世界情勢をみるとき、日本のメディアは欧米の視点に引きずられがちだ。それもそのはず。日本の報道機関が頼るのは、ロイターやAPなど、欧米系の通信社が多いからだ。
私がことさらそう感じるのは、欧米系メディアに頼る必要がないロシアで記者活動をした経験があるからだ。2014年までの3年間、朝日新聞のモスクワ支局員としてロシアと旧ソ連を「現場」に取材した。そこから得られた教訓が二つある。それは、1)世界は必ずしも欧米の論理だけでは読み解けない、2)ロシアの視点を見くびってはならない--ということだ。
モスクワ勤務から離れて久しいが、最近、久しぶりにこの教訓を思い出したことがあった。それは、北朝鮮の核開発問題をめぐるロシアのプーチン大統領の発言だ。
「北朝鮮は自国の安全が保障されたと思わない限り、たとえ草を食べてでも核開発をやめないだろう」
9月5日、訪問先の中国アモイであった記者会見での言葉だ。プーチン流の独特なレトリックだとか、関係のよい北朝鮮をかばう発言だとか思う人がいるかもしれない。だが、私は胸にストンと落ちた。というのも、この言葉に、北朝鮮に対するロシアの視点が凝縮され、的も射ていると思うからだ。
北朝鮮の最高指導者、金正恩氏の父親である金正日総書記が亡くなった2011年11月。ロシアの北朝鮮専門家らに、北朝鮮の将来について見通しを取材して回ったことがある。当時の取材ノートにはこんなことが書いてあった。
・北朝鮮に核開発を放棄させるには、特に米国からの国と体制の安全保障が得られない限り不可能
・経済制裁は逆効果で、むしろ北朝鮮の態度を硬化させかえって人民の団結を強めるだけ。体制の内部崩壊は幻想
これらは今回のプーチン氏の発言と重なり、ロシアの常識的な北朝鮮分析だとみていいと私は思っている。
一方、肝心の対応策について、ロシア側はどんな腹案を描いているのか。再び専門家たちの考えを紹介する。
・経済制裁や軍事力、脅迫によって北朝鮮に核開発をあきらめさせることはできない
・解決は平和的な話し合いでしか望めない。6カ国協議の再開が重要
・核開発の放棄を前提にした協議は北朝鮮にとっては不公平であり、北朝鮮は受け入れられない
・孤立化政策では北朝鮮を追い詰めるだけ。世界経済のシステムに取り込むことが重要で、ロシアはこれを重視している
プーチン氏も9月7日にウラジオストクで安倍晋三首相と会談した際、北朝鮮との対話による解決を強調した。また、ロシアはすでに北朝鮮から多くの出稼ぎ労働者を受け入れており、その「現場」は、北方領土のインフラ整備にまでおよぶ。専門家たちが語った内容との矛盾はない。
ところで、こうしたロシアの視点が、日韓を含む欧米側にとっては信用できるものだろうか。耳を傾けるべき内容なのだろうか。
確かにロシアは「説得術」に長け、自国の利益を徹底的に重視する。もしかしたら、北朝鮮問題すら、国益にかなうよう「利用」しているのかもしれない。一筋縄ではいかない相手であり、主張をすべて鵜呑みにできない。それでも私はロシアの視点は示唆に富み、北朝鮮問題を考える上で有益だと思っている。
専門家たちが言ったように、経済制裁で崩壊すると言われ続けてきた北朝鮮の体制はいまだ存続している。そればかりか、核開発は着々と進展している。制裁によって事態は好転しないというロシアの見立てはすでに当たっている。
専門家たちは取材に対し、こうも話していた。「ロシアにとっても北朝鮮の核開発は脅威だ」。それでもなお一貫して対話を主張するということは、ロシアは本気で、対話でしか問題は解決しないと考えているのだろう。
アメリカのトランプ大統領は、北朝鮮との結びつきが強い中国の関与を期待している。だが、私はむしろロシアこそ解決の鍵を握っていると思う。その根拠は、ロシアの専門家の一人が私に言った次の言葉だ。「北朝鮮自身は中国に依存しすぎることの危険性をわかっている。中国にあたかも支配されるような形になることが嫌なのだ。それに比べてロシアとは対等に付き合える仲間だと感じており、助言にも耳を貸す」
ロシア(ソ連)のイメージはお世辞にもいいとは言えない。第二次世界大戦末期の日ソ中立条約違反、シベリア抑留、北方領土問題、ソ連時代の一党独裁体制、そしてクリミア併合...。私たちがロシアに対してネガティブな印象を持つのも無理はない。
では、逆に欧米の言うことは信用できるのだろうか。アメリカなどは2003年、大量破壊兵器があると強弁してイラクを攻撃し、フセイン政権を倒した。だが結局、大量破壊兵器は見つからなかった。ロシアにしろ、アメリカにしろ、大国というものは自国の利益のために、陰謀を企て、軍事行動も起こすのだろう。だとすれば、ことさらロシアの情報や視点だけを排除する必然性はない。
日本にとって、北朝鮮への経済制裁を強めるのがいいのか、それともロシアの言うように対話路線を模索するのがいいのか、正直私にはわからない。だが、一つ言えるのは、欧米の視点や論理だけをもって世界を見わたそうとするのは危ういということだ。だからこそ、私たちメディアには、できるだけ多くの見方を提示することが求められるのだと思う。