民進党は2016年3月27日、"原発に頼らない社会を目指す"と党綱領で定めた。10月26日には、党エネルギー環境調査会を開き、"2030年代原発稼働ゼロ"の実現に向けた行程表を作るための検討を始めた。その中で、核燃料サイクル事業の存廃について議論がなされることは必至だろう。
前身の民主党・野田佳彦内閣は2012年9月14日、「革新的エネルギー・環境戦略」を決定し、その中で"2030年代原発稼動ゼロ"を掲げていた。
だが野田内閣は、①「日本は二流国になってもいいのか」という米国からの強い反論や、②核燃料サイクル関連施設の閉鎖を民主党政権が求めるならば、使用済核燃料や放射性廃棄物の全部を原子力発電所が立地する地域へ持ち帰れという青森県からの激しい反発などが起こったことに当惑。結局、上記の決定を「参考文書」扱いとするだけに留め、日本原燃・六ヶ所再処理工場(青森県六ヶ所村)の核燃料サイクル事業の継続を是認した。
短絡的かつ非現実的な政策転換を、短期間で軌道修正したわけだ。冒頭で述べた民進党の動きは、かつての民主党の方針を受け継いだものと言える。だがそれは、民主党政権時の教訓を踏まえたものなのか、或いは民進党は当時の経緯をすっかり忘れてしまったのか、私には全く理解できない。
2011年3月の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の後に"事実上の原発ゼロ"が今も続いている。それにより、2011〜15年度での原子力代替としての化石燃料コストは14.4兆円にまで膨れ上がっている。巨額の国富が海外へ流出し、国民負担が高止まりしている事実を直視せず、かつての「革新的エネルギー・環境戦略」と同じ看板を掲げている民進党。核燃料サイクル事業をも蔑ろにする"ちゃぶ台返し"を狙っているのかもしれない。
実際、核燃料サイクル事業は商業化前夜に至っているのだが、やはり反対論も少なくない。その一つに、海水ウランの活用によって核燃料サイクル事業は不要になる、との意見がある。
海水ウランが活用できるようになれば、日本のエネルギー自給率は飛躍的に向上し、日本のエネルギー安全保障の水準も相当上昇する。私としても、是非ともこれを商業化できるよう、国家予算の投入も含めて、研究開発の早急な着手を切に望むところだ。
国際原子力機関(IAEA)によると、ウランの確認可採埋蔵量は459万tで、現在の年間需要量6.5万tを勘案すると、残りは約70年分となる。既知の推定資源量や未発見の資源量を加えると1534万tになると予想されている。
海水ウランは、以上の他に存在するもの。海水中のウラン溶存濃度は2~3mg/tなので、海水全量では約45億tと膨大な量になる。しかし、2〜3mgのウランを回収するために取り扱う海水量が1tというのは、直観的にもかなり非効率な話に思える。
日本原子力研究開発機構(JAEA)が、研究開発段階として青森県むつ市沖合や沖縄海域で行った試験の結果、ウランの回収費用は5~10万円/kgだった。これでは、ウランの実勢価格(2015年9808円/kg)にはとても敵わない。
今の回収技術では、「回収されるエネルギー量」と「回収に必要な投入エネルギー量」との比率であるエネルギー収支比は、極めて小さいままなのだ。商業化までの道のりは、まだまだ先だと言わざるを得ない。
海水ウランの捕集材の耐久性が向上すれば回収コスト削減ができる、との見通しもある。しかし、研究開発段階でのコスト試算は、やはり研究開発段階のものでしかない。
『研究開発→実証試験→商業化』という長い時間軸の中で、コストを継続的に把握していくことが必要となる。研究開発段階での前提条件付きのいわば"仮コスト"と、国民負担に直結する実際の商業化段階のコストを天秤にかけることは、厳に慎まなければならない。
最近の一例を挙げる。国産技術の原子炉として期待を集めていた新型転換炉(ATR)は、研究開発段階で石炭火力並みの低コストという試算がなされていた。しかし、実証試験段階になった時点では、発電原価が30円/kWh以上という"電力自由化時代"ではとても許容できないコスト水準になることが判明し、1995年にプロジェクト自体が潰えてしまった。
将来、海水ウランによる原子力発電を活用することは、日本近海に豊富に眠っているとされるメタンハイドレートなどよりもCO2排出がないなど環境負荷が小さいという点で、希望の持てる話である。だから、今世紀中に実現せずとも、来世紀に入ってから商業化できる見通しでもあれば、息の長いビジョンを持って研究開発を重ねていくべきだ。
核燃料サイクル事業の次の大きな「原子力平和利用」施策として、海水ウラン活用はとても有望ではないだろうか。
六ヶ所再処理工場は既に完成している。海水ウランの活用は、公式には研究開発段階にすら入っていない。実用化までの時間が極端に異なるこの両者を比較することは、政策論としても政治論としても説得力を持たない。
「使用済核燃料の再処理」に係る商用運転の開始を目前に控えた六ヶ所再処理工場を「使用済核燃料の中間貯蔵施設」に転用すべき、との意見が以前から複数の方面から出ている。だがそれは、国内外の諸情勢を勘案すると、政策的にも政治的にも無理である。コスト面も、ぜんぜん割に合わない。計算すればすぐにわかる。
最近、『青森追想記』という手記を読んだ。これは、首都圏で活動している作家が内々に記したもの。1989年に核燃料サイクル施設工事の凍結を公約に掲げて青森県六ヶ所村長に当選した土田浩氏は、公約に沿って工事を完全に停止させるだけでなく、核燃料サイクル事業関係者との面談を一切拒否した。
その作家は、この深刻な状況に心を痛めた。国会議員でも官僚でもない、一私人であるその作家は、肺結核の前歴のある身も省みず、自らの血縁関係を頼って土田村長に接触。何度も六ヶ所村の現地へ足を運び、「日本には現在、三つの国難がある。一つは中近東問題(石油危機)、二つ目は成田空港問題、いまひとつは六ヶ所のサイクル施設の問題だ」、「石油の豊富な中近東には水がない。資源のない日本には水と緑があります。
エネルギーの原子力化が求められている現代、その施設を作る土地を、石油のない日本・我々に、神は与え給えた。いわば天与の土地です。天より賜りしこの土地を今に生きる私たちの英知と努力で、後世の人により良く遣わしていく。それが私達の使命です」とあちこちで熱く語り、説得して回った。そして、工事再開に漕ぎ着けた。
『ちゃぶ台』の上にある天与のもの、特にウラン資源の節約と有効利用、高レベル放射性廃棄物の減容と安定化、化石燃料消費量削減とCO2排出量抑制に資する核燃料サイクル事業を、将来にわたってしっかり運用していくべきことの重要性を改めて痛感する話である。"ちゃぶ台返し"は絶対に慎まなければならない。