「忘れられる権利」が妙な方向に盛り上がりを見せている。
昨年5月の欧州連合(EU)司法裁判所の判決で「忘れられる権利」が認められて以降、検索結果の削除義務を負ったグーグルは、これまでその対応をEU域内のサービスに限定してきた。
「『忘れられる権利』:検索結果から削除される記事と削除されない記事の線引きはどこに?」でも紹介したが、これに対してフランスのプライバシー保護機関「CNIL」は、削除をグーグルのグローバルな全てのサービスに反映するよう要求していた。
ところが7月末に、グーグルがこれを拒否。全面対立の構図になっている。
一方、英国のプライバシー保護機関「ICO」は、「忘れられる権利」の削除対象のことをまとめた記事について、さらに検索結果から削除するようグーグルに要求している。
いずれも、最終的にグーグルが応じなければ、制裁が科せられる可能性がある。
「忘れられる権利」と「表現の自由」のバランスに、様々な疑問符のつく成り行きだ。
一方では、ロシアやメキシコなど、EUの「忘れられる権利」判決に各国が呼応してきており、ますます目が離せなくなっている。
●フランスの要求
フランスの「CNIL」の要求が出されたのは、EU司法裁の判決から1年が過ぎた6月12日。
By Cyril Cavalié under CC BY-NC-ND 2.0
グーグルが検索結果の削除要求に対して、削除をEU域内でのサービスに限定していることで、プライバシー保護の効果が担保されないと指摘。
「google.fr(フランス語版)」「google.de(ドイツ語版)」といったEU域内だけでなく、本体の「google.com」を含む、すべての国のサービスで削除を反映させるよう求めている。
この要求には15日間の猶予期間が設けられ、要求に応じない場合には、制裁に向けた特別委員会での検討を開始する、としていた。
最大30万ユーロ(約4000万円)の罰金が科せられる可能性がある、という。
EU側からの同様の要求は、すでに昨年末にも出されていた。
EUのプライバシー保護当局の代表者が集まる「EUデータ保護指令第29条作業部会(Art. 29 WP)」は昨年11月に、「忘れられる権利」EU司法裁判決の実効性を保つためには、検索結果削除をEU域外にも適用すべき、とのガイドラインを公表している。
フランスの要求は、29条作業部会のガイドラインの延長線上にある。
●グーグルの反論
これに対してグーグルは、「CNIL」の要求から1カ月半後の7月30日、公式ブログにグローバル・ポリシー・カウンセルのピーター・フライシャーさんの名前で反論を掲載する。
そのタイトルが、グーグルの論点を端的に示している。「欧州の(グローバルではなく)忘れられる権利を実装する」
忘れられる権利は欧州では法制化されているのかもしれないが、それはグローバルな法律ではない。
ある国で違法とされるコンテンツが、他国では合法とされる例はごまんとあるとし、タイが王室に対する批判、トルコが初代大統領、ケマル・アタテュルクへの批判を犯罪視し、ロシアが〝同性愛のプロパガンダ〟を違法化していることを指摘。
さらに、こう述べる。
CNILが提示するアプローチがインターネット規制の標準と見なされるなら、私たちは〝底辺への競争〟に陥る。つまりインターネットは、世界で最も自由が制限されている地域と、同等の自由しか与えられないことになるのだ。
私たちは、ある国でアクセスできるコンテンツのコントロール権限を、他の一国が持つべきではないと信じている。
その上で、CNILに対し、要求の撤回を求めている。
CNIL側は、グーグルの拒否を受け、2カ月をかけて対応を検討するようだ。
●ネットの自由とプライバシー
そもそも「忘れられる権利」は、米国のインターネットの自由推進派にはあまり評判がよくない。その筆頭格ともいえるハーバード・ロースクール教授のジョナサン・ジットレインさんは、ニューヨーク・タイムズでこうコメントしている。
フランスがグーグルに要求しているのと同じことを、米国政府が米国内で要求すれば、それは修正憲法1条(言論の自由)違反になるだろう。極めて心配だ。
ウィキペディアの創設者で、グーグルが召集した「忘れられる権利」に関する諮問委員会のメンバーでもあるジミー・ウェールズさんもこう述べる。
世界中の政府は、途端にこう言い出すだろう。「素晴らしい。我々も世界中で削除してもらいたいことを要求していこう」
ただ、米国内でも、プライバシー重視派は、また違った立ち位置のようだ。米国のプライバシーNPO「電子プライバシー情報センター(EPIC)」事務局長のマーク・ローテンバーグさんは、グーグルがすでに銀行口座やリベンジポルノといった重要なプライバシー情報をグローバルに削除する手続きを運用している実績もあるとして、CNILの要求を支持する。
インターネット上のプライバシーの基本的権利がグローバルに保証されることになれば、目覚ましい成果と言える。
●「削除を報じる記事」の削除
8月18日、今度は英国のプライバシー保護機関「情報コミッショナー(ICO)」からグーグルに対して、さらにややこしい要求が出された。
この件の申立人は、「忘れられる権利」によって、10年前に起こした自身の軽犯罪に関する記事の検索結果削除が認められた。だが、その削除自体が改めてメディアで記事として取り上げられたため、今度は新たな記事へのリンクが、グーグル検索で表示されるようになった。
そこで申立人が、新たな記事についても検索結果を削除するよう申請したが、グーグルはこれを拒否。そこでICOに申し立てをしたところ、ICOが削除を認めたというものだ。
ICOは9件の検索結果について削除を命じており、猶予期間は35日間。グーグルは、ICOの命令について、不服申し立てをすることができる。
BBCやテレグラフ、デイリー・メールなどは、「忘れられる権利」による報道への影響を可視化する狙いから、削除対象の記事リストを公開しており、これに対する批判の声もあることは、以前にも紹介した。
ICOの削除要求は、この問題をめぐって具体的に監視当局の動きが出てきたということだ。
ICOの副コミッショナー、デイビッド・スミスさんは、ガーディアンへのコメントでこう述べている。
EU司法裁の判決で記事へのリンクが削除されることが、新聞の報じたい事柄であることは理解するし、グーグルのような検索エンジンを使って、人々がそれらの記事を見つけられるようにする必要がある、ということも理解する。しかし、それが申立人の名前を検索することで表示される必要はない、ということなのだ。
EU司法裁判決に基づく「忘れられる権利」の削除対象は、特定の個人名を検索した場合に表示される検索結果だ。ICOとしては、この削除要求が限定的なもので、「表現の自由」や「知る権利」と衝突するものではない、との立場のようだ。
●EUのモノサシ
EUによるプライバシーのモノサシがどこまで広がるのか。
これはグーグルならずとも気になるところだ。
さらに、各国版「忘れられる権利」も出てきている。
ロシア版の「忘れられる権利」法は、プーチン大統領も署名を終え、来年1月から施行されるようだ。
メキシコでは、経済界の有力者の疑惑に関する記事について、連邦情報公開庁(IFAI)が「忘れられる権利」によるリンクの削除命令を出したことで、グーグルとの間で法廷闘争となっている。
「忘れられる権利」と一口に言っても、厳密な定義があるわけでもなく、「表現の自由」「知る権利」とのバランスでは、各国でかなり温度差もありそうだ。
日本としても、腹合わせをしておきたいところではある。
(2015年8月30日「新聞紙学的」より転載)