あれは忘れもしない昨年の10月。
検査に行った病院で突然の乳ガン告知を受けた。
ショックだったが、仕事は山積みだったし、子ども二人もまだ小さいので死ぬわけにいかない。
私はその場ですぐに右乳房全摘出を決めた。
もともと楽観主義だったことが幸いして、手術だの治療だの乳房再建などをすべてをひっくるめて「乳癌プロジェクト」と命名すれば、仕事のようにこなせるのではないかと思えたのだ。
そのまま翌月11月に手術して右乳房を全摘出。
聞けば、外科手術でガンを取り除くのと同時に乳房再建の一時処置もしてくれるとのこと。なんと合理的な!と喜んだのもつかの間。術後の右おっぱいとのご対面ではとんでないことが発覚した。
確かにそこには硬い膨らみがあった。しかし......乳首が無い!
おまけに辻斬りにでもあったかのような傷が、脇の下からおっぱいを縦断するように赤黒くうねっていた。あちこち内出血もしていたので、右半身は全体に色味がひどく、初対面の感想としては、「これは当分、娘たちに見せられないな。」だった。きっと怖がらせてしまうから。
●人間は慣れる生き物
女性にとって、おっぱいは特別な部位だ。
貧乳だったので私個人としての実感は薄いものの、セックスアピールを感じさせる場所として必ず挙げられるパーツであるし、出産すれば授乳で活躍もする。女性の象徴として、また「母性」の象徴として世間では扱われることが多いからだ。
だから女性たちは乳ガンであることが発覚したとしても、「虫歯ができたから抜く」みたいな感覚で手術を決めることは難しいのだろう。
「2回結婚したこと」
「数々の偽装(寄せて上げたり、パッドを入れたり)をして使ってきたこと」
「娘二人に授乳してきたこと」
と、おっぱいを使い倒した感のある私ですら、あの傷口を見た瞬間にショックを受けなかったとは言えないのだから、もっと若いお嬢さんが乳ガンになったときの苦悩は計り知れない。
ところが、だ。
私の乳首なしギザパイは、退院して2週間もすると内出血もとれ、傷もだいぶ落ち着いてきた。
そして、私も夫も娘たちも、あっという間に見慣れた。まるで昔から私の右乳房は、ギザパイだったかのように。
だから、私はすっかり忘れていたのだ。
あれは、退院翌月の12月に家族で温泉旅行に出かけたときのことだ。
●退院後家族で出かけた温泉旅行
(我がおっぱいに未練なしより抜粋)
温泉へ向かう車中。朝からずっと何かを忘れている気がしていたのだが、やっとわかった。私は自分の「乳首なしギザパイ」の存在をすっかり忘れていたのだ。
子どもたちは退院後に見て衝撃を受けたものの、今ではすっかり慣れている。が、人様がいるところで裸になるのは今回が初めてだ。
折角温泉に来たのだし、妙に隠したりはしたくない。そして、私個人は「乙女心」を分娩台とビジネス社会に置いてきているので何も問題ないのだが、気持ちも身体も絶賛変化中の長女(中学一年生)は、もしかしたら人の目が気になるのではないか?と今更ながら思い至ったのだ。
何故なら、私自身、温泉やプールの更衣室など、裸になるところには数えきれないほど行ったことがあるが、私と同じギザパイを人生で一度も見たことがなかったから。
別に全員をじろじろ見ていたわけではないが、これだけ乳ガンの女性が存在するのに一度も見たことがないということは、このおっぱいの状態では人目に付くところへは行かない、もしくはちゃんとプロテクトしていたかのどちらかであろう。
そして、人は見たことがないものは一瞬でも凝視してしまうものだ。
私は念のため長女に聞いてみた。
「ママさ、温泉でギザパイ隠さないけど気になる?」
すると、
「ママは?ママは見られたら気になる?」
と、聞き返してくるではないか。
「ママ? ママは気にしないよ。女友だちには既にいっぱい触らせてもいるし」
と言うと、
「だよね(笑)。ママが気にしないなら私だってしないよ。堂々と一緒に入ろう!」
と、ハイタッチをくれたのだった。我が娘ながら、なかなか太くていいやつだと思う。
かくして、私達3人は旅館に着いた途端、大浴場に攻め込んだ(パパはいつも男風呂一人)。
「たのもー!」的に、ギザパイと成長期おっぱい、ぺったんこおっぱいを携えて。
お湯が熱くて出たり入ったりしていた次女、水風呂で唇を紫にした長女、2人から湯気が立ち上り「ふかし饅頭」みたいで美味しそうだったこと、次女が脱衣所で着替えたら座敷童にしか見えなかったこと。いっぱい笑って、何度もお湯につかり、のぼせそうになったこと。
いつか、大きくなった子どもたちとも、また温泉に入ることはあるだろうか。きっとそのチャンスはたくさんあるに違いない。
でも、母娘3人で入った今日のこの温泉のことを、いつまでもいつまでも私は、鮮明に覚えていたいと思う。
●新しいおっぱいを手に入れて
今年の6月に形成手術をして右おっぱいを完成させ、先月ようやく乳首をつくった。
外科手術の傷はだいぶ赤みが引いたものの未だ健在なので、私は相変わらずギザパイと呼び、相変わらずジムやプールや温泉で人目にさらしまくっている。
さらしている目的は、ギザパイの布教活動ではない。
術後当初は「見慣れたから」という、半ば諦めに近い感情だったのが、ギザパイとの1年にも及ぶ付き合いで、我々の関係は思いのほかしっくりくるようになってきたのだ。
たとえば私が篠山紀信だったら、40代経産婦の、凹凸のない以前の私の裸体と、相変わらず凹凸はないものの、ギザパイを持つ今の私だったら、確実に後者を撮りたいと思うからだ(もちろん完全に妄想である)。
ギザパイには、身体だけじゃなく気持ちも大きく変化した今の私や、手術や治療やありとあらゆる現実から逃げなかった自分の一年間のメモリーが詰まっている。
手術前も、手術したての頃もまったく想像できなかったが、「乳癌プロジェクト」によって物語を帯びた右おっぱいを、私は今、結構気に入っている。
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