はトランプ政権後の日米関係を考え、大部分の米国知識人が支持しないトランプ政権に対し、この際日本が機に応じて何かを進めることはしないことが賢明であると考える。もともと米国を常に信頼できると考えることも、また今回逆に信頼できないと決めつけることも、共に誤りである。

信頼関係にはまず自らがぶれないことが重要だ。

(2016年12月28日「RIETI 独立行政法人経済産業研究所 」より転載)

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